褒めるということ
先日、仕事でちょっとした飾りを作った。
30分もあればできる本当に簡単な物。
普段であれば職場で処分してしまうのだが、ふと夫に見せたくなって家に持って帰った。
それを見た夫は
「上手に作ったね。」
と褒めてくれた。
何気ないこの一言が不思議なほど私には染みた。気持ちが解けていくような感覚に包まれ、自分自身がものすごく肯定されたように感じた。
私にとって初めての感覚だった。
職業柄、私は子どもが作った物を見ることが多い。
彼らは必ずと言っていいほど自分がやり遂げたこと(それがどんなに小さなことであっても)を見てくれ、と大人にアピールする。
そして思いっきり褒めてもらう。
他の人がどんな思いで接しているかは分からないが、私にはそれはとんでもなくオーバーリアクションであることが多く、場合によっては嘘をついているんじゃないかと思うことまであった。
「何をどう言えばいいのか分からない。嘘はつけない。何に対しても褒めていいのだろうか。」
そんなことを考えてしまうのだ。
私は幼い頃から何かを作るということが致命的に苦手だった。
いや、苦手だと思っていた。
小学生の頃の夏休みの宿題に出るポスターや自由研究あるいは自由工作なんて嫌で嫌で仕方なかった。
そんな私が今はスケッチブックに絵を描いたり、編み物をしたり、仕事では積極的に飾りや作る系のイベントの企画をしている。
それも自らやっている。
そしてそれを夫に見せる。
「見て見て。こんなのを作ったんだよ。」
それは完全に子どもの大人に対する「見て見て」だ。
そして夫は毎回何かしら褒めてくれる。
でもそれは夫の後押しがあってプライベートでチャレンジしたものだからだと思っていた。
幼少期、私にとって大人といえば両親が全てだった。
自分がやりたいと思って何かを頑張っても頑張ったことに対して褒めてもらった記憶はない。
何かを作っても、テストで1位を取っても
「いつかあなたはダメになる。」
「あなたが出来るなら他の子はもっと出来てる。」
と言った言葉しか記憶にない。
だから褒めてもらうことが子ども達にとってどんな意味があるのか分からなかった。
でも今回の経験で少し分かった気がする。
本当にその物が大人から見てすごいかなんて関係ない。
自分が作り出した「物」ではなくそれを作り出した「自分」や「頑張り」を肯定してもらっているのだ。
これに気がついてからは子ども達を思いっきり褒めることができていると思う。
一つ足りないピースを得て、成長できた気がする。
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