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【エッセイ】子どもと一緒に「となりのトトロ」を見る日まで

去る2024年8月23日、金曜ロードショーで通算19回目となる 「となりのトトロ」が放送された。
劇場で初めて公開されたのが1988年4月ということなので、1989年12月生まれのわたしからすると1学年先輩になる。
その人気は日本国内だけにとどまらず、1988年7月に香港、2018年12月に中国、1993年5月にアメリカ、1999年12月にフランス、2009年9月にはイタリアと、世界各国で広く愛されている。

そんな「となりのトトロ」だが、わたしは本作が本当に大好きだった。いつか自分の子どもがストーリーを理解できる年齢になったら、一緒に見たいと思っていた。

トトロやネコバスの、まるっこいフワフワなフォルムを一緒に愛でたい。
サツキやメイちゃんと一緒にキュウリをかじり、おはぎを食べながら「一緒だね」と笑い合いたい。
メイが迷子になって1人泣くシーンでは悲しい気持ちになり、サツキと再会するシーンでほっと胸をなでおろしてほしい。

私が好きな世界を、彼女にも感じてもらいたいのだ。

リアルタイム視聴は時間的に難しいから、録画して休日に見よう。
リモコンを操作しながら、わたしは、1ヶ月前のとある出来事を思い出していた。


その日、娘と息子の予防接種のため、かかりつけの病院へ行った。

待合室には同じく予防接種に来たと思われる5組の親子がおり、スマホを見たりキッズスペースで絵本を読んだりと、各々名前を呼ばれるまでの時間を自由に過ごしている。

ふと待合室に設置されたテレビを見ると、なんと「となりのトトロ」(無音)が流れているではないか。

「ほら見て、トトロ!トトロだよ!」

思いがけないところで推しに遭遇したわたしは、ハイテンションでテレビを指さした。
急に興奮状態に陥った母にやや引き気味の娘が、テレビの方に目を向ける。

すると、画面に映った小トトロと中トトロを見て、娘の顔が輝いた。

「わたしもあれ持ってる!」

良かった、生まれたころからトトロのおもちゃで英才教育(!)を施してきた甲斐があった。
気がつくと、さっきまで抱っこひもの中でまどろんでいた息子もテレビの画面を凝視している。トトロは乳児の興味も惹くらしい。

さすがはスタジオジブリの代表作。初めてのトトロが無音なのは少々残念だが、子どもたちの反応にまあまあ満足しつつ、ベンチに腰を下ろしながらわたしも久しぶりのトトロに集中した。

物語は梅雨の季節、カンタ少年がぶっきらぼうにサツキに傘を差しだすシーンだ。

イケメンだな、カンタ。天沢聖司やハウルのような浮ついた男よりもずっと芯が通っている。娘にも大きくなったら、ぜひこのような男性を伴侶に選んでほしい。

ムダな妄想を繰り広げながら楽しんでいると、娘が今にも泣きそうな表情でこちらを見ていた。

やはり映像だけではつまらなかったか。
どうしたと聞けば、「今日、本当にちっくん(=注射)しない?」と言う。

実は、娘には今日予防接種があることを伝えていない。

以前、区から届いた予防接種の案内をうっかり見られて以来「ちっくんいやだ」と泣かれるので、そのたびに「このお手紙は息子くん宛だよー」とかなんとかなだめごまかしながら乗り切っていたら、本当のことを伝える機会なく今日になってしまった。

わたしが妄想にふけっている間にも、娘と同い年くらいの子どもの絶叫がひっきりなしに響いていた。どうやらそれを聞いて、何かを察してしまったらしい。

「あー…とりあえずほら、トトロ見ようか」

回答になっていない。わかっている。でも我々よりも先に待っている親子が、まだ3組もいるのだ。ここで泣き渋られるわけにはいかない。

娘はいまひとつ納得がいかない様子で、しぶしぶまたテレビ画面に向き直った。

あれ、トトロ、トラウマになっちゃわない?

余談だが、ネガティビティバイアスという言葉がある。
人はポジティブな情報よりもネガティブな情報に注意を向けやすく、記憶にも残りやすいのだそうだ。

「となりのトトロ」との記念すべきファーストコンタクトが病院で、しかも注射という娘にとってはネガティブこの上ない情報と今まさにセットになろうとしている。

この先本作を見るたびに、今日のことを思い出して嫌がるようになったらどうしよう。

一抹の不安を抱えていると、診察室のドアが開き、看護師さんがわたしたちの名前を呼んだ。

娘の手を引いて立ち上がる。その目には、うっすら涙が浮かんでいた。
さすがにもうごまかせない。

娘よ、ごめん。

ほどなくして、娘の慟哭が待合室に響き渡ったのは言うまでもない。


一連の出来事を思い出し、不安になったわたしは、おままごとに勤しむ娘に聞いてみた。

「ねぇ、『となりのトトロ』一緒に見ない?」
「見ない!」

息子の周りに散らばったおもちゃを拾い集めながら、娘はこちらを一切見ることなく、はっきりと言い切った。出産祝いでいただいた新しいトトロのガラガラやぬいぐるみが他のおもちゃと一緒に次々と鍋の中に放り込まれ、おままごとキッチンで煮られている。

子どもと一緒に「となりのトトロ」を見たい。
残念ながら娘と「となりのトトロ」の初めての出会いは苦い思い出となってしまったが、いつか娘にもトトロに興味を持つタイミングが訪れてくれると信じている。
その日まで、トトロを推していこう。

メイちゃんのぬいぐるみにごはんを与える娘を見ながら、そんなことを考えるのだった。

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