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本気で人を好きになったことはある?


「愛」という漢字一文字には、多分たくさんの意味と思いが詰まっている。
認めること、褒めること、受け入れること、聞くこと、頼られた時に応じること、頼ること、そしてたまに叱ること。
否定すること、押し付けること、思い込ませること、なんてのは、愛ではない。

「愛」を初めて貰う相手は、親である。
親が、「愛」とは何か教えてくれる。愛をもらえると、愛されると安心が育つのだということも、一緒に教えてくれる。
でもそれは、たまに不十分である。

不十分だと、大きくなってからも他者に安心を求めすぎてしまったり、罪の意識に苛まれたり、何か厄介なことが沢山起きて、自分で「何でこんなことになるのか」と頭を抱えてしまう。環菜が「失敗ばかり」と嘆く姿は、どうしても自分に似すぎてて、重ねてしまった。

「ファーストラヴ」の聖山環菜は、不十分で歪んだ愛を受けて育った。
殺人犯として名が知れるまで、誰にも気づいて貰えなかったその本心の声を由紀が聞いたとき、「ただただ私の話を聞いてくれる人」の存在を環菜は知った。

先日友達が、「珍しく消えたくなってしまった」と電話の向こうで言った。私はずっと聞いて、たまに私の考えを述べた。
結局電話を切る頃には彼氏を作ろう!という謎の結論にたどり着いた。謎すぎる。

人を救うことは難しい。彼女が思い詰めた時に止められる自信はない。犯罪に手を染める時に、ダメだと手を引ける自信はない。自分がリスクを冒すのは避けたいし。
だから環菜を目の前にして私は、具体的な解決策は出せないと思う。

それでも、話を聞くことは得意だ。24時間考え込んでいるような人間だから、「考えが聞きたい」と言われたら、考えをわかりやすく伝えることもできる。

映画「ファーストラヴ」は、「対話」が大事だよ、って言ってた気がする。環菜に対することだけじゃなくて、迦葉や我聞さんも。
「人を好きになる」ということは、言葉を交わして、感情を共有して、それで大きくなっていくものだと思う。そしてその感情は何でもよかったりする。

結局ファーストラヴの相手って家族だよな、って誰か言ってた気がするけど、一番最初に対等に正直な対話ができた人が初恋の人なのかもしれないな。

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