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父の頼りなさは、実は強さだったのかもしれない

11月22日、産業医との面談で来月から東京本社での復職が決まった。4ヶ月もニート(休職)をしていたのに、あっという間すぎてもう少し休んでもよかったかなと今更ながら勿体無い気持ちもしている。
そんな惜しさを抱えながら、慌ただしく物件探しに断捨離、今住んでいるお家の解約手続きに追われていた。ばったばたのまま12月1日を迎え、東京でホテル生活。そんな生活を言い訳に、note更新を怠っていたけど、そろそろ綴っておきたいと思って、今久しぶりに液晶に向かって文字を打っている。


実際、転居は完了していないため未だホテル暮らしだ。出張というのか、贅沢な暮らしというのか。私はやはり自分の住処が好きだ。自分で買った家具や食器、お気に入りの本や洋服たちに囲まれ、自分だけの世界にどっぷり浸れる。ホテルは非日常であり、どこか緊張を部屋に持ち込んでいる気がしてしまう。それが故なのか、12月は妙な夢を見ている。どんな夢だったかと聞かれても、はっきりとは覚えていないのだけれど。


異動先の部署では、休職明けということもあり9時〜16時で時短勤務している。初めの方は気後れしていたが、1週間も経つと働くみんなを横目に颯爽と退社できるようになった。(ずっと時短勤務であってくれ。)
正直、この3週間ほどで分かったのは、オフィスのサバンナ並の乾燥とトイレの少なさ。それから全力疾走する大人は滑稽なことくらいだ。大した学びはまだ得られていない。


いや、そういえばある。ひとつだけ。それも私にとってとても大きな学びがある。表題の話をしようと思っていたのに、つい話が逸れてしまった。父だ、私の父の話。

私が復職して数日経った日の夜、珍しく父から突然電話が掛かってきた。何かと思えば、「お金振り込んどいたで」、と。そうそう、私は休職で貯金を使い果たしてしまい、引越しの初期費用さえも払えないワガママ子娘だった。お恥ずかしいことに、私は25歳にもなって親のスネをかじらせてもらう手の掛かる小娘なのだ。その子娘に父は怒ることもなく、こんな言葉を掛けてくれたのだった。

「いろんな人がおるし、その分いろんな価値観があるけえな。その中でも気にせんと、自分を貫きね。頑張りねえよ。」(岡山弁)

父にしてはあまりにも意外な言葉すぎて、自分がなんて返したのか覚えていない。
父はずっと除け者にされてきた。学校でも職場でも。それでも父は言い返したり、職場を辞めたりという選択をするのを見たことがない。そんな父を私は惨めで頼りないと思っていた。なんで言い返さないんだ、やり返さないんだって父を責めたこともある。そのときもやはり父は何も言い返して来なかった。

私は本当の父を全く理解していなかった。
あの日電話口から聞こえた言葉たちは、父の生き様だ。何を言われても相手にしない、スルーするという父なりの社会の生き抜き方だ。言い返す強さではなく、相手にしない強さを父は持っている。それは誰も傷付けない、真の強さ。はじめて父を尊敬した瞬間だった。(ごめん父さん、これは本当。笑)


お金が貯まったら、すぐさまATMに直行し父の口座に振り込みます。神仏先祖親に誓って。

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