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旧・烈震(震度6)まとめ

【はじめに】
現在、気象庁震度階級で最大の地震の揺れを表すのは「震度7」。初めて「7」が適用されてから25年が過ぎました。
しかし、明治時代に始まった地震観測において事実上の最大震度だったのが「烈震」でした。100年以上、トップの座に居続けたと考えられる訳です。

20世紀に入って、震度を言葉だけでなく「数字」で表すようになりまして、「烈震=震度6」と定められました。(強・弱に分かれる前の表現です。)

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ただ全国に数千箇所、計測震度計がある今の感覚で「震度6」というのと、気象官署の職員などが体感で震度をはかってきた「昔」とでは、意味合いが少し変わってくると思います。

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そこで今回の記事では、「旧・烈震(震度6)」について「拡張」させて、日本の地震史を振り返っていこうと思います。

~1918年:資料断片的時代

明治時代には地震観測が始まり、震度階級・表現も様々な試行錯誤を繰り返してきましたが、この記事を起稿した2020年6月現在、気象庁の「震度データベース」で検索できるのは、1919年(大正8年)以降のデータのみです。

それでも、ここ数年で100年近く前のデータの解析が完了し、『気象庁地震カタログ』に追加されたからこそ、「震度データベース」などを検索すれば手軽にデータを検索できる様になった訳なんですが。

(参考)『1919 年から 1921 年の震源決定の概要』
2.今回の解析の概要
1923 年 8 月以前の震源決定は、気象庁の地震調査原簿(各地の検測値データを集約したもの)が関東地震で焼失したため極めて困難となっています。

4.今後の解析について
(地震観測原簿を中心に震源決定を行う、1912年~)1918 年以前の解析結果については、数年後程度を目途に公表を予定しています。

それ以前については、現状、「震度データベース」で調べられません。

ただ、
例えば『明治・大正時代の震度観測について-震度データベースの遡及-』「表1.各資料の収集状況と震度資料の注意」をご覧ください。 ↓

このように、判明しているデータをかき集めるだけでも、断片的に「烈震」の観測例を、補うことは可能そうです。
(私でも、『地震調査原簿』などを確認すれば分かるのかも知れませんが、今回は対応するであろう地震を列挙するに留めておきます。)

1891年:6回 「濃尾地震」
1892年:2回 
1894年:3回 「明治東京地震」「庄内地震」
1896年:1回 「陸羽地震」
1901年:1回
1905年:1回 「芸予地震」
1909年:1回 「姉川地震」
1911年:1回 「喜界島地震」
1914年:1回 「桜島地震」
1915年:1回 

1919~1948年:体感7段階時代

気象庁の「震度データベース」では、現状、1919年から現在までのデータを検索することが出来ます。最大震度が「6」だった1948年までの「震度6(事実上の最大震度)」を纏めていきます。

(01)1923年 関東大震災

1923/09/01 11:58:31.6 神奈川県西部 23km M7.9
烈震:熊谷、富崎、東京、横須賀、甲府

(02)1924年 丹沢地震

1924/01/15 05:50:14.8 神奈川県西部 0km M7.3
烈震:甲府 、 強震:熊谷

「関東大震災」の4ヶ月半後に、神奈川県を震源に起きた内陸大地震。東京等では中震との報告になっていますが、「烈震:甲府、強震:熊谷」という広範囲で強烈な揺れがあったことが想定される地震です。

(03)1925年 北但馬地震

1925/05/23 11:09:47.6 兵庫県北部 0km M6.8
烈震:豊岡

(04)1927年 北丹後地震

1927/03/07 18:27:39.2 京都府北部 18km M7.3
烈震:豊岡、(京都府宮津) 強震:福井、敦賀、京都、洲本、奈良、福山

(05)1930年 北伊豆地震

1930/11/26 04:02:46.9 静岡県伊豆地方 1km M7.3
烈震:三島 強震:横浜、(横須賀、沼津)

(06)1935年 静岡地震

1935/07/11 17:24:48.3 静岡県中部 10km M6.4
烈震:静岡

(07)1941年 長野地震

1941/07/15 23:45:26.8 長野県北部 5km M6.1
烈震:長野

(08)1943年 鳥取地震

1943/09/10 17:36:53.5 鳥取県東部 0km M7.2
烈震:鳥取 強震:岡山、萩

(09)1944年 昭和東南海地震

1944/12/07 13:35:40.0 三重県南東沖 40km M7.9
烈震:御前崎、津
(委託:諏訪、豊浜、赤羽根、大野、津島、四日市、大杉谷)

強震:福井、敦賀、甲府、浜松、名古屋、亀山、尾鷲、彦根、奈良

(※)1945年・三河地震、1946年・昭和南海地震は「最大震度5」

(10)1948年 福井地震

1948/06/28 16:13:28.8 福井県嶺北 0km M7.1
烈震:福井

1948~1996年:体感8段階時代

震度7(激震)の導入
震度7は1949年の1月の「気象庁震度階」改訂により新たに設けられた階級である。これは、1948年の福井地震を受けて、地震による被害を震度6(当時)では適切に表現できないのではないか、という意見が出たためである。

(注) 1952十勝沖地震、1964新潟地震、1960年代の松代群発地震、1968日向灘地震、1968十勝沖地震は最大震度5。24年間「烈震」の登録なし。 

(11)1972年 八丈島東方沖地震

1972/12/04 19:16:10.3 八丈島東方沖 54km M7.2
烈震:八丈島

(12)1982年 浦河沖地震

1982/03/21 11:32:05.7 浦河沖 40km M7.1
烈震:浦河

被害は浦河町とその周辺に集中した。浦河町では、ブロック塀や自動販売機がバタバタと倒れ、電柱や煙突も傾いた。窓ガラスもほとんどが割れ、地面に散乱した。地震観測の最前線となった浦河測候所では3台ある地震計のうち2台が落下し、破損。そのうちの1台は、地震を感じるセンサーのバネが折れた。さらに、大通りの商店街は軒並み損壊。モルタルの壁がそっくり剥がれた店もあった。

これに対して、震度観測点の不足、観測員の主観による精度不足、震度5以上の被害のばらつきなどの問題点、震度発表の迅速化などの課題が浮上したことで、無人観測可能な計器による震度観測が検討されるようになり、1985年(昭和60年)には気象庁内に震度の計測化を検討する委員会が発足した。1988年(昭和63年)には同委員会の報告に基づいて震度計による計器観測を試験的に開始、1994年(平成6年)3月末までに観測点すべてに震度計を設置した。

(13)1993年 釧路沖地震

1993/01/15 20:06:07.2 釧路沖 101km M7.5
烈震:釧路 強震:浦河、帯広、広尾、八戸

(14)1994年 北海道東方沖地震

1994/10/04 22:22:56.9 北海道東方沖 28km M8.2
烈震:釧路、(厚岸) 強震:浦河、広尾、根室(足寄、中標津、羅臼)

(15)1994年 三陸はるか沖地震

1994/12/28 21:19:20.9 三陸沖 0km M7.6
烈震:八戸 強震:青森、むつ、盛岡

(16)1995年 阪神・淡路大震災

1995/01/17 05:46:51.8 大阪湾 16km M7.3
激震:神戸市等阪神淡路地域
烈震:神戸、洲本 強震:京都、彦根、豊岡

1996年~ 計測10階級時代(参考「旧震度」)

1994年(平成6年)12月28日の三陸はるか沖地震、1995年(平成7年)1月17日の兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)などの大地震が相次ぎ、震度5や6の地域で被害の程度の幅が広かったことや、震度7の判定に時間がかかった(気象庁地震課機動観測班の実地調査が必要だった)ことが課題として浮き彫りとなった。
これにより、より細かな被害の判定を迅速に行うことが求められた。

1996年(平成8年)4月1日の震度階級改定により、体感による観測を全廃して震度計による観測に完全移行するとともに、震度5と6にそれぞれ「弱」と「強」が設けられて10段階となった。
これに伴い、「微震」・「軽震」などの名称は廃止され、従来の説明文に相当するものとして「関連解説表」が新たに作成された。
また、例外的に被害率で判定することとされていた震度7も震度計による観測に統一され、計測震度6.5以上を10段階中の震度7とした。

ここからは、1996年度以降も、気象官署などで「震度6」以上が観測された地震を、通番にしてご紹介していきます。
(いわゆる「旧震度」と私が勝手に呼んでいる地震のことを指します)

(17)2000年 鳥取県西部地震

2000/10/06 13:30:17.9 鳥取県西部 9km M7.3
烈震:境港(6強:日野町)
強震:米子、松江

(18)2003年 三陸南地震

2003/05/26 18:24:33.4 宮城県沖 72km M7.1
烈震:大船渡、石巻

(19)2003年 十勝沖地震

2003/09/26 04:50:07.4 十勝沖 45km M8.0
烈震:浦河
強震:苫小牧、帯広、広尾、釧路

(20)2003年 十勝沖地震(余震)

2003/09/26 06:08:01.8 十勝沖 21km M7.1
烈震:浦河
強震:むつ

実はこの十勝沖地震が、昭和以降で初めて「一連の地震活動で2度の烈震」を観測した事例となりました。
(何となく体感時代なら「一回り小さい余震」は階級を1つ落としていた?という主観的なバイアスが掛かっていた気もしますが、それは別記事で。)

ちなみに、青森県の【むつ】では、本震(M8.0)よりも、この余震で揺れが大きくなりました。(北海道内は【浦河】以外は全て「4」以下に)

(21)2007年 能登半島地震

2007/03/25 09:41:57.9 能登半島沖 11km M6.9
烈震:輪島(6強:穴水町、七尾市)

(22)2009年 駿河湾地震

2009/08/11 05:07:05.7 駿河湾 23km M6.5
烈震:御前崎(6弱:伊豆市、焼津市、牧之原市)
強震:静岡

(23)2011年 東日本大震災

2011/03/11 14:46:18.1 三陸沖 24km M9.0
震度7:宮城県栗原市
烈震:大船渡、仙台、石巻、小名浜、水戸、柿岡

「震度データベース」の登録データとしては、烈震6地点は歴代最多。関東大震災の烈震5地点以来、88年ぶりの広域にわたる烈震でした。

(24)2011年 宮城県沖地震(余震)

2011/04/07 23:32:43.4 宮城県沖 66km M7.2
烈震:大船渡、仙台、石巻
強震:盛岡、新庄、福島

「東日本大震災」の余震活動は広域で顕著でしたが、旧震度網で「烈震」を記録したのは、この4月7日の地震のみです。(2020年6月現在)

(25)2016年 熊本地震(前震)

2016/04/14 21:26:34.4 熊本県熊本地方 11km M6.5
震度7:益城町  烈震:熊本

(26)2016年 熊本地震(本震)

2016/04/16 01:25:05.4 熊本県熊本地方 12km M7.3
震度7:西原村、益城町
烈震:熊本、阿蘇山

強震:佐賀、人吉、大分、雲仙

「熊本地震」は、史上初めて「震度7」を2度観測した地震として報道されましたが、旧震度の観点からしても、『烈震を一連の地震活動で2度』観測するのは、十勝沖地震以来13年ぶり2例目で、内陸地震では昭和以降初。

前震では中震だった【阿蘇山】でも、本震では烈震を記録するなど、規模の大きさに比例して、4月16日深夜の揺れの方が軒並み大きくなりました。

おわりに

「旧・烈震(震度6)」に繰り返し見舞われてきた日本列島。体感での時代と同じ観測点で基準を揃えてみると、計測震度の21世紀に入ってからでも『10回』もあることが分かりました。

単純に置き換えて当てはめることが難しいものではありますが、過去の地震と比較をする際のヒントにして頂ければと思います。

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この表が更新されることが無いことを祈るばかりですが、地震大国・日本に居る限りは避けられないでしょう。この表を参考に、地震への備えの気持ちを新たにして下さいますよう。それではまた次の記事で。

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