見出し画像

田中一村を見に行く

今日は千葉市美術館まで行ってきました。同所で開催中の「田中一村展」を見るのが目的です。

画像1

■千葉市美術館

田中一村は栃木県(田中米邨)生まれの日本画家で、その後、東京麹町、四谷と転々とし、30歳の時に親戚の川村幾三を頼って千葉市千葉寺に家を購入して50歳まで住み、絵を描いていました。日展や院展など、いくつかの絵画展に出展しますが、殆ど落選。失意のまま千葉寺の家を売却して、奄美大島に居を移し、大島紬の工場で働きながら描画活動を続けます。工場で働いては、画業に専念するために工場を辞め、数年後には、また工場で働くということを繰り返しているうちに健康面で目眩や失神など症状が現れ初め、その4年後には畑での作業中に脳卒中で倒れて入院。その翌年には千葉で作品を披露、名作「アダンの海辺」を手放します。また奄美大島に帰ってから、数ヶ月後には不幸にも心不全で亡くなってしまいます。一村は、亡くなるまで中央画壇で名を馳せることは叶いませんでした。

画像2

僕が田中一村を知ったのは小学館文庫の「日本のゴーギャン 田中一村伝」を読んでからです。しかし、文庫版の小さな作品写真を見ても、その凄さはわかりませんでした。ただ、彼の孤独な生涯に関しては、非常に興味が湧きました。

今日、一村の展示作品を目の当たりにして、画家としての凄まじい画力と描写力に驚きました。正確なデッサン力と迫力のある筆遣いに描画技術…シーンとした展示会場で思わず「なんだこれは!」と叫んでしまったのです(音量は低いですよw)。基盤に正確なデッサン力があれば、もう、どんなものでもガガガッ!!!と描けちゃうんですよ。特に昆虫と軍鶏には瞠目しちゃいました。筆をどのように使ってあのような迫力のある『線』を描くことができるのかは想像もできません。

驚いたのは、一村は写真を撮っていたことです。千葉寺の田園風景と姉を撮影した紙焼きが展示されていましたが、特に姉の写真は素晴らしいのです。これはもう芸術写真です。構図を決め(これがやっぱり重要です)、シャッターを切る際の被写体の表情(動き)を想定することができないと良い写真を撮ることはできません。

一村は写真を撮って、紙焼きで引き延ばして、それを元に肖像画を描くという仕事もやっていたそうです。「写真肖像画」というのだそうです。現代の感覚では写真(自分が撮影した写真でなければいけませんよ)を参考にして描くというのは当たり前のことだと思いますが、昔の絵を描く人たちは、写真を見て絵を描くということを嫌いました。実物を目の前に置いて絵を描くというのが基本であるなんて思っていたのでしょう。

いずれにしても、今日は良い日でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?