みたモノ 2-3月

展覧会
・「クリストとジャンヌ=クロード “包まれた凱旋門”」
ふたりが用いる布は, 聖骸布だ. クロードの布によって包まれた対象は, 成熟で透明になった生気をもう一度再現前することになる. ヴェール越しに浮き立つ対象の表情は, かたちが顕れる彫刻のようだ.
アウラを復権する彫刻は刹那的エフェメラルだが, そのアウラの垢が付着した”布”は世界中に飛散する. ほとんど鑑賞者私たちがおこなうのは鑑賞ではなく, 脳内での作品の再建だ.

・河原温 「TODAY」
ずっと大好きだったけど, 展覧会としてまとまったかたちで観るのは初めてだった. 沈黙さが発揮する雄弁さ. この点, 河原温の右に出るものはいないように思う. 彼の扱う表象は, とことん未加工だ, ある意味で. 作品の語りではなく, 作品自体の存在のいでたちが異質なのだ. 作品そして作家の”いでたち”はどこまで引き算, 極小化ミニマリズムできるのか.

・青木千絵 「沈静なる身体」
こちらの身体まで凭れそうだ. 水面のように撓んだ漆の中に, ジャコメッティの彫刻のように細長く伸びた私が照明に照らされている. 淀んだ精神の表象と彫刻された身体の中庸として凝固している異物. 鑑賞者の視線にどこまでもついてくるように表面に走る漆の艶は, その異物に生命感を与えている. 鑑賞者はその動く漆の艶に, そのまま手を伸ばして並走したくなってしまう.

・フィオナタン「Suri 」
別途, 書きたい.

・Nerhol 「Zoe 」
 年輪. 身体化されたアウトプットとしての輝きは, 作品が鑑賞者に対して自らの存在意義を主張するうえで最前列に現前する要素である. 鑑賞者はそこに囚われまいと, 身体化された概念を定義しようとなけなしのエネルギーを鑑賞に注ぐ. “時間の物象化”. 再三繰り返された時間に対する苦肉の手なずけだ. 美術に要求されるのは, イメージが基本言語となった世界で, “時間”というパラダイムそのものを言及, 解剖することだ. 作家は時間が孕む写真性に注目する.

映画
・ダニエル クワン「エブリシング・エブリウェア・オールアットワンス」
ファイトクラブばりに忙しい映画だった.
時代性を象徴する問題群に煩わせられている登場人物. とはいうものの, 並走する世界の中で, “この世界”を特徴化しようと試みたら, あの世界像が映ってしまったのではないか. 今日では, パターナリスティックな構造に虐げられる人間像の表現は, 作品の主題というよりはすでに時代の内で, ある種のお作法になりつつある. この作品の世界観においては, 僕らが没頭しているこの世界のカオスだって無限の可能性のひとつなのだ.
“身体性”を担保としてして多世界をここにモジュール化する. アベンジャーズシリーズのように”物語”によってではなく. あの忙しさはちゃんと, マルチバース現象だった. 僕は疲れたけど.

その他
映画
・サム メンデス「エンパイアオブライト」
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・マーティン スコセッシ「ウルフオブウォールストリート」
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・マーティン スコセッシ「カジノ」
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・ライアン クーデラー「ブラックパンサー」
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・ニック ランド「絶望への渇望」
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・ウラジミール ナボコフ「ロリータ」
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・トム ヴァン ドゥーレン「絶滅へむかう鳥たち」
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