シン・エヴァンゲリオン、メタ読み無し考察

早速見てきました。個人的な体験の話をするのもアレだし、メタ読み読解できるほど庵野監督の経歴に精通してるわけでもないので、極力作中で明かされた要素に基づき、シン・エヴァンゲリオンという話は何だったのか?について解き明かしてみたいと思います。

無茶だろ!と自分でも思うのですが、エヴァは人の心を映す鏡とも本編で言ってましたしまあなんとかなるでしょう。当然ながらこれは自分の解釈であり万人に通じるものではございません。

当然ネタバレありなので、未視聴の方は見ないようお願いします。

まずは取っ掛かりとしてパンフレットの映像を追っていくことにしましょう。今作の全般に言えることなんですが、(比較的)説明が丁寧で相手にわかってもらおうとする努力が感じられるというのがあります。用語集を入場者に配布してるし。

分かっていたことですが映画の最初は先行放映として散々見た映像が流れます。パリに降下するヴィレクルーに襲い来るクソコラエヴァ軍団。どうやらユーロネルフ第一号封印柱という黒い巨大なエントリープラグみたいな形をした装置を起動して赤く染まった大地を元に戻そうとしているようです。

で、これってなんなんでしょうね?一応は破において国際環境機関法人 日本海洋生態系保存研究機構 海洋資源保存研究施設(長いので以降は海洋研究所と呼称)で赤く染まった海を元に戻す研究が行われていることが触れられました。アンチLシステムと呼ばれるものもこれを元にしていると見ていいでしょう。じゃあなんでこんなものがパリにぶっ刺さってるのか。そもそもL結界ってなんなんだ、ということなんですが、文脈からして赤く染まった海≒L結界なのは間違いないでしょうし、後に出てくるシーンでは「原罪を持つ人類では入ることの出来ない清浄な大地」みたいなことが言及されています。ともかくL結界の中では普通の人間はLCLの海に還元されるのでしょう(俗称、パシャる)。で、これがパリにぶっ刺さってる詳しい理由はわかりませんが、ユーロネルフにおいてもヴィレのような抵抗運動がなされていて、それが託された、というのは刻まれたメッセージからも間違いないでしょう。封印柱、って名前からして何かを封印しているらしいということ、動作するのに「刺さる」必要があるということからしてエヴァにおける拘束具、「ヒトの域に留めておくためのもの」という類推が成り立ちます。

シン・エヴァンゲリオンはすべてがエヴァであるエヴァンゲリオンパンク(あとでコモディティ化って単語が出てくる)なので、地球自体も当然エヴァンゲリオンであって、拘束具をぶっ刺しておかないと本来の姿を保てない、ということなのではないでしょうか。それが正しければ封印柱は「刺された」のではなく、元々刺さってたものが「抜かれて」ああなってたと考えるのが自然でしょう。抜かれると世界が崩壊する呪具、というとMOTHER3の針なんかを思い出しますね。この「全てがエヴァである」というコンセプトを念頭に置くと、ヴィレクルーがプラグスーツを着ていることにも文脈が生まれるというか、彼らもエヴァパイロットなんですよね。なにせヴンダーは初号機を核とする巨大エヴァなので。

パリという舞台からしてもナディアからの導線なんかを考えてしまうのですが、今回は作中要素からのみ読み解くというコンセプトですし、めんどくさいのでしません。そしてヤシマ作戦を悪趣味にカリカリュアしたようなクソコラエヴァ軍団とマリの対決。発電機に陽電子砲、果てはこれまでは戦略自衛隊の航空機が担っていたような囮すらもエヴァがやってるんですよね。こんなところからも「全てがエヴァである」というコンセプトが裏付けられるかと思います。

クソコラ軍団を撃退してアンチLシステムを起動すると赤い世界が元に戻ります。ただしそこに生きていた人間が戻るわけではないあたり、「槍でやり直す」というわけには行かないこと、後述される加持さんの計画の重要性がわかることになります。

で、問題の第三村パートです。ここはもう見たまんまなので特に考察する場所もないのですが、覚えておくべきなのは黒スーツ綾波タイプ初期ロット(呼称:別レイ)が言っていた、「自分は人間ではないけど、人間が好きだから守りたい」ということ、アスカは「仕事だから、自分の有用性を示せるから人間を守る」ということでしょうか。そしてしばらく農業パートとうつヌケパートを経て出される相補性L結界浄化無効阻止装置(封印柱)と徘徊する首なしエヴァ、名称「ハイカイ」。ちなみこの「ハイカイ」という呼称は用語集に記載されてる正式名称です。こいつ何?というのは正直良くわかりません(有識者の意見を求む)。一つ言えるのは浄化された赤い大地を移動できるのはエヴァかエヴァパイロットか使徒だけなので、使徒が絶滅した現在徘徊する存在というのはエヴァしかいない、ということです。

そんなこんなしてるうちにヴンダーの役割が次の世界のために旧時代の生物種を残すアーカイブである、と設定が明かされますが正直これは予想できました。AAAヴンダー、「Autonomous Assault Ark(自律強襲方舟)」であるというのは設定資料で明かされてたし。ただ加持さんの「スイカを育てる」という目的がゼーレに採用されて拡大されたものだ、というのは予想できませんでしたね。この辺を考えると元々ゼーレの補完計画にも人間以外の種を残すことが含まれてたというか、あくまで「不完全な人類を浄化、人工進化させる」というのが目的なのでしょう。ていうかこれってナウシカのシュワの墓所ですよね…メタ読みはしないって言っただろ!

そして最終決戦前に寿命が来てパシャる別レイ。使徒の形象崩壊時と同じく十字架が出てたあたりレイも使徒だった、ということなのでしょうか。でもそれだと使徒の数字が合わないけど。リリスの分身だからいいのか?そもそもなんで寿命が来たんですかね?調整不足とかいってたけど似た境遇のアスカは普通に生きてるのに。もしかしたら「エヴァに乗らないと生きていけない」という言葉通り、乗るべきエヴァが無くなってしまったから死んだ、ということなのかもしれません。なにせエヴァは地球そのものの代替になれるくらいの一つの生態系そのものです。それから切り離されて別環境に放り出されたらそりゃ死ぬでしょう。自律呼吸できない胎児が母体から切り離された、みたいな感覚に近いのかもしれません。

そして最終決戦に向けてヴンダーに乗る決意を固めたシンジにアスカが電気ショックしての監禁処置。爆弾付きの檻に全員閉じ込めれらるけど、後々のやりたい放題っぷりを見るにまあ当然の処置ではある。でもヴィレクルー全員がエヴァパイロットでもあるってリツコあたりは気づいてるはずで、無駄だと分かっていつつクルーの精神衛生のために何か対処してるポーズなのでしょう。そしてこれはエヴァンゲリオンに対する「拘束具」の話でもあるんですよね。装置によって一方的にコントロールされているように見えて、実のところ相手を信頼して言うことを聞いているだけだ、という。DSSチョーカーに対して「罰と不信の証」ってリツコは言ってたけど、結末まで見ると実は「絆と信頼」の証であるということができます。まあ、結婚指輪ですよねあれ。村の住民の支援組織にKREDIT(信頼)って名前がついてましたけど、この「信頼」というのはシン・エヴァンゲリオンにおける結論であるとも言えるでしょう。

死装束といいながら深々度ダイブ用耐圧試作プラグスーツを身につけるアスカとマリ。やっぱり武士、っていうか伊達政宗だろ!三日月兜に珍妙な槍?鉞?を振るう弐号機はなんか戦国BASARAに出てきそう。でも白装束は死装束、って話、別レイが死に際に白スーツに変化したのと合わせて、レイは常時死を覚悟して戦ってた、ってことなんですよね。やはりレイこそが真の武士。

南極中心殴り込み艦隊ことヤマト作戦が発動して宇宙戦艦ヤマトみたいなBGMが流れ出した上、ガーゴイルみたいな冬月副司令がレッドノアみたいな戦艦で現れるところでは映画館で笑いをこらえるのに苦労しました。(メタ読みはry 冬月副司令、将棋が強いとかそういうレベルを超えてるだろ!

バトルシーンについていちいち解説するつもりはないのですが、弐号機と8号機、めちゃくちゃ強かったですね。コモディティ化、って言う通り彼らにも本来初号機に匹敵するだけのポテンシャルはあるのでしょう。つまり彼らもフォースインパクトのトリガーになるってことでありそりゃ不信感は抱かれる。いつの間にかアンビリカルケーブルやバッテリーどころかヴンダーからのピアノ線すらなしで活動してるし。

アスカが使徒と融合してるって話、何となくそうなんじゃないかと思ってたけど明言されたのはあそこが初めてですよね。邪悪の力を人の心と技術で押さえつけ悪と戦う、ってそれもう主人公じゃん!ていうか式波シリーズってここがテレビ版から設定変更されてるとは正直思わなかったので驚きました。でも、クローンとか出自云々っていうよりは「アスカは自分がオリジナル、特別ではないことにコンプレックスを抱いている」ってことが重要なんですよね。そこが特別ではない日常を尊いと感じるレイとは異なる、という。

ゲンドウが現れて13号機にアスカが取り込まれるこの辺からいよいよ訳がわからなくなってきて、ゼーレのシナリオとか儀式がウンタラカンタラ言い出すのですが、これも要するに「ゲンドウが何でもかんでも決めたわけじゃない」ってことなんでしょう。1~13号機と4人のホースマンの数合わせとか、テレビアニメやシリーズ映画のお約束とかメタ読みできるのですが、例によってそこは深追いしないことにします。

ともかくゲンドウにもどうにも出来ない事情があり、そのシナリオの最後だけ変更することでゲンドウが野望を実現しようとしている、Qにおける「槍でやり直そうとするシンジ」と同じである、という話だと思われます。

初号機で出撃しようとするシンジをそれぞれの理由で止めようとする北上ミドリと鈴原サクラ。同じ「エヴァに乗らんといてください」でも全く意味は違う、っていうディスコミュニケーションですよね。ミドリはエヴァに人生を狂わされた観客でありサクラはエヴァが永久に終わってほしくない熱狂的なファン、というふうに自分には読めました。

「碇くんがエヴァに乗らなくていいようにする」ためにずっと初号機を操縦していたレイ、健気。これはQの時点で予想してる人がいましたよね。ここもエヴァの拘束具は「絆であり信頼である」という話。

量子テレポーテーションでガン逃げするゲンドウに覚悟完了したシンジは一瞬で追いつく。本来シンジはこれくらい強いんですよ、って話ですよね。

ロンギヌスの槍は元々6本あるとか完全に初耳なんですけど…まあ立方体の面に対応してるとは推察できるがそれこそ語呂合わせじゃない?後で調べたらゴルゴダオブジェクト、って元ネタウルトラマンエースらしいですね。知るか!メタ読みはしないって言っただろ!

書き割りステージでの親子喧嘩で例によって心配になるコンテ演出についてはもうなんかツッコミは放棄します。きっと有識者の皆様がナントカしてくれるでしょう。

ともかく、希望の槍と絶望の槍とかいう初耳設定も、シンジがそう決めた、そう解釈したからそうなった、ってことなんでしょうね。あそこまで行くと新世界の神はシンジかゲンドウのどちらかなので彼らがそう決めたことは「そうなる」という。別レイもまたレイだ、というのもシンジがそう信じたのでそうなる。逆に言えばゲンドウはユイがどこかに存在すると信じられなかったから会えなかった、と。

そんでミサトさんの特攻とヴィレの槍、もはやメタ読みなしでの考察を放棄したいのですが、ゲンドウとシンジだけの筈の世界の外側からやってきたあるはずのない介入、ということで「ゼーレ本来の計画外の存在」ということでしょうか。ともかくエヴァンゲリオンの世界観として「閉じた世界と予想されるシナリオ通りにしかならない諦観」があるのですが、閉じた世界の中でも予測不能な新たな可能性が生まれうる、という奇跡の象徴がヴィレの槍だった。またメタ読みになっちゃいますが、オリジナルの劣化コピーの重ね合わせであるエヴァンゲリオンも本当に新たなオリジナルが生まれうる、という。

あそこでエヴァンゲリオンの世界が終わることは誰にも変えられない既定路線だけど、それでも次の世界に持ち越せるものがある、というのがヴィレの槍ってことなのかなあ…

全体として通して見ると、DSSチョーカーを含むエヴァンゲリオンの拘束具とは相互の信頼と絆の証である、という話であって、これはヴィレのクルーが付けてるスカーフにも繋がるんですよね。拘束具がエヴァをヒトの領域に留めておく、という話と合わせるとヒトをヒトたらしめるのは絆と信頼である、という話になります。

だからこそ拘束具から穴抜けするようなゲンドウは無敵であるけど絆が無いし誰からも信頼されない。まさに「無敵の人」であるということになるでしょう。この「拘束」を「お約束」と言い換えればアニメや物語のお約束も様々な知識の集合体であり、誰かとの絆である、ということになるでしょう。そこから死者との絆である「墓」、アーカイブである「本」、勿論異性との絆である「子供」「種子」という話に繋がることができます。

エヴァンゲリオンという作品がなんだったのか、全体を総括して見ると「拘束とは約束である」という一言に纏めることができるのでは無いでしょうか。

最後の生命の書?何?わからん!知らん!

とそんなこんなで色々思いの丈をぶつけつつ考えをまとめてみました。

ここまで駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

スシッ!スシヲ、クダサイ!