無垢か邪悪か?でも今後「友情価格」はナシ!
最近の生活は、一日6~9時間やってもやっても終わりが見えない程大量の「金にならない」翻訳と、いつ来るかわからない少量の「割りのいい」翻訳、そしてメシと睡眠。
このnote一周年記事を書いた頃、私の生活は既に今現在のこの翻譯カオスな毎日に突入していた。この時点で「40ぺージ+130頁の本2冊」だったのが、今は40頁☑、130頁中の100頁までやった、という所。つまり残りまだ160頁分・・・。毎日起きている時間をほぼ翻訳していても、まだまだなかなか・・・。
この、やってもやっても終わりの見えない大量の翻譯を私に依頼したのは、私の元生徒G。かつて私から日本語を習っていたGとそのご主人は、ヤバいくらい人のいい人達。単に「日本が好きだから」という理由で日本語の勉強を始め、平仮名とカタカナも必死に覚えて、毎回のレッスンの最初には私が要求したわけでもないのに、二人して私の前で二種類の50音を書いて見せる生徒達。
生徒、と言っても私から日本語を習う生徒は皆社会人。意外にも会社の経営者が多く、G夫婦タイプは少数派。
G夫婦タイプ:ちょっと話をすると、すぐに感情移入して二人して涙を浮かべながら話を聞いて、または自分達が最近感動した事を、これまた二人して涙を浮かべながらシェアしてくれたりとか。そうして、自分達が心打たれた事象に対して、何か自分達が出来る事はないかと考えている。そんな彼女たちを見ながら、私はいつも心のどこかで、こんないい年の大人でそんなに簡単に人の言う事を全身全霊で受け容れていたら、詐欺師たちの格好の餌ではないか、と思っていたりする。
私は、日本で母が倒れた時、絶望の余り、一度香港の社会人生活を全て破棄した事がある。面接で合格を受け取ったばかりの大學講師の話を断り、日本語コーディネーターという仕事をしていた幼稚園を速攻で辞め、個別にレッスンをしていた日本語の生徒達全てにサヨナラした。
そのチョイスを選ぶのに、躊躇う事があったとしたら旦那Kとバンドの皆の事だけだった。後は全くの未練も躊躇いも申し訳なさも感じないまま、ブチンと断ち切った。みんなが私のような人間だったら、社会は到底成り立って行かないだろう。
自分の請け負うべき責任を、そうして私は全て断ち切った。
先に父が倒れた時に、私はまず会社員を辞めている。これは流石にブチンとは行かず、一ヶ月ノーティスのところ、辞めさせてもらう為に会社に言われるままに半年かけて引継ぎとサポートをしたけれど。
そうして私は母が亡くなるまで、トータル15か月の日々を日本で過ごした。
G夫婦はその時サヨナラした生徒だ。
でも、私がサヨナラを告げた時、G夫婦は二人で私に会いに来て(と言っても、どちらかと言えば私が彼女たちの家の近くまで出向いたんだけど)、二人して私を抱きかかえんばかりに激励の言葉を述べて、私達は先生の帰りを待っています。先生が帰ってくるまでに自分達で日本語のレベルもあげておきます!と決意表明をし、如何にもGらしい感じの書籍をプレゼントしてくれた。
自然療法の養生法が書いてあるのかと思いきや、「自分を肯定しよう」的な啓発本だった。
とにかく、私が日本で思う存分「娘」としての「責任」とか「思い」とか「依存心」とか「不安」とか「悲しみ」とかにどっぷり浸かり切って過ごし、納骨までして香港に戻って来た時、旦那もバンドの皆も私の帰りを温かく迎えてくれた。そしてG夫婦も他の数名の生徒も待っていてくれた。
G夫婦はすぐに私に会いたいと言い、再び、どちらかと言えば彼女たちのテリトリーに私が出向いて飲茶をした。
私が行くと、彼女たち夫婦はすまなそうな顔をしながら、はにかんだように微笑んだ。
「先生、すみません。私達は経済的な理由からもう日本語レッスンを受けられなくなりました。でも、先生とは私達の大切な友人としてこれからもお付き合いしていきたいのです。」
そして彼女たちが私にしたのは、何かのネットワークビジネスの話。
元々化粧品販売をしていたGは、その何か美容系のネットワークビジネスの話に無限の可能性と明るい未来を感じたそうで、何かすごい高いエステマシンを家に購入し、そのブランドの化粧品を詰め込んだメイクボックスを持参で来ていて、「ここに手を出してみてください」と言う。
私が言われた通りに手を出すと、そのメイクボックスは私の手を感知してシューっと自動で化粧水が私の手に噴出された。
「へ~!すごいね。」
私は素直に驚いた。
心の片隅で冷めている気持ちと、純粋に高性能なメイクボックスに驚く気持ちとが入り混じる。すぐに冷静に思ったのは「感応式プッシュで化粧品が出て来るなんてコレ電池?充電式?」メイク全種類のボトルがセットされたメイクボックス・・。それだけでも重いだろうに、さらに電池や充電式なんて、このプレゼンをするのにどんだけ重いメイクボックスを持ち歩かなくちゃいけないんだろう・・という同情。
そして何かセッティングをすれば、「数種類のファンデーションを自動で混ぜて、毎回新鮮な(何て表現すべき?空気に触れずに保管された酸化していない)調合したてのファンデーションをいつも肌に塗る事ができるのです。」
そう誇らしげに、感動した面持ちでGは言った。
そして、このネットワークビジネスの仕事で、ただで会社にいいように利用されるだけの安月給な仕事を繰り返す毎日から脱却したいのです、先生も一度セミナーに来て下さいと。
私は、彼女たちに薄っすら抱えていた懸念が的中したなと思う。そりゃ、こういうネットワークビジネスって、色々先行投資がいることだし経済的に苦しくもなるだろうな、と思う。
「こういうネットワークビジネスの商品は、確かにいいものも多いけど、勝ち組になれるのはほんの一握りの人だから、商品が気に入って自分で買うくらいにしといた方が私はいいと思うけどね。」
ネットワークビジネスの無限の可能性とやる気で燃えている二人は、それでも私の言葉を、自分達を思って言ってくれているのだと捉えたようで、真剣な面持ちで聞いていた。
「先生、すみませんがお金がありませんので飲茶は割り勘でいいですか」
と申し訳なさそうに切り出す、いかにも人の良さそうなGの旦那に「もちろんもちろん」とさも当たり前の顔をして、本当は自分達の分の飲茶代も結構厳しいんだろうな、と思いながら私は自分の分だけを払う。
その後もGたちは夫婦で交互に私をネットワークビジネスのセミナーに誘うので、しょうがないなと思いながらそのセミナーに一応顔を出し、「アップラインの人たち」の商談をのらりくらりとやり過ごし、その代わりにG達は私のライブに来た(何のギブ&テイク?)
そうして一年余りが経ち、次にG夫婦に会った時には、SNSのやりとりで結構順調に行っていると聞いていたネットワークビジネスのネの字も出なくなっていた。最初はアップラインが自分の友達をG達を経由する形にでもして数字を伸ばしていたのか、まあ、うまくいかなくて途中で諦めたんだろうな・・と淡々と思う。
この人のイイ夫婦にああいうビジネス入会を迫る詰めは、まあ無理だろうな~と思う。
「先生、今日は私達がご馳走します」
予めそう言って連れていってくれた麺のお店。
そしてGが食べている途中でおもむろにバッグから取り出したもの。それが「40ぺージ+130頁の本2冊」
今、私の日々を大幅に占領しているヤツらだ。
Gは、とある資格を目指したいのだと言う。化粧品販売、美容系ネットワークビジネス、自分もキレイになり、人もキレイにしてあげたいGが目指したい某資格本の翻訳。
「私はこれとこれ(←130頁2冊分)はもう試験に合格しました。先生には、こちらの次のステップ(←40頁分)を先に翻譯して欲しいのです。そしてこれとこれ(←130頁2冊分)も合格はしましたけど、読み物として読んでみたいのです。」
いやいやいや。軽く言うけどね。読み物として読むだけならやめとけよ💢
「いや、私を翻譯として雇うなんて無理だよ、私高いから。一文字〇〇取るんだよ。」
バックリとオファーすると恐らく思ってもみなかった高値にGは書籍とテキストブックを胸に抱えたまま凍り付いた。
胸に抱えたまま凍り付いたけど、バッグにしまいはしなかった。ただ黙って私を見つめて所在なさげに佇んだ。
そりゃそうだろ、これ何万字あるんだ一体。私も気が遠くなりそうになる。
「少し安めにしてもらえたら、お金は何とか払います!」
・・・って、なんの言いぐさだよ。私は借金取りか!?
そして、凍り付きながらも引っ込めようとしないGに、じゃあ、いくらなら出せるのかと聞いたら「〇〇くらい・・。」と言う。
私のオファーを聞いた上で、よくそんな価格口に出来るな!
という言い値に対し、私はその倍の価格を提示した。Gにとったら手痛い出費だろうけど、コレで自分のビジネスをしようと思うなら、このくらいの先行投資はしなさいよ、と思う。
倍、と言っても恐らく、私が普通に一文字計算で出す価格の10分の一くらいの値段だろう。「友情価格」ってヤツだ。
訳し始めたばかりの頃に思ったのは
「・・・何だコレ・・・。」
占いだってもう少し統計学に基づいたまともな理論を持っている。(決して占い自体をバカにしているわけではありません。ただ、何でも問題なのは、それを扱う人の側)
「美」というものは、とても感覚的で人それぞれの解釈、価値観があるので、これを一つの理論として成り立たせるのはホントに難しいと思う。
それを、さもそれっぽく理論として成り立っているかのように書いている。それっぽく書いているけど、やっぱり本当のところ明確な根拠や基準がないだけに、私から見たらとてもぼやけた表現に見える。翻譯に当てる明確な言葉を見つけるのが一番難しい感じの、日本語で読んでもよくわからないような文章だ。
だから殊の外時間がかかる上、どんだけ訳してもお代は決めた分しか貰えない、という自分で自分に課した「友情価格」にモチベーションは底辺を走り続ける。
いつ来るかわからない少量の「割りのいい」翻訳の方は、わずかこの一ヶ月の間に、わずかな文字数で、当の昔にこの大量の「友情価格」の金額を抜き去った。今私の大量の「金にならない友情価格」の翻訳を続けているモチベは、全て、もう片方の「やればやるだけお金になる」少量の翻訳におんぶに抱っこだ。
って言っても、世の中色んな場面で友達の為に力を貸す、時には金だって貸すのに、自分はどうして、この事にこんな不愉快な気持ちになっているのだと思う。友達の為じゃないか。そういう計算高い心を捨てて気持ちよくやったれよ、そう思う。なのにモチベは底辺を這いつくばるだけで一向に上がってこない。
私は思う。次こういう場面で、友達という立場の人からの翻譯依頼は「友情価格」は設けず、ディスカウント制にしよう、と強く誓う。たとえ半額でも量に比例する分、モチベは保てるんじゃなかろうか。
と結局、スッキリと友の為に動けない自分に嫌悪する。
この記事はこちらの企画に参加しています。ギリギリ間に合った、と言う事かな~?
ちなみに、この企画を知ったのは、この方、我らが「うめこさん」の記事。
・・・もう、全く何言ってんだかと思う。
私は、この「うめこさん」の記事を読む度、彼女の切り口が痛烈であればあるほどに、色んな思いを呑み込んで結局人の事ばっかり考えてしまうガラスのように繊細な「うめこさん」を思い浮かべてしまうのです。
そして私は「邪悪で浮かぶのは自分」どころか、私は常に「邪悪=私」と思いながら時を過ごしている。「私」という人間の表面積の大部分を占めるのは恐らく「何の変哲もないごく一般的な考え方」だと思うけど、心の奥底には自分でも手のつけられないような邪悪な気持ちが、大きくせり出して来る事はあまりないにしても、静かに一定量巣食っているなと思うのです。
お陰さまで