いよいよ寒くなってきた。北海道に来てから、大きく風邪を引くことはめっきりなくなったけれど、毎年この秋から冬の、寒さがぐんと深まる時期に僕はいつも首を痛める。その原因は、寒くて肩に力が入ってしまうせいだと勝手に思っている。最初の年も、その次の年も、信じがたいほどの首の痛みは必ずやってきた。
首の痛みっていうのは、本当に生きる力を削いでいく。何をしていても常に首の痛みがそこにある。その間はほとんど人とのコミュニケーションもまともにとれない。視界の全てに、会話の語尾の全てに、五感を通じてふれる世界の一つひとつの終わりに、「っくぅ(首が痛い)」という呪いが付き纏う。
そして、今年。なぜだろう、首の痛みがまだ来ない。「そろそろか」という予感や、「あ、いま危ないかも」という長年の勘はありつつも、まだ首は痛くない。
ちょうど北海道で寒さがぐんと深まる時期に、旅に出ていたおかげも少しはあるんだろうか。「首が痛くない秋。」今度から好きな季節を聞かれたら、そう答えようと思う。
5. 「ただ生きる」 9月7日掲載
【裏話】 わからないまま書き続ける
2018年9月6日の胆振東部地震から5年、震度7を記録した厚真町。この町に移り住み、いま生きるものとしてできる限り正直に、嘘のない気持ちで文章を書いた。このコラムの700字はこれまで書いてきたどんな文章とも違う体験になった。書いて、声に出して読んで、その録音を聞いて、をひたすら繰り返し、編集の方とも細かい部分についてじっくり考えた。わかりやすさよりも、正直な言葉を選んだ。迷いや葛藤もそのまま詰め込んだ。このコラムを受けた時に向き合おうと思っていたことのひとつだったので、どういう形であれ掲載まで持っていけて良かった。逃げなかった。
内容に関して賛否はきっとあるはずだけれど、読んだ方からいろいろな感想をいただけた。「声に出して読んだよ」という感想は、この先ずっと忘れないと思う。
わかりきったことや正しいことだけを表現するのが文章の役割ではないのだと、自分自身に言い聞かせるように、この日の文章を胸にしまう。
6. 「入れ替わってる?」 9月28日掲載
【裏話】 遠い町
仕事でものすごい疲れていた時の話。あまりに前回のコラムに神経を使い過ぎていたので、この町のことを書くの今回は一旦やめて、なんとなくふと思い浮かんだ話を書こうと思った。四ツ谷の町も僕が過ごした大好きな町のひとつなので、いつか書きたかったので良かった。ちなみに「君の名は。」自体はそこまで好きな映画ではない。「入れ替わってる?」というオチも、結構無理やりつけた。燃え尽きかけていたので、「肩の力を抜いて書く」という裏テーマを持っていた。出来上がりは個人的に正直あまり良い文章ではないな、といった感想。
このコラムを書いてから、先日の旅のなかでも四ツ谷に寄るタイミングがあった。訪れる度に増えていく駐車場はもはや笑ってしまうほど。
深夜によく行っていた100円ローソン。深夜の誰も来ないような変な時間に同じカップ麺と同じエナジードリンク、同じ煙草をほぼ毎日買っていた。そんなことをしているうちに夜勤の店員のひとりが、僕のことを覚えてくれた。ラジフという名前の店員は、バングラディシュ人だった。少しずつおしゃべりするうちに仲良くなって、仕事がほとんどない時はお互いの身の上話なんかをカウンターでダラダラ話していたりした。僕が北海道に行くより先か、同じくらいにバイトを辞めたラジフ。いつかバングラディシュで会えたりしたら面白いな。
家の前の坂道にも、いろんな思い出がある。誰かを追いかけたり、誰かに追いかけられたり。ほとんど後悔しかないようなその坂道を、懐かしい気持ちで歩けるのは、もうそこに僕が住んでいないからかもしれない。駐車場が増え過ぎたせいかもしれない。いずれにしても、あの日々も、そのなかで出会った人たちも、いまは遠い町。遠い町に変わらず元気に生きていてほしい。
7. 「木を抜いた」 10月19日掲載
【裏話(はない)】 書く時に聴いていた音楽のまとめ
前々回は力をぐんと入れて、前回は力をぐんと抜いて、緩急のなかでほどよいバランスを保ちながら文章を定期的に書き続けるのは難しい。また、ブログと違って媒体のトーンに合わせて書くことを意識し始めると、どうも僕はチグハグになってしまうことも最近はわかってきたので、あまり色々なことを考えずにその日々の中で思ったことを書き続ける筋肉をしっかりつけていきたい。
今後とも、苫小牧民報「ゆのみ」でのコラム連載は続くので、応援の程よろしくお願いいたします。