自分の原点である、愛媛で映画を作る たくさんの人に映画制作に関わる経験をしてほしい!
愛媛県松山市生まれの西山将貴監督が、地元である愛媛県を舞台とした長編映画を撮影します。ショートムービーにおいて、国内外で注目を集めている西山監督ですが、今回、満を持して自身初となる長編映画を撮影することが決定。さらに、映画制作に伴い西山監督率いる撮影チームが、エールラボえひめで映画制作の仲間を集めるためのプロジェクトを立ち上げてくれました。今回のインタビューでは、初の長編映画に対する想いやプロジェクトについてのお話を伺います。
アートとエンターテイメントを融合させた新しいホラー
廣瀬:西山監督、はじめまして!初の長編映画の撮影に伴いエールラボえひめでプロジェクトを立ち上げていただきましたが、プロジェクトを立ち上げた理由を教えてください。
西山監督:今回、僕の出身である愛媛県で長編映画を撮影することになりました。そこで、エールラボえひめを通して、この映画制作に参加してくださる仲間を募りたいと思ってプロジェクトを立ち上げさせていただきました。
廣瀬:映画制作の「仲間」だなんて素敵ですね!
今回のプロジェクトに参加してくださった方たちにどのようなことを感じて欲しいと思っていますか?
西山監督:このプロジェクトを通して、地域の人たちが映画制作という一つのゴールに向かって協力し合うこと自体に意味があると思っています。
カメラを通して見ると、それまでの当たり前の景色がとたんに違って見えます。愛媛県に対して新しい発見をしてもらい、みなさんが所属するそれぞれの分野で生かしていただければと思っています。
僕も含め、プロジェクトに携わってくれたみなさんが愛媛県の新たな魅力を発見できる機会になればいいですよね。
廣瀬:プロジェクトの内容を具体的に教えていただけますでしょうか?
西山監督:はい。例えば、「撮影前」では、愛媛県内の自治体さんはもちろん個人の方でも構わないので、撮影場所を提案していただいたりすると嬉しいです。提案いただいた場所が映画の内容にマッチするか内部で検討させていただきます。撮影時のお弁当や飲み物の手配などができる方がいらっしゃったら撮影前にお知らせいただいて、お手伝いいただければと思います。
もちろんお弁当の費用などはこちらで負担させていただきます。
「撮影中」は、映画の撮影現場でいう、いわゆる『制作部』のお手伝いをお願いできればと思います。具体的に言うと、荷物やキャストを運ぶドライバーさん(マイクロバスを運転できる方がいらっしゃると、なお嬉しい・・・)や撮影時の交通整理をしてくださる方、食事の場所を確保してくださる方などです。制作部の仕事は映画を作る上では中枢的な重要な役割なのですが、雑用に思われやすいんです。でも大事な仕事なので、こういったことを楽しんでしてくださる方がいればいいなと思っています。
また、映画の撮影時の記録としてスチール写真を撮影をしていただける方がいれば嬉しいですね。もちろんプロの方でなくてもいいです。
最後に「撮影後」に関しては、媒体の大きさ関係なしにこの映画を「発信」してくださるのなら、基本的にはウェルカムです。紙媒体、インターネット広告はもちろん、個人でブログやYouTubeのチャンネルを持っている方でもOK!映画に関して対談が必要な場合は、対談もさせていただきます。とにかくこの「発信」ということに関しては門戸を大きく広げていきたいと思っています。
プロジェクトに参加するとき、ご自分が「何ができるか」ということを書いていただいて、映画制作にフィットしそうなことでしたら積極的にお願いしていきたいと思っていますので、気軽に参加してほしいと思っています。
廣瀬:今のお話を聞いて、自分も何かしらプロジェクトに参加できると感じた方が多いように思いました!
廣瀬:映画作りに関われることは滅多にないことだと思うので、とても貴重な体験になると思います。差し支えのないところで、今回の映画について教えていただけますか?
西山監督:はい。今回の映画は、ハーフの女子高生が主人公のホラー映画です。ホラー映画なので、完全にフィクションなのですが、自分の高校時代の頃の話なども出てきますし、脚本を書く時からずっとパーソナルな視点を持っていました。そのため、「この映画を撮影をするなら愛媛県だ」と決めていたんです。
作品自体は、いわゆる一般的なJホラーではなく、新しいエンターテイメント的な怖さを目指しています。さらに、アート性とメッセージ性を融合させた全く新しいホラーを作りたいと考えています。
廣瀬:ハーフの女子高生が主人公とは、珍しいですね。
西山監督:まず、ハーフの女子高生が主人公のホラー映画は、今までにないと思います。
松山市で映画監督を目指して作品を撮影していた時、なぜだか「ここは自分の居場所じゃない、遠くへ行かなくては」という想いがあったんです。生まれ育った場所で応援してくれる方もたくさんいたのに、当時はそういった思いがありました。
そして、作品が国内よりも国外で評価をいただけるようになった時は、日本にも居場所を見出せなくなっていて、もっと遠い場所、海外を見ている時期もありました。
その後、海外で映画を制作する機会に恵まれたのですが、撮影が終わり帰国したとき、「日本文化で育ってきたことこそが自分の強みだろう」と改めて気がついたんです。今は日本からコンテンツを発信することにプライドを持っています。
そして、「日本で勝負しよう!」と決めたときに、ふと思いついたのがハーフの女の子だったんです。日本人なのに、外国人といった感じで、少し居場所を感じにくい部分がかつて僕が地元に居場所がないと感じていた部分にリンクすると思いました。
とにかく映画監督になりたかった学生時代
廣瀬:そもそも西山監督は、どうして映画監督になろうと思ったのでしょうか?
西山監督:映画を作り始めたのは中学生の頃で、その当時は映画が好きで足繁く松山市内の映画館に通っていました。当時は、映画が好きだから作ってみたいという気持ちもありましたが、「自分だったらこう作る!」という気持ちもありましたね。
でも、その頃は映画監督になりたいなんて恥ずかしくて人に言えなくて・・・。だから、「自分一人で映像を作るにはどうしたらいいんだろう」って考えた末に思いついたのがミュージックビデオでした。ガレージバンドというアプリを使って音楽を作り、ipad touchのカメラ、編集はiMovieというかなり初歩的なソフトを使ってミュージックビデオを作ったのが、映像を作り始めたきっかけです。
廣瀬:そこから、どのように進まれて、今回のように長編映画を作るまでになったのでしょうか?
西山監督:今、お話ししたように遊び感覚で映像を作り始めたのがきっかけです。そこから短編映画を完成させたのが高校生の終わり。その時撮影したSF映画「The Flap of the Butterfly’s Wings」が、世界4ヵ国、10の映画祭に選出していただいて、そこから映画監督としてのキャリアがスタートしました。
2017年に初めて公開した予告編を編集したときの編集画面。この予告編公開は西山監督の原点的瞬間で、Twitterで6万再生1500「いいね!」が集まった。
西山監督:短編映画とはいえ、僕の場合、1つの作品を完成させるのに1年くらいかかります。なので、短編映画をたくさんに作ってきているというわけでもないのですが、それでも国内外から色々と評価をいただき、「今の僕にとって、このテイストが国内外で勝負できるジャンルと手法だ!」というのが見えてきて、長編映画にチャレンジしようと思ったんです。
廣瀬:なるほど。今のご自分のスタイルが確立して、経験が蓄積されて今回の長編映画の制作、そしてプロジェクトに繋がるのですね!
プロジェクトに参加してもらった人の心に何かが残るような活動がしたい
西山監督:映画に関わるということは、日常ではなかなかない体験だと思います。しかも、地方に住んでいたらなおさら・・・。
僕自身が10代のころ、どうやったら映画監督になれるんだろうって悶々と悩んでいた時期があったので、映画が好きな人や映画だけではなく、何かクリエイティブなことに関わっていきたいと思っている人の良い経験になればなって思っています。
西山監督:僕自身、若くてまだまだこれからなので、監督として居座るというよりはみなさんと同じような立場で一緒に協力しながら作品を作っていきたいと思っています。今年の(2022年)6月で23歳になったのですが、大体の現場で僕は一番若いんです。助監督よりも若いですし。ここまで若い監督は、下手したら一生見ないかもしれないですね(笑)。
そういった意味でも、新しい世代、Z世代の現場や雰囲気をみなさんに肌で感じてもらえたらいいなって思っていますね。
協力者全員の名前がエンドロールに?!
廣瀬:地方に住んでいて、クリエイティブな活動に参加する環境がなかなかない若い人たちにとって、西山監督の存在は光のようだなと感じました。さらに、ただ協力してほしいというだけではなく、「みんなで映画を作り上げていきたい!」と思われているという言葉にすごく感動しました。
西山監督:手伝ってくださる方にとって意味があるものでなくては、ただの雑用になってしまいます。なので、「みんなで作品を作り上げる」や「創作活動に参加している」って思ってもらえる現場にしたいですね。
どんな形であれ、関わってくださったみなさんの名前は、エンドロールに記載させていただく予定です。そして、今回の映画は作品となって半永久的に残っていくので、ぜひいろんな方のお力をお借りしたいです。
廣瀬:エンドロールに名前が載るなんて貴重な経験になりますね!
西山監督:僕自身、人からの評価を気にせず本当に楽しんでものづくりをしていたのは、中高生の頃でした。今回の映画は、その時の自分に戻るつもりで100%楽しみながら制作していくと決めています。今後、どんどん映画制作のスケールが大きくなっていった場合、もしかすると、100%自分の心の声に従った映画作りはもう難しいかもしれません。だからこそ、ポスターのデザインから予告編に到るまで全部自分で手がけていく予定です。
どんなに変わらないでほしいと思っても、日常の景色ってどんどん変わっていきますよね。今回の映画を通して僕が過ごした愛媛県の美しい景色やそこで抱いてきた感情などを余さず映像の中に閉じ込めていきたいなって思っています。映画は撮影すれば半永久的に残るものなので・・・。「あのとき西山将貴が過ごした愛媛県」を切り取って残していきたいですね。
この映画は、国内外いろんな場所で放映されて、いろんな人の目に届くようにするのが僕の責任でもあります。楽しくみんなで映画を作って、その映画を愛媛県から発信していければと思っています。
廣瀬:最後に、西山監督から動画でメッセージをいただきました!
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