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アプリコットのタルト
特別順調、ということはないけれど、それでもメンバーとは上手くやれているし、ファンもそれなりにいる。そんな現状は、私にとって充分幸福なことだった。
私は、とある事務所の駆け出しアイドルグループのメンバーの1人だ。如何にも王道アイドルグループって感じで、敢えて悪く言えば何番煎じだよって思ってしまうようなところなんだけど、いい雰囲気で活動出来ているし、……何より"本物"のアイドルがいない。私にとって凄く好都合なグループだった。それは別に「このグループだったら楽にセンターが取れそうだ」とか、そういうのではなくて、私という存在に疑いをかけてしまわずに済むから好都合って意味。私は大して輝いているものを持っていないから、だからもし大手を振って"本物"と言えるような人物に出会ってしまったら……。
「私なんていなくてもいいって、思っちゃうだろうな」
誰もいない夜中の住宅街だから、躊躇いもなく独り言を発する。黙ってしまえばコンクリート製の道を踏みつける音だけしか聞こえないというのに、わざわざ自分が発したその独り言がこだまのように返ってきて私の胸に突き刺さる。"本物"なんていないって考え方でなんとか保ってきたアイデンティティだから、何かあった途端に崩壊してしまうだろう。所詮はその程度の存在なんだ、私は。アイドルに限らず、人間としても。石ころを蹴っ飛ばす。偽物に縋って、現実を見たくないだけ。私って本当に……。
こんな私にも帰る家はある。ひとり暮らしをしてからまだ間もないけれど、それでも私にとっての帰る場所。実家は……、私がいなくなってすぐに両親が売り払って違うところに引っ越しちゃったから。
「さて、夕飯はどうしようかなっと」
洗った手もしっかりとは拭かずに、冷蔵庫を開ける。そして中身の少なさに肩を落とした。そういや買い物にも碌に行ってなかったな。もやし炒め程度なら作れそうだけど、流石に足りないし……。そう頭を働かせているうちに、アプリコットのタルトの存在を思い出した。確か、祖母が昨日届けてくれたものがあるはず。保冷バッグに入っていたから、冷蔵庫にも移さずにそのまま……、あった。これだ。出した途端に甘い香りがこちらに届き、私が今空腹であることを主張してくる。すぐさま、もやしと少量のベーコンを炒めて、それを平らげた。甘いものは食後のデザートに、という私の小さな拘りに準ずるためである。さあ、そうしたら頂こうか。このアプリコットのタルトを。
祖母は昔からしょっちゅう、スイーツを私に作ってくれた。その中でも特に好きだったのがアプリコットのタルト。もちろん味も大好きなんだけど、きっとそれだけが理由ってわけじゃない。昔、アプリコットを初めて見た時に桃と勘違いをして、その後に祖母から果物の名前を聞いてからも「じゃあ偽物の桃だあ!」と勝手に偽物扱いしていた記憶がある。私にとってアプリコットは何かの偽物の存在で、しかし偽物にも関わらず味は大変美味しかったから、惹かれたんだろうなって思う。本物にはなれなくても、ちゃんと人を惹きつける。今思えば、私にとっての希望みたいな存在なのかもな。
「だけどおばあちゃんは、別に偽物なんかじゃないよって言ってたっけ」
実際、それはそうなんだろうけどさ。
「でも、それなら何が偽物で、何が本物なんだろうな」
もし偽物とか本物とか、そんなものがないのだとしたら、私って……。この続きなんて考えたくないから、逃げるように私はタルトをひと切れ頬張った。