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noteのスキ数に大した意味はない?

 私もnoteをはじめて大体、1カ月経ったので、noteというプラットフォームについて語ってもギリギリ許されるのではないかと思う。

 みなさんは、いつもどんな時に記事をスキしているだろうか?

 自分の通知欄を毎日見ていると、投稿すると必ずスキしてくださる方、マガジンまで探してフォローしてくださる方、たまにスキしてくださる方、フォローはしていなくてもスキしてくださる方。色んなスキをしていただいていると思う。

 それが、どんな状況、どんな感情で行われたものかは分からない。想像するしかない。

 一方、自分を振り返ると、同じ「スキ」のボタンでも毎回違う感情を込めていたりする。

 本当に大好き!
 ポジティブな空気をくれてありがとう!
 あなたが元気そうで良かった!
 いつもありがとう!
 分かる!


 逆に、低調な方や嫌なことがあった方の記事を見ると、

 元気出して!
 がんばれ!
 生きろ!


 と思い、実際、口に出しながらスキボタンを押していたりする。

 こういう時、面と向かって「がんばれ」などと軽々しく言えない。繊細なバランスでたたずんでいる積み木のように思えて、つついたら崩れ落ちてしまうのではないかという恐怖がある。スキというあいまいな表現で、見た人が、緩い応援と捉えてくれるといいなと思う。

 一方、スキの数に意味などないという考えの人もいるらしい。

 でも私はそうは思えない。自分がスキする時も、人がスキしてくれる時も、そこに込められた意味は千差万別で、一つ一つのスキには人間のあたたかい気持ちがこもっていると信じている。

 作者の目に見えるのは単なる数字だが、それは、ただの数字と捉えた瞬間に、意味を失うなにかだ。

 そもそも、なんのためにnoteを書いているのか、振り返って考える。スキ数のため? ビュー数のため? フォロワー数のため?

 違うはずだ。私たちは、自己表現の手段に文章を選んだ人間だ。書きたいから書いている。だったら誰一人スキしてくれず、読まれなかったとしても、それでも自分が表現したいと思う限り、やり続けるべきだ。

 それでも、たとえ1人でも、スキしてくれる人がいるということが私は嬉しい。同じように誰かに幸せな気持ちになってもらいたいから、私は今日もスキをするのである。

 スキしてくれて、ありがとう。


 最後までお読みいただきありがとうございます! 良かったら、スキ/フォロー/コメントお待ちしてます。あなたにいいことがありますように!

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