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「田舎」出身者が上京して都心に住みたがる理由について

※ここでいう「田舎」は、新幹線や特急を除く公共交通機関を利用した場合の、都内に1時間半以内での到着が不可能な都道府県、市区町村とします。
※わたしは田舎の方が好きなので悪しからず!長いです。

結論から言うと、「田舎者は都会の田舎に住む価値を感じていない」。

わたしは茨城県出身。
大学に進学する18歳まで、茨城県で過ごしてきた生粋の茨城県人。
生家がある地区から都心部まで出るには、各駅停車だと2時間以上かかってしまう。
これは間違いなく「田舎」だと思う。
周りの人たちも、自分たちを都会に住んでると思ったことはないだろう。

駅の方まで出てしまえばひっきりなしに車が国道を往来し、お店も増え賑やかになってくる。
それでも私が生まれたあたりは、一つの道を境にして「都会」と「田舎」に分かれていた。
あくまで相対的。そしてわたしは「田舎側」に住んでいた。
つまり何が言いたいかというと、わたしの「生自認」は田舎だった。そんな言葉はないが。

都内まで2時間ちょいなんて羨ましいよ!わたしなんてもっと遠いよ!と、関東圏外の人から言われることもある。
確かに好きなアーティストが東京でライブやるとなれば気軽に申し込める。
じゃあわたしも都会人のエッセンスを0.1くらいは持っているのかも😄と勘違いしかけてしまう…!
待て!それは危ない!全然似てないのにちょっと浜辺美波に似てるよねと言われてその気になるのと同じだ!東京が本物の浜辺美波だとしたら、神奈川は海辺美波、茨城に限っては山川美樹みたいなものなのだ。もう血縁もない別人だ。
そうやって余裕をこいていると、都内のホームの騒がしさと熱気でダメージを受ける。五感全てが騒がしい…。
※わたしは人混みが嫌い
新宿駅は特に苦手だ。

大学時代は関東圏外で過ごした。
空気が綺麗でとても心身に合っていた。
それでも就職活動の時期になると、新卒の若くて体力があるうちは日本の全てが集まる東京で就職してキャリアを築いてみたいと思ったのだ。
いざ、内定受諾。
いざ、家探し。

どこに決めたと思います?
西荻窪です。
一緒に上京した大学同期(本人曰く東北のど田舎出身)も、新宿から電車で15分のところに家を決めていた。

これが東京生まれ東京育ちからすると「田舎から上京したおのぼりさん」の判断らしい。

だってだって、中央線沿いに住んでいればどこにだって行きやすいじゃん!
仕事も遊びも無双じゃん!

その主張は華麗にスルーされた。
わたしをおのぼりさんといった彼は府中に住んでいる。遊びに行ったことがあるが、自然が多く、落ち着いていて、かといって活気がないわけじゃない。とっても気に入った。
かくいうわたしはその時西荻窪の、安さで決めた木造二階建てのボロアパートとその隣人の騒音に辟易し、すでに都外に引っ越していた。
(住んでいたのは半年。。)

この時私は気づいたのだ。
なぜ「田舎から上京したおのぼりさん」が都心に住みたがるかを!
わたし含む田舎から上京したおのぼりさんは、都内に住むのなら都会の恩恵を受けられる場所に住みたいのだ。どうせなら。
ちょっと落ち着いた田舎に住みたいな、と思ったらもうそれは地元に帰っているのと同じなのだ。
上京組で、田舎に生家がある人たち(特に上京ほやほや)は、都会で失敗した時の逃げ道として「地元」がある。
だったら挑戦できているうちは都会らしい都会に住みたいのではないか?

一方で都会で長く暮らしてきた人は、都会の環境や恩恵が当たり前に受けられる心構えである。電車?3分後には来るからそれでいいよ。渋谷でイベント?あー明日行っちゃう?そんな心構え。恵まれものめ!(?)
だからわざわざ人混みや活気のあるハブ駅近くに住まなくても、「いつでも行ける」
「いつでも手に入る」気持ちの余裕がある。
都内近郊に住むというメリットと、のんびり暮らせる街に住みたいという希望を天秤にかけて、そのふたつが両立した、いわばシーソーがふわふわ中立を保ったところを選ぶ心の余裕があるのだ!

という話。

確かに、昔テレビで放送していたボンビーガールも都心で物件を探すのに、信じられないような好条件をあげて周りを困らせていたな。

だから、わざわざ上京したての田舎者は都会を目指すのではないかという話。


この文章を書いた時、
西国分寺駅のホームで武蔵野線を待っていた。いまだに電車がホームに向かって遠くからやってくるのを、少し楽しみにしている自分がいる。電車を待つのは嫌いじゃない。小中高大、すべてバスか徒歩で通学をしており、電車通学に縁がなかった私にとって、電車というのは冒険的な、非現実的な移動手段であった。

ふとホームに目線を移すと、中学生と見られる女子3人が華やかな声をあげてけらけらと笑っている。
学生はもう春休みなのかなと思うと同時に、その屈託のない若い笑顔に自分を投影しようとして、それが出来ないことに驚いた。

もので溢れ、手に入らないものがない東京。煌びやかで華やかで、どこもかしこも人で溢れている。
そんな東京に対する幼少期から根付いたイメージがまだ完全に払拭できていない。
田舎と、都会。その対比に縛られ続けている。
あとどのくらい今の仕事を頑張れば、その対比から解放されるだろうか?都会の環境が馴染むだろうか?

少し寂れた駅のホームで、自分が思ういちばんの服を着て、少し緊張して列車を待つ自分の面影は、西国分寺駅のホームでゆるりとリラックスした表情で笑い合ううらわかき女子たちからは見出せなかったのだった。

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