見出し画像

記憶の脆さと書くこと

公開から1ヶ月弱、ついに僕も見に行ってきた。主題歌を担当する「ヨルシカ」目当てだったし、こういう類の映画は初めてだ。しかし、主人公の透や真織、家族、2人を見守る親友の泉ちゃんなどからまたいろいろ学び、自分に言われているかのようなことも教えられた。

記憶の脆さ

真織は「前向性健忘」を患い、高1のときに遭った事故以降の記憶は寝るごとに「リセット」されている。でも、そういうのがなくとも、我々の記憶というのは儚く脆いものだ。脳みそもキャパシティがあるから、繰り返さない、記録に残されない記憶ほど脆く崩れるものだ。だから、「あれあの人誰やったっけ?」「あれ、今何してたんやっけ?」ってなりがちだ。

ちなみに浜松に行ったときも10数年前の街並みは覚えていなかった。そういうものなんだ。

主題歌も「右も左も分からぬほどに」などと歌っている。どんなに愛して好きな人、物事でも記録が無ければ、あるいは疎遠であれば、脆くて、忘れてしまうもんなんだと思う。

書くことで繋がる。

真織の日記、透の父や姉(早苗)が書く小説など書くこと、綴ることにもフィーチャーされている。早苗は現実逃避するために小説を始めたと言い

誰かと繋がるために書く

と父に諭していた。

個人的にもnoteを始めたきっかけは自己満であったが、そこから図らずも交流がいくつも生まれて、誰かとの繋がりを保つのも続けていく理由となった。駅ノート、交換日記など他にも書くことで繋がる手段というのは多いが、綴る、書くことの本質は同じなのではないか。

メモすることは深めること

そしてメモすることは忘れないためでもあるが、いろんなことを深めるためでもあると思う。自分のこと、家族のこと、好きなことなど。それに愛する人のことも。主人公の真織と透もそうだったし、故に本気が過ぎてしまったわけだ。

他にも湘南の海だったり、何度も出てくる「湘南モノレール」などでテンションが上がったものの、こういう学びが得られたし、記憶とか書くことがなんたるかを知らされたようなもんだ。恋愛ものは僕にとっては遠いフィクションのような存在で強く興味はなかった。でも、結局、恋愛以外の自分の生き方について共感する部分が多くてああやってポジティブに受け止められた。

何はともあれ、また一つnoteやって良かったと思えた。それに映画っていいもんだ。


この記事が参加している募集

映画感想文

ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。