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空に手を透かす

からんと乾いた公園の敷石の上には、すっかり干からびて切れ切れにちぎれた幾匹ものミミズの死骸が、かつて生きていた時の湿り気だとかぬめり感だとか、そんな名残なんて全く感じさせないくらい、恐ろしいほどの沈黙をもって、厳然と木っ端のように散らばっていた。この世の中はあらゆるものの死骸で満ちている。

あまりに高いヒールのサンダルを履いてきてしまったわたしの歩調ののろさをものともせず、あの子はいかにも愉快そうにずっと先の方へと自転車をこいで風のように走っていく。あの子は自転車に乗る振りをして本当は風に乗っているのだと、遠くに見える後姿を見ながらそう思う。「おーい、おか?」遠くへ行き過ぎてすっかり姿の見えなくなってたあの子がわたしの方へ自転車を駆って戻ってくる。「おか?」それが最近あの子がわたしの存在やら姿やらを探し求める時のいわゆる定型句。「おかあさん」の「あさん」を省略して語尾を疑問形みたいにしりあがりに発音する。「おか?」それはまるで迷子になってしまった動物の雛が、生き残るためなんとか自分を庇護してくれる母親を探しだそうと発する、本能的としてプログラムされた、それ専用の特別な高い周波数の声で鳴いているみたいに聞こえるからすごく素敵。
 
大きな池を囲むこの公園にはいつだって水の粒子を含んだ風が吹きわたる。水の音ってどうしてこんなに心地よく響くんだろう?きっと何かからくりがあるのに違いない。池にかかった大きな橋を渡りながら、もう池の向こうずっと遠くまで走っていってしまったあの子の小さな後姿を目で追う。転びませんように、頭のおかしな奴がやってきていきなりあの子のことをナイフで刺したりしませんように。馬鹿みたい。だけどきっとこの先、どんどん成長してゆくあの子の後姿をこうしてずっと遠くで見守りながら、切ないような気持ちで神様に祈ることぐらいしかわたしにできることなんてないのだから。
地球上に生息を許された、一生物としての宿命。切なさを内包した、一生物。

数人の女の子たちが汗をかきながらバーベキューをしてる。その隣のベンチには中学生の部活帰りの女の子たちがお弁当を食べている。そのとなりのベンチには一切合財の持ち物を自転車にくくりつけたホームレスがベンチに仰向けに寝転がったまま空に手のひらを透かしてみてる。みんな生きてる。ただホームレスだけが生きてる証明を求めて空に手のひらを透かしてみせる。

帰りに寄った郊外型大規模小売店舗のおもちゃ売り場では何匹ものカブトムシが虫かごの中斜め45度、奇妙な角度で空っぽの昆虫ゼリーの容器と一緒に転がって仰向けになって死んでいた。その何も映さない黒く鈍い光のない目と、プラケース越しに見えるとげとげした動かない何本もの足がいかにも俺は非業の死を遂げたのだと恨みがましく語っている。誰にも気づかれず、量販店の暑く明るいスポットライト下で、資本主義社会に中途半端に参与して、結果じわじわと無意味に乾いて死んでゆくカブトムシたちの無念さをどこにどう片付けたらいいのだろう?


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