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4/1『生きていこうね』

 4月になったらしい。きっとウソだ。そんなわけがない。まだ2023年の、8月くらいだ。感覚としてはそれくらいだ。だから、4月なわけがなかった。

 私は成長しているのだろうか。そもそも何を成長と言っているのかわからない。できることは増えている。わずかだが、増えている。たとえば労働とか。すこしはできるようになった。友達が増えた。そういうことは成長といえるのだろうか。わからない。満たされない気持ちはあいかわらずある。メンヘラみたいなことだが、たまに暴れたくなる。街中で急に泣きわめきたくなる。そんな気分。もちろんやる勇気はないけど、そうなれたら楽になるだろうなと思う。
 
 いつからか泣くことができなくなって、ひねくれた怒りしか表明できなくなった。悲しいときに悲しいって言えたらいいのにな。怒るしかできないんだよな。大人になるとそうなった。子どものときはもう少し泣いてた。人間はそういう生き物なのだろうか。社会的に大人は泣いてはいけないとなっているからそうなるのだろうか。どちらでもいい。私はどんどん泣いていきたい。悲しくても、嬉しくても、泣いていきたい。泣かない人生なんて、もう嫌だ。

 感情を表明することが悪いことじゃないんだと思う。だいたい、感情が爆発していろいろ問題を起こすときは、その感情は二次的なものになってる。本当は悲しいのに、それがぶつけられないから怒りになって周りを傷つけて、自分も傷つけて、その場にはいれなくなってしまう。最初から、悲しいと言えればいい。そういう感情を大事にして言えれば、みんなと仲良くできるはずだった。はずだったんだ。結局は、私たちは幼稚園や小学校で学んだことをふたたび学びなおさなければならないんだ。大人なんて、くだらない。もちろん子供だって、くだらない。そのくだらなさを愛せるかどうかだ。

 人間ってめんどくさいから、それでたくさんの問題を起こすし、自分だってたくさん起こしてきて、振り替えると申し訳ない気持ちになる。でも、それはもう取返しがつかないことだ。私ができることはできるだけ素直になっていま目の前にいる人たちに誠実になることだし、もし周りのだれかがおかしなことをしたら、できるだけ問題を最小限にすることだけだ。

 めんどくさいね。悲しいことが多いね。四月だね。新生活だね。きっとみんなまた大変なんだろうね。私自身はなにもかわらないけど、それでもいろいろきついことは多いよ。やっていこう。やっていこうね。死なないようにね。やっぱり死んだら悲しいよ。生きていこうよ。そう思うよ。死なないでほしいって思う。君のこと、もしかしたら実際に会ったら大嫌いかもしれないけど、それでも、会わなかったらそんなことは思わないし、少なくともこんな文章を読んでくれている人だから、元気に、笑って、たまに泣いて、ともに生きていこう。そんな風に思ってる。これは本当なんだ。

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