Agile Japanを海の外から見る ーClosing Keynoteと文化の衝突ー
こんばんは.Agile Japan実行委員のうへのです.この記事はAgileJapanEXPO Advent Calendar 2023 18日目の記事です.日本時間の18日は終わりつつある気がするのですが,まだイギリス時間では終わっていないので,問題ないと言い張るつもりです.
今年の9月からイギリスのバーミンガムというところで大学院に通い始めました.そんな事情があり,この3ヶ月間,物理的に日本を外から見ることになったわけですが,見えてくるものの違いが本当に興味深かったので,少し言語化を試みてみたいと思います.
Agile JapanのClosing Keynoteでは,Aviさんが日本の文化と日本のアジャイルに言及されていましたね.あのとき,みなさんは日本が評価されて嬉しいと感じましたか? それとも,なんとなく違うな,と思いましたか?
個人的には,助け合いや思いやりというのは日本のいいところなのですが,悪く現れてしまっていることもあるな,と感じています.以下,私が最近考えていることを少し書いてみます.
例えば,日本では「察しのいい人」が溢れたタスクを拾うことがあります.どのロールの人が担当するとどこにも書かれていないタスクを気付いた人が察して片付けてしまうので,気付かないうちにすべてが回っていることは,皆さんも経験がないでしょうか?
こう言うふうに,察せるというのは実はすごいことです.日本の文化は比較的均質なので,そこまで突拍子もないことを言い出す人はまずいません.
しかも,小さい頃から相手の考えていることをなんとなく察しながら育って来ていれば,そういうことができてしまうのです.
これはすごいのですが,よくない面もあります.透明性を欠くこと,属人化すること,それに隠れた不満が溜まりやすいことが問題になりえます.隠れたタスクが密かに処理されることで,他の人はそのタスクがあることに気づけないかもしれません.そのままでは,他の人がその隠れたタスクを処理できるようにはならないでしょう.結局,1人に負担がいつまでも集中し続け,いつまで経っても仕事が終わらない,ということにもなりかねません.
ただ,こういうときに,その「察しの良い人」はどんどん忙しくなるにも関わらず,多くの場合助けを求めないのです.これは大変不思議なことですが,妙なサービス精神を発揮していることが多いように思います.自分の仕事や役割定義について議論しようとしないのです.静かに不満を溜めていて,不満を溜めていることを誰かに察してほしい,あるいは仕事をカバーしていることを評価してほしいと思っているケースすらあります.
日本の「思いやり」が変な風に発揮されて,上記のような状態になっている現場を私自身も過去にいくつかみたことがあります.思いやりというより,「なんとなく相手のことを察してしまう」=「もともと議論をする必要がないので,議論という発想にいたらない,議論が苦手」という特性が現れているのかもしれません.そんな特性が発揮されてしまうと,「透明性」「検査」「適応」の三本柱を守ることをとても難しく感じるシーンがあることでしょう.
あのKeynoteを聴きながら,日本に逆輸入されたスクラムと日本の文化が,妙に噛み合わない時もあるのではないかと,そんなことを考えていました.