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デートのお会計問題に関する一考察―喪女の視座から―

1.はじめに

今回私がこのような記事を書こうと決めたきっかけは、巷(ここでは社会的通念や恋愛コラム、恋愛指南本等を指す)に溢れる「デート代は男性が全負担すべき(特に初デート)」というアドバイスに対して感じる違和感を言語化して残したいと考えたことである。

このnoteを男性が読むのかは定かではないが、このnoteを通じて私が伝えたいことはただ一つ、「奢られることが負担になる人もいる」ということである。
先行研究(恋愛コラム)を何件か確認してみたところ、先述のような意見はどこにも存在していなかったため、このnoteにもそれなりに存在意義があるのではないだろうかと考えた次第である。

あくまでこの考察は生粋の喪女である私の考察であり、個人の見解に過ぎないため、社会の多数派の意見を言っているわけではない点はくれぐれも留意していただきたい。(=「奢らなかったら振られたんだが!」という苦情は受け付けない、の意)

このnoteではなぜ喪女(私)が奢られることを負担に思うのか、ではどのような対応をしてくれると嬉しいのか、ということについて述べる。
つまり、私を落としたい方は必読だが、それ以外の方にとっては参考にならない可能性が非常に高い。冷蔵庫の音に耳をすますくらいに暇な人にしかおすすめできない、というのが正直なところである。

2.一般的な解釈の再確認

まずは一般的にこの「デートのお会計問題」がどのように解釈されているのかを再確認しておく。

①男性が奢るべきという風潮がある
これはなんとなく男性が奢るべきだという風潮があり、それに従っているというものである。男性もなんとなく奢らないとダサいとかケチくさいとか思われてしまうのではないかというプライドがあり、女性も奢られるものであると感じているため、奢られなかったときにがっかりしてしまい男性への評価も下がってしまう。だから男性が奢るべきなのだ。

②デートに応じてくれたことに対する対価
男性は女性にデートに「応じていただいた」のだから、その対価としてデート代は負担すべきであるとするものである。その上、女性はデートのためにメイクやファッションに男性よりも多くのお金と時間をかけてくれているため、その費用等も考慮すると男性が負担するのが妥当である。

③経済的に男性の方が豊かであることが多い
男女平等が叫ばれてから長いが、いまだに男女間では経済力に差があることが現実である。したがって、経済的に豊かな男性がデート代を負担することは当然である。これは年上が年下に、先輩が後輩に、と同じ原理である。

すべての解釈を網羅したわけではないため、分析に漏れがあるかもしれないが、ざっとこのように考えている人が多いのではないだろうか。
多くの先行研究(恋愛コラム)では、上記のような解釈を根拠に「だから男性が奢るべきだ」という結論を出している。

3.なぜ「奢られたくない」のか

では早速考察に入っていく。そもそもどうして「奢られることが負担である」と感じるのかの理由を述べていきたい。

①平等な関係でありたいから
正直この理由に尽きるのだが、奢られてしまうことで奢る⇔奢られるという上下関係が形成されてしまうことに抵抗があるのである。
「何を言っているんだこいつは」とお思いの方もいるかもしれないが、この上下関係によって、相手の男性に対して借りがあるような心理状態に陥ってしまうことが嫌なのである。この状態に陥ると、一回目のデートで「無いな」と感じたとしても、奢ってもらった恩があるため二回目のお誘いを断りにくくなってしまう。
加えて、奢られることで「女性」という社会的アイデンティティーをより明確に意識させられるような印象を受ける。考えすぎなのは重々承知なのだが、呆れずに聞いてほしい。上下関係が生まれることへの拒否感は、ここにあるのではないかと個人的には考えている。私の場合、男性に奢られたり、レディーファーストで扱われると、「女性らしくしていろ」と言われているような窮屈さを感じてしまう。つまり大人しく、謙虚に、男性をたてていろ、とそんな役割を押し付けられているような感覚があるのである。
もちろん奢ってくれた男性はそんなことは全く思っていないのかもしれないが、どうしてもそう感じてしまうのである。だから最初から奢られることはしたくない。
そして、これは非常に感情的な理由だが、「男性に舐められたくない」という気持ちもあるにはある。私はまだ大学3年生の社会に出たこともない小娘だが、自分にかかるお金を自分で払える程度の経済力はある。
だから自分の食事代くらい自分で払えます、あなたに奢っていただく必要はありません、と多少の抵抗も含めて思うのである。これでなぜ私が男性にモテないのかわかっていただけたかもしれない。

②純粋に申し訳ないから
超絶感情的な理由になっているが、奢ってもらえた喜びよりも純粋に申し訳ない気持ちが優るのである。
男性側も生きていればお金がかかるはずだし、デートの際に共有している時間は同じであるし、女性が準備にかける時間や美容代はあくまで自己満足であるため男性が負担するべき部分ではないと私は捉えている。
したがって、先述の「デートに応じてくれたことに対する対価」には全く賛成できない。なぜ男性が女性に対して「応じていただいた」という考え方をする必要があるのだろうか、女性側にそもそもそんなに価値はあるのだろうか、と疑問に思ってしまう。もちろんこれは私自身の自己肯定感が低いことも関連しているのかもしれないが、女性がもてはやされるのはなんだか不公平である気がしてならない。

③お金のかかる女になりたくないから
これは「男に追われるために女としての価値を上げろ!」的なマインドの方の反感を買いそうな理由なのだが、私はお金のかかる女にはなりたくない。
特に自分も好意を持っている方とのデートであったら尚更お金のかかる女にはなりたくない。デートへの男性側のコストが大きく、あまりたくさん会えないのならば、一回あたりのコストを下げてたくさん会えた方が良くないか?と思うのである。モテる女の人はこんなこと思わないのだろうと今ふと思ったが、少なくとも男性に全くモテない私はそう考えている。

以上が私が男性に奢られることを負担に思う理由である。

4.おわりに

これまでなぜ喪女(私)が奢られたくないのかということについての理由を述べてきた。ではどうしてほしいのかというと、デートのお会計は割勘一択である。
異性だろうが、年上だろうが、先輩だろうがどうか割勘にさせてほしい、頼むから割勘にしてくれ、そう心の底から思っているのが私である。

だからこそ、デートの際には男性に対して牽制を行い、必ず割勘にしてもらっている。男性のメンツを潰しているとか、相手に失礼だとか、そう感じる方もいるかもしれない。そのような考え方を否定するつもりは全くない、ただ私はそう感じるし、そうやって行動するというだけの話である。

女性の中には「奢らない男性は私に気がない」と感じたり、「奢らないとかありえない」と感じたり、「奢ってくれる素振りも見せないのはちょっと…」と感じたり、様々な考えがあるだろう。そして私のような捉え方をする人間はごく少数であろう。

百々のつまり、いろんな考え方の人がいるけど私は奢られたくないよ!!!!!ということである。(クソ雑結論)
このnoteはただの私の取扱説明書になってしまったが、世の中にはこんな人間もいるのか~くらいに思って、私とデートすることがあったら何にも言わずに割勘してほしい。


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