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20230928 「なんおそ『なんかみえなくて恐ろしいやつ』」

 「なんおそ」『なんか見えなくて恐ろしいやつ』」

 不安は、なんかわからないがよくやってくる。

 具体的に何が不安か、ということがわかるときもある。でも、そういうときでさえも、だいたいがそれ自体が不安というよりは、もともとの体調が悪いとか、結局は自分の問題であることが多いと思う。健康状態であるときは、そもそもそんなに気にならないことが、不安でたまらなく感じてしまう。

 そもそも、だいたい不安なことなんて、脳のバグで、存在しないのかもしれない。不安なことの、最悪な事態を考えても、たいしたことは起きない。特に人間の悩みのほとんどが人間関係だが、人間関係の悩みなんて、たがか知れている。結局は嫌われたくないなんて、たいした問題ではない。嫌われたところで、明日の飯が食えないわけではない。嫌われて、「あー、嫌われたな、ウケる」と思えれば、飯はうまいはずだ。ただそれを、まるでこの世の終わりのように捉えてしまう自分の精神状態が、今日の目の前のご馳走も、味がしなくなってしまうだけの話だ。

 不安は、なんか見えないが恐ろしいやつとしてやってくる。いわゆる「なんおそ」だ。ちいかわみたいにかわいく名前をつければ多少はくだらないものに見えてくると思って名付けたが、たいして変わりそうではない。でも、人間の悩みって他人が聞けばだいたいがどうでもいいことだ。聞くに耐えないことも多い。いや、そんなくだらないことを、生きるか死ぬかみたいに悩んでいる人間を見るのは、とてもおもしろいのだが、自分だって同じことをやっているのだ。

 今日も飯が食える。家がある。家には風呂もあり、寝処もある。完璧ではないか?朝になれば太陽が昇ってくる、太陽ってすごくて、みんなに平等に日をあててくれる。これ以上の幸せはないのではないか?

 もちろん、人間関係はとても大事だ。それをさいきんは実感している。だからいろんなところに顔を出す。私は大人数のところが苦手で、いきなりそこで自分の最大のパフォーマンスを発揮するのは無理だ。だいたい、大人数の中で、比較的ぽつんとしている人を見つけ、その人にだけ話しかける。それの繰り返しで、気づけばみんなで話せるようになっている。いつもそういうことをやっている。時間はかかるが、とりあえず挨拶して、誰かがなにかを話して、つまらない冗談を話したら、とりあえずにこやかにしている。それだけで十分なんだ。案外、みんなそれをやれていないから。特に男でそれをできる人はあんまりいない。女性はたまにニコニコしている人がいるけど、男はだいたい不愛想で(そんなつもりもないのだろうけれど)、話している側からすると、緊張してしまうものだ。

 さいきんは精神が不安定で、どうしても不安になることが多い。人から嫌われている感覚に、特別にきっかけもないのに浮かぶことがある。これは私の症状だ。でも、少し成長したのは、それはひとりになったときにしかこなくて、だいたい寝れば解決するから、人前で見せることはない。人前ではニコニコすればいい。そしたらなんか誘われるし、誘われたらとりあえず行く。そしてニコニコする。話す必要はない。それだけだ。それだけのことを、前は軽視して、そういうことをする人を、軽蔑さえしていたんだ。

 昨日もとある会に参加して、それ自体に別に興味がさほどあるわけではないのだけど、とりあえず行って、そんなに興味があるわけでもない話を、ニコニコして聴いていた。そんなにニコニコまだできてないのかもしれないけれど、自分なりにした。そして帰って、鬱になって、メンヘラにはなったけど、しっかり八時間寝れて、そしたらもう完璧だ。そんなもんだ人間なんて。

 今日も太陽が昇って気持ちが良い朝だ。朝と夜はもう秋って感じで、明るくなった空を見ながら吸うたばこはうまい。いい時代に生まれたものだと思う。

 メンヘラのまま、今日も明るく生きていくから、これから会う人がいたら、よろしく頼みます。私はとりあえずヘラヘラして、一人の人を狙って話しかけて、またヘラヘラして生きていくから、いい加減に、適当に、生きていく。それが人生で、どうせあっという間に死んでいくんだろう。それはそれで、別に悪くないんだろう。

 「なんおそ」なんか見えなくて恐ろしいやつにやられないように、まあ心というやつなのだが、それにやられないように、今日も寝て、歩いて、人と話して、楽しく生きていく。今日もいったいどんな変なことがあるか、楽しみだ。

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