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これだけで十分なのです

こんにちは。
とある昼下がりの日向ぼっこのおはなし。

2ヵ月前までは目の前の業務に忙殺され、日々の生活の営みを疎かにしてきた。そうして、いつしか自分の心が感じていることにすら気付けなくなってしまって。

仕事を離れてからは、随分と自分の心の動きを感じられるようになった。モンブランのケーキを食べるとき心は踊っているし、窓から差し込む光が美しいと心は感動する。最近は、家の出窓に腰掛けて、日向ぼっこをしながら読書や映画鑑賞をするのが好きだ。まるで猫にでもなったような気分になる。

そういえば、高校生までは読書・映画鑑賞は全く好きではなかった。そもそも活字を読むのは苦痛で、国語の授業は何を言っているのかさっぱり。映画も友人に誘われれば観に行く程度で、18年間で観た作品は片手で数えられる程度だった。

それが大学生になった途端、年に50冊程の本と100本程の映画を摂取するようになるのだから変わったもんだ。中高生時代にそうしたものに触れていれば、また違う道を選んでいたのかもしれない。田舎の閉鎖的な場所で育った私に、未来の選択肢を与えるのは学校の先生ではなくて、「ヘアスプレー」のトレイシーだったかもしれない。そうした後悔が、本や映画・絵画などのアートに触れられるカフェを作りたいと今の私に思わせてくれている。

本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。
太宰治『如是我聞』

太宰治はそう言った。しかし、孤独を紛らわす手段は何も読書だけではないように思う。友人と遊びに出かけるのも、仕事をするのもある種、孤独だからという側面を持ち合わせている。みんな孤独だけれど、それとの向き合い方が異なるだけ。人は何よりも孤独に耐えられないのかも。

本と映画と日当たりのいい窓、それと大好きな友人・家族。
それだけで十分だな~私は。

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