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俗説「東北地方は寒いから母音が少ない」はどこからできたか?

言葉に関する俗説にはいろいろあります。その1つに「東北地方は寒いから口をあまり開けないで発音するようになり,母音の数が減った」というものがあります。実際ちょっと検索するとそれっぽいものがわんさか引っかかります。

大局的に見たとき,気候と母音が無関係とは言い切れないのは事実ですが,東北の方言についてはおそらく気候は関係ありません。というか、個別の言語に適用できるのかで怪しいです(それについては稿を改めます)。

ではこの俗説はどこから来たのでしょうか。日高水穂『秋田県民は本当に〈ええふりこぎ〉か?』によると,戯曲『國語元年』(1985-86)で次のような台詞があるそうです。

「寒さのせいで奥羽人は口を動かすのが大儀なのでアリマショーナ。そこで五個あるべき母音を四個でごまかすのでノンタ。ジュとジとズの三個の音をズの音一個で間に合わせてしまうわけでアリマスナ」

ふむふむ読んでみるかなと思ったら,なんと再放送が近日あるようなのです。これは確認しなければ!

ただ井上ひさし由来というのも本当か気になりました。1980年代というのはちょっと新しい気もします。もうちょっとないかなと探したら金田一京助の1940年代の著作に次のようなことが書かれています。

東北のɪ̈は、ややもすれば、東北は寒地であるがゆえ,寒い外気を吸い込むことを心して、知らず知らず口の開閉が不活発になったせいなどに帰せられるが、しかし、全く同一の音が、ひとり寒地の東北方面ばかりでなく、関東の北部栃木・茨城及び千葉県の一部(山武郡など)にもあり、北国から飛んで出雲(この間は、幾内の感化区域であるため中断)に存し、ことに琉球の最南端の宮古・八重山に存するのである。これによって観れば、寒地のせいで生じたものではなく、おそらくは、上代には、全体的にあった音であるのに、中央になくなって、僻遠の地に残存したために、期せずして北端と南端とにこの同じ音を所有するものと解するにあらざるよりは、解することが出来ないのである。

金田一京助(1941)「私自身の方言を顧みて」『方言研究』3(金田一京助選集に所収)

ここには「寒いから口があまり開かないとされがちだ思うかもしれないけど違うよね」と書かれてます(ご指摘いただき修正しました)。ただこれはあるあるだと思いますが,「Aじゃないよね」と言ってるのに「Aだ」と勘違いする人ってけっこういます。これも同じように「違うよね」と書かれた話の「違う」という部分がなくなって広まったんじゃないかなということも考えられそうです。さてどうでしょう?

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