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介護にすべてを奪われた私が、「こうあるべき」を手放すまでーー「女性がやるべき」はいつか幻に

多様性が受け入れられるようになった今。選択肢は増えつつありますが、「こうあるべき」という規範意識は未だ根強く残っており、至るところで私たちを縛っています。

「介護は家族がすべき」もその一つ。20代の頃、子育てをしながらパートナーのおじ・おばの介護を経験された神戸貴子さんは、Wケアの大変さを実感する中で、介護保険ではカバーしきれない部分を補うケアサービス「わたしの看護師さん」を立ち上げようと思い立ちます。

女性だから、家族だから、地方だから。誰かが決めた「こうあるべき」に息苦しさを感じるのなら、適度に距離を取って、自分ひとりで抱え込まず、誰かを頼って欲しい。そんな「こうあるべき」との向き合い方について、「介護する側」にスポットを当て、従来の固定概念を取り払うような「新しい家族のかたち」を提唱する神戸さんにお話を伺いました。

介護を通じて、様々な「限界」を知った

――事業を立ち上げられるきっかけは何だったんでしょうか?

神戸:私が介護で一番苦労したのは「病院受診に付き添うこと」でした。え、そんなことで?と思うかもしれませんが、通院までは介護保険のヘルパーさんに付き添ってもらえても、院内はそれができなかったり、急な受診だと付き添いも難しいことが多いんです。

じゃあ誰がするのか、となると、周りは「家族がするべき」「だってあなたたち、家族でしょう」と言ってくる。自分中心じゃなくて介護中心で生きて行かなくちゃいけない、というのはとてもつらくって、さらには育児もあるから「自分の居場所のなさ」を強く感じて苦しんでいました。

神戸:24時間気が気でない状態で「おじやおばのことでいつ連絡が来るのか」と考えると、睡眠も十分にとれない状況でした。そんな中、急ぎでないようなことで「病院へ行きたい」とお願いされて、頭にきてしまって……優しくなれない自分がとってもつらかったんです。カッとなっても口には出さないけど、「なんでそんなに冷たい私になっちゃったんだろう」と自分にため息をついてしまうんですね。

人に対して優しくしたい、という想いがあって、そのために看護師の資格を取っていたにも関わらず、些細なことでイラッときて、「ああ私、なんで心が狭くなっちゃったんだろう」って。

だから、介護がしんどいことよりも、心が狭くなった自分が嫌でした。

ーーつらい状況の中で、前を向くための支えや心構えはなにかあったのでしょうか?

神戸:その時は、担当してくださっていたケアマネージャーさんがすごく話を聞いてくれたので、なんとか乗り越えることができました。制度について「介護保険では病院診療に付き添えないんですよ」というふうにしっかり教えて教えてくださって。普通は「できない」となると「それ無理だよ」のひと言で終わっちゃうんだけれど、その方は「何で無理なのか」「無理なら他に策はないのか」とか一緒に考えてくださったんです。その寄り添ってくださる姿勢にすごく救われました。

30代になった時、ママ友たちが次第に親の介護を経験するようになって、みんな私と同じように困っていたんです。「みんなが困っているんだったら、これを課題として起業したらいいんじゃない?」と思い立ち、「わたしの看護師さん」をスタートしました。

私自身、介護で全てを奪われたからこそ、まずは介護をする人たちに向けて「自分の人生を大切にしてほしい」と伝えるようにしています。だから「介護をしなくちゃいけない」となった時には、一人で抱え込まず、家族以外の存在にも頼ってほしいと思います。

幼い頃に生まれた固定概念の払拭

――そもそも看護師になりたいと思ったきっかけは何だったんでしょうか?

神戸:うちは三世代同居で、母親が一生懸命祖母のお世話をしていたんです。

少し認知もかかっていましたし、小学生ながら「よくお世話するな」「凄いな」って思っていたんですよ。父方の祖母だったから、母にとっては義母になるので、嫁姑の関係もあるじゃないですか。父親は仕事人間だったし、「介護とか家事とかすべて女に任せるのか」って考えたら「たまんないな」って。

でも、その祖母が亡くなって、お葬式が終わった後に母親が泣くんです。「何もしてやれんかった」「何もわからんかったから必死でやったけど、何もしてやれんかった」って、後悔したことしか言わないんですよ。

小学生の私からすると「いや、すごいよお母さん!」って思っていたんだけど、大事に思う家族を支えるために何をすればいいんだろう?って考えた時に、看護師の資格を取ろうと思いました。

――神戸さん自身は「お嫁さんとしてこうあるべき」というイメージはあったんでしょうか。

神戸:そうですね。まさに「親戚のおじおばの介護をすることで、嫁としての責務を果たせるんじゃないか」と考えていました。自分の地位を確固たるものにするためには、どこで頑張ったらいいんだろうって。当時は育児もあったので無職だったんですが、その申し訳なさもありました。旦那は働いている、姑も遠くに住んでいて「家族の中で暇している人って誰?」ってなると、なんとなく手を挙げちゃうみたいな。

後ろめたさがあると、誰もそんなこと言ってないのに「お前暇だろ」というのが勝手に聞こえてくるんですよ。

――家族内で介護をするとなると、「一番負担の軽そうな人がやるべき」という空気が自然と生まれたりしますよね。

神戸:暗黙の了解、みたいなね。そういう考えも古いんですけどね。

「女性がやるべき」は、いつか幻になる

神戸:私はおじとおばの介護を経験して、おばというのが結構ネックな介護だったんですが、もう一人のおじは結構早くに亡くなったんですよね。だから私は、おじとは相性が良くて、やりたい介護、というのかな。お互い共感もしていたし、亡くなった後も「本当に良かった」という感じで見送れたんですね。やり尽くしたというか、程よい距離感もあったので、すごくいい介護でした。

神戸:だから「家族同士で程よく距離感があって、抱え込まない」というのが「お互いに共感できる介護」なんだろうな、と思います。

このご時世で、男女共同参画というのは古いのかもしれませんが、地方に行けば行くほど、女性が育児、家事、介護を担うべきという風潮は、まだ根強く残っています。実際「女だから夕食作らなきゃいけないのかな~」みたいな気持ちもあると思うんですけど、それはいつか幻になっていくと思っています。

今は夫婦の間に子どもが一人いればいいところで、いないおうちも当たり前にあるんですよね。そうなってくると、一人の子どもがたくさん面倒をみなくちゃいけないので、男や女、家族だとか言ってる場合じゃない。

これからは「育児」「介護」「家事」もすべてを家族だけでやるのではなく、外の力を頼る、アウトソーシングすることが大切だと考えています。好きや得意なことだったらいいけれど、それを得意としていないんだったら、任せられることは任せて、自分が力と愛情を注げることに集中すればいい、と思います。

――女性の社会進出を後押しするような感じですね。

神戸:そうですね。最初は私も「女性解放のためのサービス」だと思って始めたんですが、利用者さんを見てみると、意外に男性が多いんですね。少子化だから、男とか女とか言っていられないわけで、だから今、一番苦労しているのは50、60代の男性かもしれない。

当時、女の子は家庭科、男の子は技術科と分かれていたので、その年代の男性は家事とか育児とか、そういう授業を受けていないんですよね。男の子たちは、まさか自分の目の前に家事や育児や介護が来ると思っていないから、もうオロオロしちゃう。まさか来るとは思わなかった、みたいな。それで嫁に「やれよ」と言っても、嫁も自分の家族の介護で大変だから自分がやるしかないんですよね。

自分の苦手なことは「得意な他の人」に任せる

――頼まれると断れない人もいると思います。そういう人はどうすれば良いと思いますか?

神戸:私は「自分が引き受けた方が楽」というタイプなので、「自分でやった方が早いし、人も助かるだろう」みたいに、一人で抱え込むような性格をしていたんですよね。

でも、適材適所があると思えるようになって、強い人にはそれを任せるし、私のできることに集中していくというか、分散していくことにしました。

だから、断るのが苦手で引き受けてしまうのであれば、自分は何が出来て、何が得意じゃないかをはっきりさせておくことですね。自分はどんなことが好きや得意なのか、反対に何が苦手なのか。そして、苦手なことを頼れる人を見つけにいくことですね。

――得意分野の人を見つけて、この人だったら任せられる、という人にお願いをする。

神戸:そうですね。それも、全部ではなく一部をお願いするとか。同じ介護の中でも「おばあちゃんのお話を聞くのは得意だけど、おむつ交換は無理」であれば「じゃあそこは介護保険でヘルパーさんを入れたらいいじゃん!」とか、「お風呂もちょっとしんどいわ」というのであれば、デイサービスをお願いするとか。

神戸:介護をやっている当事者からすると、その時は親孝行をしているという気持ちがあって、「苦しいけど大丈夫!」というところがあると思います。私も20代の頃は「苦しいんだけど、しょうがないんだよね」「私しかいないし、やらなきゃいけないんだよね」と思うところはありました。

でもそれは、第三者からのジャッジが無かったから。自分が頑張りすぎていることに気づけなかったんです。そこでケアマネさんが「やりすぎだよ」ってストップをかけてくれたおかげで、気持ちが楽になったんですよね。

だから今度は私が、声をかける番ですね。

「大丈夫?無理してない?」って。

「こうあるべき」という考え方は、誰しもが無意識に持ち合わせた足枷のようなものなのかもしれません。

本来であれば美徳とも言える気遣いによって、本来の自分の気持ちがわからなくなってしまい、まわりの空気が息苦しくなってしまう。

けれど、同じように苦しい思いをしながら、その気持ちを分かち合い、取り払ってくれる人の存在は確かにある。だから、悩んで立ち止まってしまったとき、「大丈夫?無理してない?」という人の存在を思い出して、話をしてみてください。

きっと、体の中からエネルギーが湧き出てくるはずです。

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それでも、前へ。
目に見えない不安や「こうあるべき」に、
自分の気持ちが揺らぎやすい時代かもしれません。

過ぎたことを後悔して、悩んで、立ち止まる。

でも、それでも、前へ。
踏み出すことを決めた人のそばには、なにがあったのか。
自分の道を力強く、自然体であるく人たちに話を聞きに行きました。

前へ踏み出すその足元が、ほんの少しでも軽くなったら嬉しいです。

企画・取材・文:YELL FOR  監修:野口 明生

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