よし

音楽と猫をこよなく愛す田舎者。写真と読書はスローペースに。

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最近の記事

ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2022「プラネットフォークス」南相馬公演を観て

人生の分断期とも言える世界的パンデミック、コロナ禍が始まって早3年が経とうとしている。それまで自由に気ままにライブハウスに通っていた私にとってそれは青天の霹靂と言わざるをえない出来事で、医療従事者にカテゴライズされる自分には自由がなくなった。 振り返ってみると最後にライブ会場に足を運んだのが2019年2月のナンバーガール仙台公演。奇跡的に当選したそのライブは、パンデミックが世界中に暗い影を落とし始めた頃。ライブ会場もマスク姿の人が多く見られ、私も始終マスクを外さなかった。そ

    • note放置しすぎたのでそろそろ更新します。と言って放置しそう。

      • 生きづらさ

        文章を書くということがいかに大変か、ほとほと思い知る今日この頃です。 技術的なことはもちろん、現代社会を生きるイチ社会人として日常生活にまっっっっったく余裕がないことも意味します。(つまりはいつも眠いし怠いしヤル気が起きないということです) さて私、社会人になってからずっと感じていることがあります。 『なんか自分、周りの人と合わないな…』 なんというか、とことん周りの人と合わないんですよね。価値観とか人生観とかが。もちろん考え方も。学生の頃はあまり気にならなかったので

        • フジロック開催は正解だったのか

          コロナ禍と言われるようになって早1年半が経とうとしている。 現状に目を向けると、第5波と呼ばれる感染拡大の波が襲ってきており感染者数は増えるばかりだ。また、デルタ株と呼ばれる短時間で進化したウイルスも私たちの脅威となり多くの人を苦しめている。 8月30日現在、21の都道府県に緊急事態宣言が、12の県にまん延防止等重点措置が発令されている。 コロナ禍で迎えた2回目の夏。 毎年多くの夏フェスが全国各地で開催され多くの人を動員しているが、昨年から状況は一変してしまった。

        ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2022「プラネットフォークス」南相馬公演を観て

          COVID-19ワクチン接種記

          世界中で猛威を奮っている新型コロナウイルスCOVID-19。パンデミックから約1年半が経過し、世界は大きく変わってしまいました。 まさに歴史の転換期。そんな中でも医療従事者やエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちが日々コロナと戦い続けています。 実は私もそんな環境に身を置いているひとり。医療従事者なんて言葉を使うのはおこがましいのですが、一応最前線。コロナに感染した人と接触することもあります(すみません、職名はあえて伏せます)。 感染症との戦いの歴史は長く険しいものです

          COVID-19ワクチン接種記

          私はガッキーが結婚して非常にショックだ。

          ショックです。ほんと、ショックです。 2021年5月19日。今年最大の衝撃。 ついに、この日が、来てしまったのか… 日本全国から成人男性のため息が聞こえてきて、地球の二酸化炭素濃度が僅かに上昇したであろうこの日。 平日日中というタイミングもまた最悪で、仕事が手につかず死んだ魚の目となり早退した社会人がどれほどいただろうか。 新垣結衣と星野源の結婚発表。 え?え?え? 最初聞いた時、脳が情報を処理出来ませんでした。本当にあるんですね、頭が真っ白状態。 やられた…

          私はガッキーが結婚して非常にショックだ。

          ゴーイングマイウェイ

          こんにちは。27歳独身彼女なしの私です。 さて昨日あったお話ですが、職場の同級生に子どもが生まれました。元気な男の子だそうです。コロナの影響で会えないので送られてくる動画を一生眺めているそうです。 一応友人としておめでとうLINEをしなければと思い、複雑な胸中を隠しながら精一杯の祝福を送りました。そしたらご丁寧に生まれたてベビーの動画を送ってきたのです。 ぐぬぬ、これはキツい。何の拷問なんだと思いながらも1分11秒のありがたい動画を涙目で見ましたよ。 ここは動画の感想

          ゴーイングマイウェイ

          忘れられない先生

          これまでたくさんの先生(と呼ばれる人)に出会いました。私にとって先生との出会いは広い人生を彷徨う中の羅針盤となり、進むべき方向を指し示してくれています。 中にはガタガタな指針の先生もいましたが、幸いにしてそのような先生に人生をメチャクチャにされるといったこともなく、今こうして社会人となり何とか生活出来ています。 先生に当たり外れがあるというのは至極失礼な話ですが、人間だから合う合わないは当然あって、その意味で言うと私は先生との出会いに非常に恵まれていました。 その中でも

          忘れられない先生

          たなあれだ?

          こんクソみたいなタイトルをつけておいて、実はちょっとだけ気に入っています。 タイトルについてはおいおい説明するとして、新年度が始まって環境が変わった方も多いのではないでしょうか。 いきなりどんな角度で話を変えているんだとのお叱りの言葉は軽く受け止めますが、何事も思い切った変化というのは大切です。  話を戻します。新年度の話です。新しい環境で必ず行われるのが自己紹介ですよね。自分がどんな人間なのか簡潔明瞭に述べるという遥か昔から行われてきた伝統行事です。 名前、生年月日

          たなあれだ?

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 5

           高校3年生に進級する私には、明るい未来が見えていませんでした。あの、暗くて息苦しい日々を思い起こすと未だに胸がぎゅーっと締め付けられますが、自分自身のために書き記したい。書き残したい。そんな思いで記事を書きます。  前回までの記事はこちら。  春休み中に、原発がどんどん爆発して、焦った父が仕事先からメールを送ってきました。  『原発がやばいから避難する用意をしたほうがいい』  短い文面が危機感をより一層煽ります。自分が持っている中で一番大きいボストンバッグに着替えや

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 5

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 4

           今の生活に満足できなくなると、「自分は不幸だ」と思い込んでしまいます。東日本大震災で学んだことの一つに『当たり前のことが実は当たり前ではない』というものがあります。自分の隣にいる人が、いつどうなるのか分からない昨今の情勢にも同じことを思います。  前回までの記事はこちら。  震災から3日目の朝を迎えても、相変わらず停電は続いていて、こんなに長い停電は初めてだったので震災の甚大さを思い知りました。  3日目ともなると徐々に震災の規模や被害の大きさが見えてきます。停電して

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 4

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 3

           仕事の忙しさを言い訳にして全く書けない時間が続きました。私の書くスピードの遅さとやる気の問題だとは思うのですが。まだまだ長くなりそうですが、どうか最後まで読んでいただけると幸いです。 以前の記事はこちら。  その日はベットに入ってもなかなか眠れませんでした。私は元来寝付きがいい方なのですが、余震による不安と恐怖が眠気を吹き飛ばし、さらに余震の揺れが船酔いのように襲ってきます。あの夜の怖さと言ったら筆舌に尽くし難いものがあります。とにかく一晩中余震による揺れが続き、日中の

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 3

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 2

           本当は1つの記事におさめるつもりだったのですが、想定よりも長くなってしまいました。前回の記事を読んでくださった皆様に御礼申し上げます。初心者の駄文で、相当に読みづらい部分もあるかと思います。今回は続きですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。  前回の記事はこちら。  雪が降り始め、気温がぐっと下がっても何となく家の中に入るのが憚られました。家の中の現実を見るのが辛かったのかもしれません。  どのくらいの時間を外で過ごしたのでしょう。ただ呆然と過ごしていると、仕

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 2

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 1

           ゴオーーーー。。。カタカタカタ、ガタガタガタグラグラ、ドーーーン!ガタガターガタガター、ゴオーーーードドドド…  10年という長い年月が経った今でも、音や感覚、恐怖感まで鮮明に覚えているあの揺れ。皆さんはいつどこで何をしていましたか。  2011年3月11日14時46分。宮城県牡鹿半島沖130km深さ24kmを震源とするマグニチュード9.0の地震。観測された最大震度は7。地震により発生した津波は沿岸地域を襲い、多くの命を奪いました。また津波により東京電力福島第一原子力発

          10年。あの日のこと、そしてそれから。 1