三国時代の笑い話。呉の姚彪が同僚に塩をあげない話は何が面白いのか?~後編【笑林】
こんにちは。
前回の記事から少し間が空いたとの。
うっとうしいぐらい長かったのもあり、カンタンにおさらいしましょう。
三国時代・呉で書かれた笑い話集「笑林」の「塩をあげない話」は「何が面白い」のか?
「沈珩を懲らしめる話」か?「姚彪の暴挙を笑う話」なのか?
沈珩は善人なので、「姚彪の暴挙を笑う話」になった。完。
姚彪の異常性格の出自を探るため調査を続行。しかし、素性不明。
第三の人物、張温の逸話に素行の悪い「徐彪」が登場。
名前がそっくりな「徐彪」と「姚彪」の関係とは……?さらに隠された正体は?という仄めかし
ざっくりまとめるとこうです。
な〜〜んだ、短くまとめられるではありませんか。
しかし、当然上に書いてないことが10倍ぐらいあるので、詳しくは前編を御覧ください。
第七章:徐彪と姚彪
わざわざ明言する必要もなさそうですが。
「徐彪」とは「姚彪」のことでしょう。
徐彪は重箱の隅をつつく人事改革を担当したひとりで。
あらゆる同僚・部下・上司を降格・減給する実行係として、大層嫌われていました。
一番の責任者は選曹尚書(人事部長)であった曁艶です。
でも徐彪が実行者だったために、彼の方が嫌われていたのでしょう。
そして本題の「塩の話」で曁艶は登場していません。
張温ではなく、曁艶の方が、姚彪の友人役に適していそうなのに……。
それにしても。
沈珩と張温は本名で登場しています。
なぜ「徐彪」は「姚彪」という仮の名前なのでしょうか?
それは、二点考えられます。
第一に、あしざまに馬鹿にしているので、いくらなんでも本当の名前は避けたという点です。
第二は、完全に私の推測です。
しかし、少し面白いことを考えました。
第八章:そして虞翻
まずなぜ姓が「姚」なのかという点に着目します。
「姚」姓の一番有名な人物というと、おそらく舜です。
あの儒教において聖君に数えられる堯・舜・禹の舜です。
舜は有虞氏と名乗っていたので、虞舜とも呼ばれていました。
当時、多くの知的層に親しまれた歴史書・書経(尚書)において。
舜に関する書・舜典の冒頭には「虞舜」の文字があります。
これは当時の文化人なら誰でも知っている常識だったのです。
また、呉には「虞」姓の有名人がいました。
それは偏屈な変わり者の代表格として有名な虞翻です。
虞翻を評した逸話に、同僚の名臣・張紘よりこんな話があります。
張紘自体は虞翻の才能を高く評価していたみたいです。
しかし、その悪評は他国である魏に轟くほど凄まじいものでした。
つまり「虞」=「姚」。
虞翻と徐彪を足して作られた架空のキャラクター。
それが姚彪なのだ。
というのが、私の考えです。
第九章:怪物「姚彪」の正体
笑林は誰かを批判する書物ではありません。
笑い話だけを集めた、どちらかというと平和な本です。
「徐彪」個人への悪グチ話では、洗練された爽快な笑い話になりえません。
もちろんそれは「虞翻」に対しても同様です。
ただこの二人が持つあまりに偏屈な性格。
周囲はどう捉えていたのでしょうか?
煙たがれつつも、どこか愛すべき面白さを感じていたのではないか?
私はそう思うのです。
古代であればあるほど、塩は貴重な時代です。
それを2450リットルも川に捨てるほど、実際の二人は変人ではないでしょう。
しかし。
そこに一人のスーパー偏屈者である虞翻。
そしてこっちのスーパー偏屈者の徐彪。
親みある二人の偏屈者を融合させ、常識を超越可能な存在として生まれた偏屈キャラクター。
それが「姚彪」なのかもしれません。
第十章:笑い話としての構成を考えてみる
「姚彪が同僚の沈珩に塩をあげずに捨てた話」の笑いどころ。
それは偏屈野郎を組み合わせた、架空のド級偏屈野郎を笑うジョークなのでした。
「姚彪」という名前を見れば。
当時の人々は徐彪と虞翻という有名人を思い浮かべ、にやりとしていたのでしょう。
「いやその二人混ぜたら危ない!」
「案の定むちゃくちゃおかしいヤツじゃないか!」
と嫌なヤツである彼らなりに、愛された雰囲気のある冗談とも思えます。
以上が話が面白い部分の根幹なのですが、細かいギャグのテクニックも仕込まれています。
まず沈珩が、そもそも塩を百石も借りるのがオカシイという事です。
塩が無くなりそうなのは、使っている内にわかること。
あらかじめ買っておけば良いわけです。
なぜ沈珩は塩を持っていなかったのでしょうか?
その理由はなんとなく察しているのですが、それはまた後でご説明しましょう。
ひとまず、塩を持ってないのはいいとして。
ワザワザ、性格の悪い人間に借りにいくというのが、さらに面白いところです。
ここに沈珩の「嫌な奴だから塩を貸してくれない」とは考えない。
分け隔てなくノホホンとした沈珩の性格が垣間見えますね。
次に。
「峻直」という言葉に着目してみましょう。
「峻直」
私達に馴染みがない言葉ですね。
分かりやすく言い換えれば「頑固で自分の考えを曲げない性格」と言えます。
つまり「峻直」という言葉がフリになっているワケです。
わかりやすく会話調にしますと。
というジョークの構成になっているわけです。
私も最初は気づきませんでした。
しかし、この記事を書くうえで、この話のことばかり考えていると「なんと秀逸な笑い話だったんだろう」と気付かされます。
第十一章:そもそも笑林ってなに?
さて、「塩をあげない話」は何が面白いのか?
その根本的な疑問が解消されました。
そこで、最後に笑林とは何かカンタンにご説明しましょう。
最初に説明したとおり、三国時代に集められた面白バナシ集なのですが、
実は有名な笑林には2種類あります。
ひとつが魏の邯鄲淳が編算した「笑林」、
もうひとつが呉の名臣・陸遜の孫・陸雲の名を冠した「陸雲笑林」です。
彼は「むちゃくちゃ笑う」ことで有名でした。
ちゃんと調べるまで
「魏まで偏屈ぶりが轟く徐彪ってすごいなぁ」
と思っていましたが。
呉の笑い話を扱ったものなら納得です。
この笑林はどちらも散逸してしまって、原本は見つかっていません。
他の本に引用された結果。
現存している話のひとつが「姚彪が同僚の沈珩に塩をあげずに捨てた話」なのでした。
主な引用先は2つ。
北宋代に著された太平御覧という百科事典。
そして、太平広記という神仙とか異人とか、変な話を色々集めた本です。
第十二章:「ケチな弟の兄・沈珩」と「人を見る目が無い張温」
この太平広記では「廉儉」という項目に、今回の話が引用されています。
「廉儉」とは。
文字通りなら「清廉で慎ましい生活をする人」と読めます。
が、分かりやすくいうと「ケチ」を上品に表した言葉でもあるのです。
つまり、ケチ話が集めたのがこの項目なのですが。
そこに沈珩ではなく、弟の沈峻がのっています。
実は沈珩。
「ケチの沈峻とは誰か?」という説明に、おまけで出演してるだけだったんです。
宋代までケチとして有名な沈峻。
彼にまつわる話で、それも笑林なのですが、面白いものがあります。
これはこれだけで十分面白い話なのですが。
実は張温が蜀へ出向くのは一つの事件なのです。
使者の任を終え、感化されて帰ってきた張温。
蜀の政治をやたら褒めちぎるので、それが左遷される遠因となってしまいました。
この話も一見沈珩の弟である沈峻のケチっぷりを笑う話です。
しかし、粗末なハギレひとつもらえない張温を小馬鹿にする要素も含んでいます。
その割には、わりと悪くない評伝が現在まで残っていますし。
この話でも「ケチなところが君のいいところだよ」と喜んでいる寛容な人物として描かれています。
張温は自体はあまり嫌われてなかったのかもしれません。
ただよく考えると。
姚彪や沈峻と一緒にいる張温。
「他人の欠点もわからずに有難がるヤツ」
「人を見る目がないのに友達付き合いするヤツ」
として認識されているようにも感じます。
それは曁艶という人物を抜擢した出来事と無関係ではないはずです。
第十三章:おわりに
ところで、読んでいる方の中で、どれぐらい疑問に残っているかわかりませんが。
そもそも、なんで沈珩は塩を自分で調達せず、借りにいったのでしょうか?
それはさっきの話から予測できます。
沈珩もケチだったのです。
そもそもこの昔。
学問を真面目にやっていた人というのは大概ケチなのです。
ケチだと聞こえが悪いので「清貧」にしましょう。
なぜみんな「清貧」だったか。
それは儒家など学問を志す人は「清貧」が良しとされていたからです。
孔子の弟子で模範的な儒者である顔回も、とにかく清貧で有名でした。
清貧ぶりは師匠の孔子も褒めそやすほどでした。
が。
彼は「清貧」すぎて、栄養失調で亡くなったのです。
沈珩も若い時から大変学問好きでした。
学問に対して真面目であるほど、ケチになっていくのは必然なのです。
誰もがケチになるわけではありません。
しかし、弟もケチなら兄である沈珩も…と考えるのは無理な話ではありませんよね。
これは全く「おそらく」の憶測ですが。
塩の話の中で、沈珩は「借りる」のではなく。
「もらう」という感覚だったのかもしれません。
それも塩2450リットルという厚かましさですから……。
「まあ、川に投げ込まれても仕方ないかな」と、最後に姚彪の肩を持って、終わりにしましょう。
もし陸雲笑林の原本が残っていれば。
ギャクマンガのキャラクターのように痛快な姚彪の姿が、もっとたくさん読めたかもしれませんね。
架空だとしても、これほどのキャラクターなら。
おもしろ話集である太平広記に「姚彪」の項目があってもオカシクありません。
しかし、無いということは。
太平広記が著された宋代には、すでにバラバラだったのでしょう。
いやぁ、残念、残念です。
今回はさらに文字数が増えて6000字くらいあるみたいでした。
三国時代の呉にタイムスリップしない限りは、なんの役にも立たない知識なのに…。
読んでくださり本当にありがとうございます。
もし貴方が三国時代の呉にタイムスリップした時、この知識が身を守る助けになれば幸いです。
お付き合いいただき誠にありがとうございましたm(_ _)m
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