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人と自分の痛みを比べることはできない

「あの人は平気そうなのに、私は耐えられない。私はなんて弱いんだろう」

とか、

「あの人はどうしてこれしきのことが耐えられないんだろう」

と思ったことがあるだろうか。
私はある。

けれども、痛みや苦しみは、本質的に本人だけが評価できる。他人と比較することはできないものだ。

我々はそれぞれ異なる脳を持ち、世界を独自のフィルターを通して捉えている。

共感力の高い人は、他人の痛みや苦しみまで自分のことのように考えてしまうことがあるだろう。それによって、他人の経験を完全に理解して評価できると錯覚することは少なくない。

たとえば生理痛は、個人差がおおきいものだ。軽い人は日常生活にほとんど影響がないが、重い人はお腹を抱えて脂汗を流し、歩くのが困難なほどの苦痛を受けることもある。

私たちの感じ方には、性別も影響を与える。

生理痛は、男性には想像もつかないため、ある程度の距離を持って理解しようとする。しかし女性の中には、自分の苦痛が軽いことから、他人の苦しみを軽視する人もいる。残念ながら、生理痛によって休んだり苦しみを述べることを甘えだと決めつけることもある。

「生理なんかで休むなんて」という言葉は、実際に苦しんでいる人にとっては無神経で絶望を与えるものであろう。

このようなことは、生理痛に限らず、あらゆる痛みに関して言えることだ。人の体や精神状態は千差万別で、同じ状況が本人にとってどれほどの痛みを伴うのか、他人には計り知れない。

自分にとっては大したことない痛みも、他人にとっては激痛であるかもしれない。だから、他人の痛みを軽視することは間違いであり、また過剰に深刻に捉えることも同様だと思う。

例えば、私の父は蒸発してしまった。父がいないことは当たり前だ。それによって特別な苦しみを感じているわけではない。

それでも、時に「辛かったでしょう」と言われることがある。同情していただけるのはありがたいが、私の考えや感性を無視されているようで、釈然としない気持ちになることがある。

また、他人の苦労を見て、自分の苦しみを軽んじることも問題だ。

他人が耐えられることを自分も耐えなければならないと自分に厳しくするのは、自分の感情や感性を無視することだ。

確かに、他人と比較して励まされることもあるだろうが、耐えられることには個人差があるのだから、自分の感じる痛みや苦しみを正当に受け止めて、軽視したり、過剰に捉えない方が良いだろう。

あなたの痛みや苦しみを評価できるのは、あなただけだ。

痛みは主観的なものであり、その感じ方は人それぞれである。自分の感覚を信じ、尊重することが、他者と共感し合う第一歩ではないだろうか。

痛みを共有することは難しいが、本来できもしないのに他人と苦痛を比べ合ったり、見下したりすることなく、他人の感性を尊重し、認め合う態度が健全であると私は考えている。


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