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三国時代の笑い話。呉の姚彪が同僚に塩をあげない話は何が面白いのか?~後編【笑林】

【注意】
この記事は僅かな情報を頼りに、ほとんど推測で書いた、作り話かもしれないお話です。

こんにちは。

前回の記事から少し間が空いたとの。
うっとうしいぐらい長かったのもあり、カンタンにおさらいしましょう。

  1. 三国時代・呉で書かれた笑い話集「笑林」の「塩をあげない話」は「何が面白い」のか?

  2. 沈珩しんこうを懲らしめる話」か?「姚彪ようひょうの暴挙を笑う話」なのか?

  3. 沈珩しんこうは善人なので、「姚彪ようひょうの暴挙を笑う話」になった。完。

  4. 姚彪ようひょうの異常性格の出自を探るため調査を続行。しかし、素性不明。

  5. 第三の人物、張温ちょうおんの逸話に素行の悪い「徐彪じょひょう」が登場。

  6. 名前がそっくりな「徐彪じょひょう」と「姚彪ようひょう」の関係とは……?さらに隠された正体は?という仄めかし

ざっくりまとめるとこうです。
な〜〜んだ、短くまとめられるではありませんか。

しかし、当然上に書いてないことが10倍ぐらいあるので、詳しくは前編を御覧ください。


第七章:徐彪じょひょう姚彪ようひょう

わざわざ明言する必要もなさそうですが。
徐彪じょひょう」とは「姚彪ようひょう」のことでしょう。

徐彪じょひょうは重箱の隅をつつく人事改革を担当したひとりで。
あらゆる同僚・部下・上司を降格・減給する実行係として、大層嫌われていました。

一番の責任者は選曹尚書せんそうしょうしょ(人事部長)であった曁艶きえんです。
でも徐彪じょひょうが実行者だったために、彼の方が嫌われていたのでしょう。

そして本題の「塩の話」で曁艶きえんは登場していません。
張温ではなく、曁艶きえんの方が、姚彪ようひょうの友人役に適していそうなのに……。


それにしても。
沈珩しんこう張温ちょうおんは本名で登場しています。

なぜ「徐彪じょひょう」は「姚彪ようひょう」という仮の名前なのでしょうか?

それは、二点考えられます。

第一に、あしざまに馬鹿にしているので、いくらなんでも本当の名前は避けたという点です。

第二は、完全に私の推測です。
しかし、少し面白いことを考えました。


第八章:そして虞翻ぐほん

まずなぜ姓がようなのかという点に着目します。

よう」姓の一番有名な人物というと、おそらくしゅんです。

あの儒教において聖君に数えられるぎょうしゅんしゅんです。

儒教じゅきょう
孔子こうしを祖とする仁義礼智信じんぎれいちしんなどの徳目を説く宗教・学問。かん武帝ぶていの頃から、古代中国において広く浸透し始めた。

日本へ影響与えた初期の出来事は古墳時代、応神天皇おうじんてんのうの治世のこと。皇太子であった菟道稚郎子うじのわきいらつこには阿直岐あちき王仁わにといった渡来人の教師がいた。皇太子は彼らからじゅの教えを学んでいたと日本書紀に残されている。

しゅん有虞氏ゆうぐしと名乗っていたので、虞舜ぐしゅんとも呼ばれていました。

当時、多くの知的層に親しまれた歴史書・書経しょきょう(尚書しょうしょ)において。
舜に関する書・舜典しゅんてんの冒頭には「虞舜」の文字があります。

これは当時の文化人なら誰でも知っている常識だったのです。


また、呉には「」姓の有名人がいました。

それは偏屈な変わり者の代表格として有名な虞翻ぐほんです。

虞翻ぐほんを評した逸話に、同僚の名臣・張紘ちょうこうよりこんな話があります。

呉の二張の一人張紘が孔融こうゆうに送った手紙には「虞翻ぐほんについて、以前から色々悪く言う者どもがいますが、彼は非常に優れた才能を持った人物。そうした非難は彼を損なうものではありません」というようなものがあります。

わざわざこんな手紙を書くというのは、それだけ虞翻ぐほんを嫌い悪口を言う人がいたのでしょう。張紘がそれをなんとかフォローして回るも、当の虞翻ぐほんは多分全く意に介せず、なんて光景が想像されます。

引用:https://chugen.net/base/business4.html

張紘自体は虞翻ぐほんの才能を高く評価していたみたいです。
しかし、その悪評は他国であるに轟くほど凄まじいものでした。

孔融こうゆうの人です。孔子の子孫なのに曹操に殺された人として有名です。

つまり「」=「よう」。

虞翻ぐほん徐彪じょひょうを足して作られた架空のキャラクター。
それが姚彪ようひょうなのだ。

というのが、私の考えです。


第九章:怪物「姚彪ようひょう」の正体

笑林は誰かを批判する書物ではありません。

笑い話だけを集めた、どちらかというと平和な本です。

徐彪じょひょう」個人への悪グチ話では、洗練された爽快な笑い話になりえません。
もちろんそれは「虞翻ぐほん」に対しても同様です。


ただこの二人が持つあまりに偏屈な性格。
周囲はどう捉えていたのでしょうか?

煙たがれつつも、どこか愛すべき面白さを感じていたのではないか?
私はそう思うのです。


古代であればあるほど、塩は貴重な時代です。
それを2450リットルも川に捨てるほど、実際の二人は変人ではないでしょう。

しかし。
そこに一人のスーパー偏屈者である虞翻ぐほん
そしてこっちのスーパー偏屈者の徐彪じょひょう

親みある二人の偏屈者を融合させ、常識を超越可能な存在として生まれた偏屈キャラクター。

それが「姚彪ようひょう」なのかもしれません。


第十章:笑い話としての構成を考えてみる

姚彪ようひょうが同僚の沈珩しんこうに塩をあげずに捨てた話」の笑いどころ。

それは偏屈野郎を組み合わせた、架空のド級偏屈野郎を笑うジョークなのでした。

姚彪ようひょう」という名前を見れば。
当時の人々は徐彪じょひょう虞翻ぐほんという有名人を思い浮かべ、にやりとしていたのでしょう。

「いやその二人混ぜたら危ない!」
「案の定むちゃくちゃおかしいヤツじゃないか!」

と嫌なヤツである彼らなりに、愛された雰囲気のある冗談とも思えます。


以上が話が面白い部分の根幹なのですが、細かいギャグのテクニックも仕込まれています。


まず沈珩しんこうが、そもそも塩を百石も借りるのがオカシイという事です。

塩が無くなりそうなのは、使っている内にわかること。
あらかじめ買っておけば良いわけです。

なぜ沈珩しんこうは塩を持っていなかったのでしょうか?
その理由はなんとなく察しているのですが、それはまた後でご説明しましょう。


ひとまず、塩を持ってないのはいいとして。
ワザワザ、性格の悪い人間に借りにいくというのが、さらに面白いところです。

ここに沈珩しんこう「嫌な奴だから塩を貸してくれない」とは考えない。
分け隔てなくノホホンとした沈珩しんこうの性格が垣間見えますね。


次に。
峻直しゅんちょくという言葉に着目してみましょう。

峻直しゅんちょく
私達に馴染みがない言葉ですね。
分かりやすく言い換えれば「頑固で自分の考えを曲げない性格」と言えます。

つまり「峻直しゅんちょく」という言葉がフリになっているワケです。
わかりやすく会話調にしますと。

話し手「スゲー頑固な人がいてさ」
聞き手「へー」

話し手「塩は惜しくないけど、人にあげるのが嫌で川に捨ちゃったんだよ!」
聞き手「いやそれ頑固どころじゃないでしょ!」

というジョークの構成になっているわけです。


私も最初は気づきませんでした。

しかし、この記事を書くうえで、この話のことばかり考えていると「なんと秀逸な笑い話だったんだろう」と気付かされます。


第十一章:そもそも笑林ってなに?

さて、「塩をあげない話」は何が面白いのか?
その根本的な疑問が解消されました。

そこで、最後に笑林とは何かカンタンにご説明しましょう。


最初に説明したとおり、三国時代に集められた面白バナシ集なのですが、

実は有名な笑林には2種類あります。

ひとつが魏の邯鄲淳かんたんじゅんが編算した「笑林」、

もうひとつが呉の名臣・陸遜りくそんの孫・陸雲りくうんの名を冠した「陸雲笑林」です。
彼は「むちゃくちゃ笑う」ことで有名でした。


ちゃんと調べるまで
「魏まで偏屈ぶりが轟く徐彪じょひょうってすごいなぁ」
と思っていましたが。

呉の笑い話を扱ったものなら納得です。


この笑林はどちらも散逸してしまって、原本は見つかっていません。

他の本に引用された結果。
現存している話のひとつが「姚彪ようひょうが同僚の沈珩しんこうに塩をあげずに捨てた話」なのでした。


主な引用先は2つ。
北宋ほくそう代に著された太平御覧たいへいごらんという百科事典。
そして、太平広記たいへいこうきという神仙とか異人とか、変な話を色々集めた本です。

北宋ほくそう
日本だと平安時代にあたり、三国時代から約700年後になります。北方にりょう西夏せいかきんといった強国があり、軍事的には圧迫感のある時代でしたが、経済的にはおおむね潤い、文化的にも発展した時代でした。

しかし、末期には国力が衰え、反乱が相次ぎます。
前編で紹介した水滸伝も、実際に起きた宋江の乱が題材なのです。

そして最後は金に首都・開封かいほうを掌握され、国家は崩壊。
北宋の人々は命からがら南に遷都し、南宋を再建しました。


第十二章:「ケチな弟の兄・沈珩しんこう」と「人を見る目が無い張温ちょうおん

この太平広記では廉儉れんけんという項目に、今回の話が引用されています。

廉儉れんけん」とは。
文字通りなら「清廉で慎ましい生活をする人」と読めます。

が、分かりやすくいうと「ケチ」を上品に表した言葉でもあるのです。

つまり、ケチ話が集めたのがこの項目なのですが。
そこに沈珩しんこうではなく、弟の沈峻しんしゅんがのっています。

実は沈珩しんこう
「ケチの沈峻しんしゅんとは誰か?」という説明に、おまけで出演してるだけだったんです。

宋代までケチとして有名な沈峻しんしゅん
彼にまつわる話で、それも笑林なのですが、面白いものがあります。

【原文】
沈珩弟峻,字叔山,有名譽,而性儉吝。張溫使蜀,與峻別,峻入內良久,出語溫曰:「向擇一端布,欲以送卿,而無粗者。」溫嘉其能顯非。


【日本語訳】
呉の沈珩しんこうの弟しゅん、あざなは叔山しゅくざん、高名の士であったが、ひどいしまり屋であった。

張温ちょうおんが蜀へ使いすることになり、峻のところに、別れの挨拶にきた。

峻は奥にはいり、大分してから出てきて、
「前から布を一反いったんえらんで、あなたに餞別せんべつしようと思っていたんだが、どうも下等品がないんでね」といった。

温は峻が自分の欠点をあけすけにいうのをめた。

引用:中国古典文学体系 59 歴代笑話選 P5-P6

これはこれだけで十分面白い話なのですが。
実は張温ちょうおんが蜀へ出向くのは一つの事件なのです。

使者の任を終え、感化されて帰ってきた張温ちょうおん
蜀の政治をやたら褒めちぎるので、それが左遷される遠因となってしまいました。


この話も一見沈珩しんこうの弟である沈峻のケチっぷりを笑う話です。

しかし、粗末なハギレひとつもらえない張温ちょうおんを小馬鹿にする要素も含んでいます。

その割には、わりと悪くない評伝が現在まで残っていますし。

この話でも「ケチなところが君のいいところだよ」と喜んでいる寛容な人物として描かれています。

張温ちょうおんは自体はあまり嫌われてなかったのかもしれません。


ただよく考えると。
姚彪ようひょう沈峻しんしゅんと一緒にいる張温。

「他人の欠点もわからずに有難がるヤツ」
「人を見る目がないのに友達付き合いするヤツ」

として認識されているようにも感じます。
それは曁艶きえんという人物を抜擢した出来事と無関係ではないはずです。


第十三章:おわりに


ところで、読んでいる方の中で、どれぐらい疑問に残っているかわかりませんが。


そもそも、なんで沈珩しんこうは塩を自分で調達せず、借りにいったのでしょうか?

それはさっきの話から予測できます。

沈珩しんこうもケチだったのです。


そもそもこの昔。
学問を真面目にやっていた人というのは大概ケチなのです。

ケチだと聞こえが悪いので清貧せいひんにしましょう。

なぜみんな「清貧」だったか。
それは儒家など学問を志す人は「清貧せいひん」が良しとされていたからです。


孔子の弟子で模範的な儒者である顔回がんかいも、とにかく清貧で有名でした。
清貧ぶりは師匠の孔子も褒めそやすほどでした。

が。
彼は「清貧」すぎて、栄養失調で亡くなったのです。


沈珩しんこうも若い時から大変学問好きでした。
学問に対して真面目であるほど、ケチになっていくのは必然なのです。

誰もがケチになるわけではありません。
しかし、弟もケチなら兄である沈珩しんこうも…と考えるのは無理な話ではありませんよね。


これは全く「おそらく」の憶測ですが。
塩の話の中で、沈珩しんこう「借りる」のではなく。
「もらう」という感覚だったのかもしれません。

それも塩2450リットルという厚かましさですから……。
「まあ、川に投げ込まれても仕方ないかな」と、最後に姚彪ようひょうの肩を持って、終わりにしましょう。


もし陸雲笑林の原本が残っていれば。
ギャクマンガのキャラクターのように痛快な姚彪ようひょうの姿が、もっとたくさん読めたかもしれませんね。

架空だとしても、これほどのキャラクターなら。
おもしろ話集である太平広記に「姚彪ようひょう」の項目があってもオカシクありません。

しかし、無いということは。
太平広記が著された宋代には、すでにバラバラだったのでしょう。

いやぁ、残念、残念です。


今回はさらに文字数が増えて6000字くらいあるみたいでした。
三国時代の呉にタイムスリップしない限りは、なんの役にも立たない知識なのに…。

読んでくださり本当にありがとうございます。
もし貴方が三国時代の呉にタイムスリップした時、この知識が身を守る助けになれば幸いです。


お付き合いいただき誠にありがとうございましたm(_ _)m


【あとがき】
幸運なことに、現存している笑林の邦訳を無料公開されている方がいます。
ご興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

『笑林』全訳(仮) | ふんわり漢文( https://yomitai.hatenablog.jp/entry/xiaolin)

実は私が最初に読んだのは中国古典文学大系ではなく、こちらの訳でした。

怠惰にも訳しか読んでなかったので「"沈珩しんこうに与えるのが惜しいだけ"ってどういうこと…?」迷ってしまったのです。
すべて私の落ち度です。

原文にはない表現なので、このサイトの方も、何が面白いのかよくわからなかったのかしれませんね。

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