20210129 コミュニティに所属すること

 映画「アダムス・ファミリー」を見ている。アダムス一家は風変わりなお化け一家で、能力的にも生物的にも人間とは一線を画す。人間界に所属しているわけではない。だが大きな社会の一員として、人間と同じ市街地で生活しているし、娘のウェンズデイや息子のパグズリーは学校やサマーキャンプへ行く。人間と一緒に仕事もするし、何なら人間相手のビジネスを考えて成功している。完全には人間のコミュニティと分断されていないが、独立しており、おそらく人間がいなくなっても何の問題もないこの一家。なんとアダムス一家が持つ価値観を受け入れることができれば、簡単にファミリーの一員として受け入れてもらえることもある。これは映画でもアニメでもTVドラマでも共通のアダムス・ファミリーのスピリットだ。

 映画1作目・2作目で、人間とお化けの境界を彷徨い2つのコミュニティを行き来する人物がいる。フェスターである。彼は一家の当主・ゴメズの弟であるが、不慮の事故で25年間、人間として育てられたり、人間と結婚したりする。映画版の彼は、(兄・ゴメズにも言えるが)愛情に飢えている。彼は相手が搾取しようとしていることを知らずに、安易に人間に近づいては、傷ついて一家へ帰ってくる。

 アダムス・ファミリーはお化け一家の話、それもフィクションでもあるが、我々現実世界に存在する人間も、どんなに人と違った価値観を持とうが、個性的な容姿や能力があろうが、我々はコミュニティと離れては生きていけない。コミュニティに所属する人間を、何かしらの形(例えば能力や人柄)で認め、自分も所属する人間から認められる、の関係が成り立っていなければ、生きていけないほどの苦しみを背負うことになる。自分の価値観に近いコミュニティを選択し、所属し、貢献することは、生きていく上で最優先事項と言える。

 これはよく聞く当たり前の事実なのに、実は社会のシステムに取り込まれていない。こういう齟齬がないようにコミュニティの所属は決まるべきなのだが、実際はそうなっていない。幼稚園や保育園、小・中学校はほとんど親の意志で決定されるので自分で選びようがない。また、表面上見えているコミュニティが持つ価値観や方向性は、実際に入ってみないと本当のところはわからない。よって受験や就職活動、婚活などでは、コミュニティを選んでいるようで、実際は博打を打っている。表面上見えている価値観に合わせるため、自分を偽って活動してしまうことも多い。入った後に真の価値観や方向性が理解できても、人はコミュニティに所属しないと生きていけないので、自分を無理に合わせるために自分を偽ったりもする。コミュニティが持つ価値観と、自分の価値観のずれがストレスになっているにもかかわらず、無意識に自分を偽り続け、所属し続けることが精神の健康寿命を短くしている。

 ということを最近、「アダムス・ファミリー」を見ながら、そして自身も転職活動をしながら、学んだ。

 かなり極論だが、私が言いたいのは「あなたが今ストレスを抱えていて生きづらさを感じるほどに苦しいのなら、コミュニティが合っていないのかもしれない」ということだ。そして、「自分を偽って生きていく必要はどこにもない」ということ。個人の価値観やコミュニティの価値観に合っていないことを指摘されたとしても、落ち込む必要はない。できれば早急にそこから移動するか、新しいコミュニティに所属しよう。私自身は、どんなコミュニティがあったっていいと考えている。例えば、「他者に貢献したくないコミュニティ」「社会性のいらないコミュニティ」「挨拶できなくてもOKなコミュニティ」、何でもいい。なければ、あなたや私が作ればいい。何らかの形で人が集まっていて、所属している人間の行動がお互いに影響しあっているなら、そこはもうコミュニティなのである。

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