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「normal?」を読んで感じたこと

島根県隠岐諸島の「中ノ島」で生まれ育ち、「ジュノンボーイコンテスト」などモデルとしての活躍が目覚ましい井手上漠さん。そんな漠さんのフォトエッセイが発売され、重版が決定するほど売れているとのこと。
かねてから、ツイッターとインスタグラムをフォローしている僕だが、インスタストーリーの質問返しを見ていると非常に漠さんらしい自然体な雰囲気の言の葉が気に入っていて、人生のお手本みたいなものも感じる。さらに“声フェチ”の僕にとっては女性と遜色ない癒し声が気に入っていたりする。
そんな漠さんのフォトエッセイを読んで、僕の経験とリンクした部分中心に綴る。

エッセイ中身を少し

漠さんの故郷隠岐諸島の豊かな自然で撮影された写真と漠さんの生い立ちを綴った文章で構成されている。文章では最大のテーマである“普通”“normal”に囚われない生き方を筆頭に、自身のお母さんやお姉さん、弁論大会に導いた中学時代の恩師の話や自身の生きづらさを感じたことなど漠さんの18年の人生が綴られている。

エッセイ部分を見ていると、生きづらさを抱えつつもお母様を筆頭に理解者に恵まれていたことが伺える。

似て非なるけど

漠さんとは形が違うが、生きづらさという面では自分自身も現在進行形でそう感じている。頼るのが苦手だったり、勉強に無気力、恋愛失敗、孤独を恐れる、両親と軋轢、メンタルの弱さなど。漠さんとは似て非なることかもしれないけれど、それでも、自分らしさを追求している者同士っていう意味では似ているのかもしれないと感じる。

SNSで「指殺人」

SNSについて言及した部分においては、問題視されているSNS上の誹謗中傷について

「指殺人」

という表現を用いている。以前から僕のnoteでは、元友人Fが「人殺し」「脅迫されている」など被害妄想によるツイートを連発し、僕の評価を下げるようなことをしていると綴った。

これらに関しては、知っている人で人間性を分かっているから半ば静観できているし、いい方向に努力できるが、もし知らない人なら傷付けられて死にたくなるようなことがあってもおかしくないことだ。それをやっている本人は僕を攻撃していることに気が付いていないし、リテラシーがあるとは言えない。
だからこそ、ネットでもリアルでも自分の何気ない一言や行為で人に刃を向けていて、場合によっては相手を深く傷つけてしまいかねない。どんなに些細なことでも一度立ち止まって、これを拡散すると何が起こるだろうかの想像力は身につけねばと思う。それをFにも伝えたいが、助太刀でもしないと伝わらないほど聞く耳持たないし、僕のことを「人殺し」という色眼鏡で見ているから。

今回は最近買った井手上漠さんのフォトエッセイを見て、自分自身にリンクして共感したことを綴ってきました。“普通ってなんだろう”というという本来の趣旨からズレることばかりではありますが、こう綴るのもある意味テーマに沿っててアリなのかなとか思う面があります。「生きづらさ」について似て非なるけど、自分自身と共感できる面も多いと思いますし、SNSを使いこなせている漠さんだからこそ身に付いている漠さんなりのリテラシーやモラルは学べる面が多いかと思います。もし、本屋で見かけたときはぜひ手に取って、漠さんの“普通”に囚われない生き方や自然で美しい姿、倫理観などを感じてみてはいかがでしょうか?

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