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うちのおかんの社長の話。

うちのおかんは、息子たちが大きくなってから
長年生業としていた専業主婦を辞めパートを始めることを決意しました。

将来は新築マンションを買って老後はそこでゆっくり過ごすという大きな野望があったそうです。

うちのおかんは車に乗れません。

免許はありますが、買い物に行くたびに車を傷つけるので運転免許を親父に取り上げられてしまったからです。

自然、パート先は自転車で通える範囲から選ばざるを得ません。

職場はすぐに決まりました。

この行動力の早さはしっかり私に受け継がれているのでしょう。

ただ、うちのおかんは三人姉妹の長女で絶対君主。妹二人は下僕みたいな扱いを受けていたと聞きます。姉妹とはそんなものなのでしょう。

ちなみに私も長男ですが、弟二人はやはり下僕です。プールに行けば、弟は永遠にバックドロップ(プロレス技)の練習相手です。兄弟とはそんなものです。

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案の定、新人パートという下僕みたいな階層からスタートする職場での扱いはおかんにとっては試練だったのでしょう。

いつもパートから帰ってからは職場や上司の愚痴ばかりで、聞かされる私たちはたまったものではありませんでした。

親父からは「愚痴を持って帰るくらいなら(パートを)辞めろ」と言われてあっさりその仕事を辞めてしまいました。

「あっ、後押ししてほしかったのね」私は思いました。

ちなみに退職理由は「家事が疎かになって家族の賛同を得られなくなった」
私が部下の退職理由を真に受けなくなったのはこの日がきっかけだと思います。

しかし、新築マンション購入の野望をあきらめきれないおかんは、パート再チャレンジを決意します。

そのあと、私が知っているだけでも片手では数えきれないくらい職場を転々としていました。

そのうち、「1か月以内に辞める伝説のパート主婦」とご近所界隈でお尋ね者になるのではないかと当時の私も心配していたくらいです。
世間は狭いですからね。

でも、ある職場を機におかんは変わります。

もうおかんには自転車で通える範囲内に出入り可能な職場がなかったため、バス通勤に変わっていました。

その職場に通い出してから急に人が豹変したかのように「社長さんが素晴らしい」「みんな本当に優しい」などと職場の愚痴ではなく、賛辞を言いだしたのです。

「今度は長続きするかもしれない」と家族全員が淡い期待を抱きます。
いや、むしろみんなで念じたのかもしれません。

その願いが通じたのか…。

何とそこから定年までお世話になるまで長続きしたんです。

私たちにもその会社の商品を強くおススメするようになり、「会社でこういったものを作りたいからパソコンの使い方を教えてくれ」と言われて手伝わされたこともあります。

確か今まで手作業で集計していたものを、Excelで自動集計するファイルを作ったんです。

その集計ファイルで事務がすごくラクになったと社長から褒められたとすごく喜んでいました。

同じおかんでも上司や職場が違うだけでこんなにも仕事への向き合い方が変わるんだな、という大きな学びを得ました。

その社長は自身で事業を興された方で会社と不動産を経営されていました。

私が会社を辞めて事業を始めようとおかんに報告に行った際に、おかんはその社長に相談したそうです。

その社長からは「若いうちに色々とチャレンジさせた方がいい」「あなたが息子の成功を信じれないでどうする」等アドバイスをもらったそうで私のチャレンジに快く賛同してくれた経緯があります。

親にはお金の工面こそしてもらいませんでしたが、連帯保証人の欄に署名・捺印してもらっており、そのおかげで今の私があります。

本当にその社長と両親には今でも感謝しております。

上司と合わないなら職場を変えてもいいんだよ、という記事(後日配信予定)を書いている途中で脱線してしまったのでいつもと違うテイストの別記事にしてまとめました。




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