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明日世界が終わるとしても、今日を自分らしく生きたい。

暇なとき、こんな妄想をしたことはありませんか?

明日世界が終わったら……。

明日大地震が襲ってきて、生き延びられなかったら……。

明日テロに遭ってしまったら……。

とかとか。

特に、1999年に物心がついていた人は、アンゴルモアの大王がどうのこうのとかいう、いわゆる「ノストラダムスの大予言」の影響で、一度は本当に世界が滅びたらどうしよう? と考えたかもしれません。

私は昔、今日が人生最後の一日だったらどう過ごすだろう? と考えて、「最後に食べるならなんだろう……」とか、「最後に会いたい人は誰だろう……」と、最後の一日について色々考えました。

他の人の意見を聞くと、私と同じように特別な一日を過ごす人と、何もしないという人、普通にいつも通り過ごすという人、それぞれいらっしゃいました。

でも以前の私は、特に最後の、「いつも通り過ごす」という考えが理解できませんでした。

最後なんだから、好きなことすればいいのに……。そう思っていました。

でも今は考えが変わりました。多分、私はいつも通り過ごすでしょう。

まだ会社があれば働くでしょうし、いつものようにnoteを書いて、いつものように寝るでしょう。

時間を経て欲望が減り、現世に未練が無くなったということもありますが、何よりも、明日がどうなるかに関わらず、今を自分らしく生きていくことが重要なのではないかと考えているからです。

未来に未来に思いを馳せていくと、「しかし、何をしようと、結局私たちはみんな死ぬ」という結論に達します。それは畢竟、「最終的に無になるのであれば、今何をしても意味がない」という虚無主義に至るでしょう。

人間が未来を考えて行動する能力は高度なものですが、行き過ぎると人生がつまらなくなります。思考優位な人こそ、時には動物のように、今という一瞬一瞬だけに生きてみることが必要だと思います。

機械ではない私たちは、あらかじめ与えられた生きる意味も、生きていく意味も持ちません。でもその答えの一つは、自分に与えられた体や心を精いっぱい使って、世界に自分を表現することだと思うのです。

だから、私は世界が明日終わるとしても、今日は自分らしく過ごし、私が私として生きた最後の軌跡を世界に表現したいと思うのです。

限りある人生がどこで終わりを迎えるかは分かりませんが、大切に日々を過ごしたいですね。


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