今は微分、未来の自分はそこまでの間の自分という積分

昨日は同僚の先生方と話す会をやってみました。
思っていた通り盛り上がり、日は軽く跨ぎました。
その際話題に挙がったのが、やはり、 #大学生の日常も大事だ


まともに大学に登校していない1年生の子たちの状況、心が痛いですね。9月から授業はオンライン、実習はリアルと、両者併用になりそうとのこと。状況が改善されることを祈るばかりです。大学の価値ってはっきり言って授業そのものではなくて、それに付随する様々なこと、例えば価値観を180℃変えるような本と出合ったり、友人と飲み明かしたり、恩師と呼べる人と出会ったりできる、そこだと思うんですよね。。。

 
一方で、学生さんはこの状況なりによくやってるとのこと。みんな登校できないながらに LINEやTwitter を駆使して、学科ごとでグループを作ったり、見ず知らずの同級生といろんなやり方で互いに協力し合っているという。特にグループワークの授業では、Zoomで話すのが苦手な子に合わせて、そのグループはチャットでやり取りしていたりすることもあるとのこと。これは聞いてて泣きそうになりました。コミュニケーションのやり方が複数あるのは素敵だなと思うとともに、学生さんたちの機転には驚きました。

 
学生さんたちは、この状況においても何らかの自分らなりのやり方を見いだそうとしています。僕らが理解できないレベルで何とかその状況をやりくりしようという学生さんたちの可塑性はものすごく有望で、希望が持てました。この理不尽な状況で変化を起こさせられてきた学生さん達は、あと5年から15年もしたら、社会の中心にいます。そう考えると頼もしくすら思います。

 
一方で、僕らはどんどん歳をとっていて変化できなくなってしまいます。 今は学生さんにある意味上から目線で(笑)、あれこれ上等なことを言っています。しかしながら、そのような彼らが社会を動かす中心となった時には、僕らはいわゆる前世紀の年配者です。

 
そういう状況を考えるといくつかの疑問がわきました。それは、どのような自分でいると、年齢とか関係なく若い人に一緒に仕事をしたいと思ってもらえるだろうか?あるいは少なくとも若い人の自由度の足かせとならない存在であれるだろうか?各種税金の負担を負っても、仕方ないなーと思ってもらえる存在であれるか?と考えてみました。 

 
自分なりに考えて出したのは、、、「その時点での自分自身という積分値を大きくする」という答えのようなもの。微分値が大きいのは、若者かもしれないが、積分値が大きいのは年配の方の「はず」です。

 
「はず」と書いたのは、今この瞬間の判断や考えの積み重ねで、僕ら自身の未来の自分は作られるからです。つまり今という微分をその時々でどう過ごすか ー 不満を抱えて愚痴をこぼしながら、あるいは誰かのことや何かを恨めしく思いながら粗探しをして毎日過ごすのか、 唯一変えることができる自分自身にフォーカスして、何かを自分自身で選択する立場として生きていくのか ー  が結果的に、未来の自分という積分値として現れるだけということだと思います。そうしてできた積分値は、微分値の大きな若者と相補的な関係として社会の役割を担っていくことになるのだと思います。

 
年を取って体力では若い人にはかなわなくなった自分が、少なくとも若い人の足を引っ張らないような存在でいるためには、毎日の微分値を大きくなるように行動することが必要条件なのではないかなと思いました。例えば、色んな視点から物事を見てみたり、自分に思い込みがあることを前提にしてみたり、無力な自分に真っ向から向き合ったり。つまりこれは日々を丁寧に過ごすことのようにも思います。

 
学生さんは気の毒な状況ですが、僕ら社会人が考えられる「僕ら自身のこと」もたくさんあることに気づかされました。それにしても、教員ほど学びが多い仕事はないかもしれない。

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