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【移住雑記 半年】僕とコアラと雪の重み

春、と呼ぶにはまだ早い。

長い冬が終わる前の、雪融けの季節。何十年に一度と言われた大雪の重みのせいで、久しぶりの再会だというのに、すっかりくたびれた道路沿いの仲間たち。あと少しあと少しだけ、猫背のガードレールは呼吸を整えている。

お疲れ様、春が来るまで休んでおくれ。

更新をさぼっていたというよりも、言葉にしたくないことが多い。形を持たない時間そのものの重みが生々しく、嬉しかったり落ち込んだりする2カ月だった。気が付けば北海道に来て、半年が経つ。

トンカツにまみれた無茶苦茶な食生活も少しは改善した。朝食はバナナと小松菜のスムージーに季節のフルーツとプロテインを入れて、モデル並みの志をもって1日を始める。大好きなコアラのマーチも、頑張った日だけにしている。自分の体重は標準に戻りつつある一方、1袋当たり23個入っているコアラ一匹の重みが増した。

話は変わるが、行きつけのコンビニの店員さんが、僕のことを「かつ丼かっちゃん」「コアラさん」ではなく、「黄色い車の人」と呼んでいることも判明した。どうも、黄色い車の人です。いつもお世話になっています。


公営塾には、生徒が少しずつ来るようになった。

塾と呼ぶにはあまりにヘンテコな場所のヘンテコな置物に触れて、興味を示す彼ら彼女らの表情がきらきらひかる。教室として借りている部屋も、壁を塗って黒板にしたり自習用のブースを置いたりして、いつ来てもワクワクできるような仕組みを日々考えるけれど、反応の良い生徒はそれだけにとどまらず、町に出ていくことにも興味を持っていることがたまらなく嬉しい。厚真の名産品、ハスカップを使ったクレープを一緒に食べに行ったり、日頃僕がお世話になっている方のお店に遊びに行ったり、海を一緒に見たり。半年を経て「そうだ、ここから始まるんだ」という実感がようやく持ててきた。

たとえば、生徒が公営塾に置いていった座布団1枚に感動する。

「ここは私の場所」といつも同じ場所に座る生徒や、こんなものがあったら面白いと一緒に考えてくれる生徒の、ひとつひとつが僕はどうしようもなく嬉しい。その嬉しさはこの「半年」という時間そのもので、まとまった形やどんな言葉にしたところで、その感動の一部はこぼれてしまう。僕たちが連れていく場所や見せるものは、これまで出会った人たち、連れて行ってもらった場所、過ごしてきた時間のすべてをそっと彼らに手渡すような感覚。本当に小さい変化、少しずつではあるけれど確かに彼ら彼女らにとって公営塾、あるいは厚真町が「じぶんたちの場所」になりつつある、と思う。

焦ったりしんどくなったりすることもあるけれど、大切なのは一瞬の積み重ね。ぎゅうっと胸が締め付けられるその感触を、その時の自分だけが体験できる一瞬を、大切にしていきたい。

最近、厚真の空にきれいな鳥の群れが見える。その群れが向かう先を僕はまだ知らない。春、と呼ぶにはまだ早い。




最近、生徒が撮ってくれた僕と相方の写真がとても良かった。


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