大学生の考える「正義」とアンパンマン、そして時々仮面ライダー

先日有志の学生さんたちとおこなった議論で、ある学生さんが、マイケル・サンデルの「これから正義の話をしよう」を紹介してくれました。

その学生さんの考える「正義」とは、「多数決で人数の多い方」とのことです。何故そう思うかというと、自分自身が「意見としてマイノリティ側にいることが多いため、人数が多い方が正義となってしまうという経験」から、ある意味ネガティブにそれを捉えているといった感じでした。なるほど、自分の経験に紐付けた定義です。面白い。
  
また、別の学生さんにこの話題を振ってみたところ、自分は「正義って思い込みなんだと思います。」とのこと。つまり、「自分が正しいと思うことをやっている場合にそれを正しいと思っていたいがために使う大義名分。特に、それは自分がいいことをやっているという思い込みでもあるから、ある意味余計にタチが悪い」とのこと。なるほど世の中ナナメに見ていますねー、面白い。
  
そこに加わったもう一人の学生さんにも聞いてみました。その学生さん曰く「正義とは誰か第三者によって決められるものではなく、その当事者がやりたいようにやった結果に過ぎずその結果がたまたま人を救ったり、誰かの役に立っただけではないかと。つまり、正義の味方も自分のすべきことを全うしようとしただけであり、別にその見返りを求めたり、第三者からの見られかたを気にしているわけではないのではないかと。」ということでした。
  

三者三様で経験や価値観によって「定義」が見事に揺らいでいます。面白いのは、「正義」という言葉にポジティブな意味をあまり見出していないこと。一方で後半の2人には、全く同じものを真逆から解釈していているだけの違いです。それぞれのもつ前提が違うだけで同級生同士が全く同じものを逆から見ていることが分かって、非常に新鮮な経験をしました。
 
 先日、知人がFacebookに「仮面ライダーは正義の味方ではない」という投稿をしていました。仮面ライダーは正義の味方を目指しているわけではなく、「人間の自由の味方であり、それを守るために戦っているとのこと。」
 
一方で、やなせたかしさんがアンパンマンに込めた願いというのも「正義」がキーワードなのです。以前やなせたかしさんの本「アンパンマンの遺言」で読んで、大変感銘を受けました。戦争中に正義なんて、立場によってころころ変わるもの(正義は相対的だという考え方)と考えていたとのことです。そして戦争が終わった後、本当の正義って何だろうか?と考えたそうです。


戦場で飢えに苦しんだ経験を持つやなせさんにとっての正義とは、「敵味方関係なく、立場によって変わらないことだと考えたそう。それはすなわち「おなかのすいた人に自分の持っている一切れのパンを分けてあげること」なのだそうです。それを体現したのが、アンパンマンだそうです。アンパンマンは、人間(というか色んなキャラクター)に自分の顔を食べさせてあげ、飢えから解放しています。つまり、アンパンマンと仮面ライダーは、ばいきんや悪と戦うことではなく「自由を守る」ということが、彼らにとっての正義でありそうです。
 
先日の取り組みでは、価値観や立場、状況によって見え方が全く違う「正義」という言葉で、様々な議論ができることが分かりました。絶対的な何かではなく、各々の定義を共有し、それをあーでもないこーでもないと思考を巡らせ議論する。決して結論を目指したものでなく、むしろ話した後にモヤモヤが残る。それがその会のお土産。そんなコミュニティを作りたいなーと考えています。

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