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ASDの方の生活支援で大切にしていたこと

皆さんこんにちは。よこはま発達相談室の佐々木です。いつも記事をお読みいただき、また「スキ」「フォロー」「シェア」してくださっている皆様、ありがとうございます。前回の投稿からかなり日数が開いてしまいました。頭の中では、ずっと「書こう」と思っておったのですが…。

さて、今回は、自分の経験を踏まえて「ASDの方の生活支援で大切にしていたこと」というテーマで少しだけ話をお話をと思います。

僕自身は、最重度〜軽度知的障害を伴う自閉症の方々のグループホーム(以下GH)に勤めておった経験があり、それは今の自分の臨床活動にとって、非常に大きな財産となっています。もともとGHに勤めたきっかけとしては、「一緒に暮らしてみないとわからないことはたくさんある。だったら一緒に暮らしてみよう」ということがスタートです。もちろん、24時間365日一緒の生活というわけではありませんが、一緒に生活しないよりは、「自閉症の方の暮らし」について少しでも理解できる経験になったのではないかと思っています。

見通しのある暮らしを

まず最初に何が必要であったかと思えば、一番は”暮らしに見通しがあること”だと思います。新しい場所、人との生活がスタートしますので、当然これまでとは全く異なる生活環境になります。ASDの方々は見通しのないことに対しての不安は大きいことで知られていますし、また発揮できるパフォーマンスや安心の分量は、その環境が合っているかどうかが非常に大切であると言われています。したがって、いかにして生活の見通しても持っていただくかが、環境を調整していく中では非常に大切なウエイトを占めるように思います。ここでいう”見通し”は、「言えばわかる」「周りをみて動ける」ということは意味しません。それらは事実かもしれませんが、裏を返せば、『言われないとわからない』『周りを見ないと動けない』ということになります。そうした環境で自信を持てるか、安心できるかというのは、自分自身がそうした状況に置かれたことを想像すれば容易にご理解いただけるのではないでしょうか(例えば、職場では上司から指示があるまで何をすればいいかわからない、自宅でもいつが食事なのか、いつ寝れるのかがわからない等)。

自分で見てわかることを

では、どのように見通しを伝えていくかというと、ASDの方であれば、その特性に合わせることが重要です。つまり、”情報を視覚的に伝える”ということです。自分で見てわかる情報は消えませんし、何度でも確認できます。そして、言われなくても理解できるようになりますので、ご本人にとっては安心につながるだろうと思います。でも、実はこれは僕たちの生活では、当たり前のことなのですよね。自分のスケジュールは手帳やカレンダー、アプリ、メモなどを使って管理している人が多いと思います。日々のやりとりもメールやLINE、messageなどをコミュニケーションのツールとして使っており、自分にとって必要な情報ほど視覚化しているのではないでしょうか。そう考えると、ASDの方にとって必要な情報(=見通し)も、視覚化してお伝えすることは当たり前ではないでしょうか。

視覚反応

周りが決めすぎない

とはいえ、見通しを伝えていく際にも注意しなければならない点があります。それは、”こちらがさせたいことだけにしない”ということです。僕の周囲の人間は、どうしても「〇〇をやってもらうために、スケジュールに入れよう」と考えてしまうことも少なくありません。それが絶対にダメとは思いませんが、そればかりになってしまうと、ご本人にとっては便利なものではなく、かえって窮屈な生活のためのものになってしまうように思います。これも考えたら当たり前のことで、他人が予定を書き込んだ手帳を渡されて、「今月はこんな感じで過ごしてください」と言われたらどうでしょうか?

ですので、ご本人に決めてもらうところはご本人に決めてもらうのが大切なのではないかと思います。例えば、僕がいたGHでは、身の回りのことや家事だけでなく、余暇活動や運動などもできる限り活動を用意していたのですが、ただ、それは強制ではありませんので、その中からどの活動をするのかなどはご本人に決めてもらっていました。そして、フリータイムも長めのフリータイムと短めのフリータイムがあり、それぞれで活動内容が違うので(例えば、iPad、バランスボール、wiiなどのテレビゲーム、ボーリング、簡単な運動など)、その時々によって何をするかはご自分で選んでもらっていました。人手のある時は、散歩やスーパー銭湯、スポーツ観戦などに行く日もあれば(もちろん本人が望めばですが)、食事をデリバリーにしてメニューを選んでもらったりなどもありました。

また、ASDの方では、いつも同じ活動をすることを好むと言われています。確かにそうした面もあると思いますが、そのことと飽きないことは別です。ASDの方でも飽きますし(でも、コミュニケーションのための手立てがないと、それを表現できない方も少なくない)、いつも同じことを繰り返していても好きとは限らないことは注意が必要です(好きではなく、”すべきもの”になっていることもある)。だからこそ、色々な活動や選択肢の中から、自分で選んでもらうことは大切なのではないかと思います。ただし、その時のコンディションによっては、選ぶこと自体が負担になることもありますので、その点も注意が必要です。例えば、僕らも「今日何食べたい?」と聞かれて、「なんでもいい」と思うことがあるように、内容によっては、そもそも選べないということもあると思うのです。ただ、その時には、そもそも、選べないとか、なんでもいいとかの選択肢があればいいのかもしれませんが。

視覚情報のリスク

このようなことをGHに勤めている時には、”見通し”と”視覚的に伝える”ことを優先し、加えて”視覚的なコミュニケーション(発信と受信どちらも)”も生活の中に取り入れていくようにしました。

こうした経験は10年位前のことになりますので、今から思うと、具体的な方法として、失敗したなぁと思うことや、こうすれば良かったなぁと思うことはたくさんあります。でも、大切にしている考え方の根本は今でも変わっておらず、知的な遅れの有無にかかわらず、ASDの方々の暮らしを一緒に考える上では、とても重要なことだと考えています。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

よこはま発達相談室 佐々木康栄

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