あたり前を、あたり前に
(4,950文字/個人差はありますが、約8分~12分程で読めると思います)
こんにちは。よこはま発達グループの佐々木です。
先日、来月配信する動画の撮影をしました(Facebook版でのみ配信です)。メンバーは、ぼくがとても信頼し、大好きな宇野先生、石黒先生、今村先生、笠合先生、草原先生、下田先生です。昨年もこのメンバーが一堂に揃って撮影をしており、1年に1回はぜひ!ということでお願いしている企画です。
2ヶ月にわたって配信予定ですが、今回は一緒に話をさせていただくことで感じたことを書いていきたいと思います。
あたり前が、あたり前じゃない?
宇野先生に「改めて、これが大事だと気がついたこと」について聞いてみました。
宇野先生からは、「ここ数日色々な先生たちにお話を伺っていて、それぞれに表現は違うけれども、自閉症を理解する、敬意を持つ、自閉症から学ぶということ。ご本人から学び、ご本人を理解すること」と教えてもらいました。
同時に、「これは当たり前のことかもしれないけれども、残念ながらそれが当たり前になっているわけではない」とも。
確かに。
言葉を聞くと当たり前のように聞こえるし、多分これに異論を唱える人はほとんどおられないんじゃないかなと思います。
では、何が当たり前になっていないのでしょうか?
これにはもっと解像度をあげて考える必要がありそうです。
例えば、「歯をキレイにしましょう」というのは、多くの人にとっての当たり前かもしれません。なぜそれが必要なのかも「虫歯にならないために」と多くの人が答えるでしょう。
でも、「歯をキレイにする」ための具体的な行動や当たり前は人によって全然違います。
例えば。
1日1回歯磨きをする
1日3回歯磨きをする
1日3回歯磨きをするし、歯間ブラシもする
1日3回歯磨きをするし、歯間ブラシもする。そして3ヶ月に1回は歯医者さんでクリーニングをする
皆さんにとっては、どれが当たり前ですか?
どれも当てはまらないということもあるかもしれません。
「歯をキレイにしましょう」という抽象的なことは共有、共感できたとしても、それってつまりどういうこと?という具体的な部分は人によって違います。人によってあたりまえは違うということです。
さて、話を戻します。
「自閉症を理解する」
「敬意を持つ」
「ご本人から学び、ご本人を理解すること」
このための具体的な行動とはなんでしょうか。
自閉症を理解する
これは自分のnoteでも発信したのでそちらも参考にしてもらえれば有難いです。
▼知識と理解は違う
▼知識を知恵に、知識を支援に
ざっとまとめると、
自閉症の特徴について知っているのは「知識」
知った上で、困難が減るように一緒に工夫を考えるのが「理解」
みたいな感じです。
つまり、理解の前には「知識」が必要です。
例えば、SST(ソーシャルスキルトレーニング)。
SSTでご本人たちに社会的な場面での振る舞いを教えるとします。
もちろん、知らないよりは知っていることで損を防げることもあるでしょう。
でも、これをするときに「カモフラージュ」ということ、それよって不安が強くなる場合もあるということを知っていることも大切じゃないでしょうか。
こうした知識があることで、「このSSTは、この方にとって本当に意味があるのか」と考えること、それが「理解する」ということに一歩近づくのかもしれません。
それ以外にも、自閉症スペクトラムの方々は「認知(ものごとの捉え方や考え方)」に違いがあると言われています。だとすれば、まずは、それらについても知識として知っておくことも大切です。
よく「視覚支援が大事」と言われます。でも、「見るのは得意だけれども、見方は得意じゃない」ということを、どれだけ知っておられるでしょうか。それを知らなければ、「視覚支援」がうまくいかないのは、当たり前かもしれません。
こうした知識がないと、困難の背景に気が付かずに「やる気の問題」とか「努力が足りない」とか、「視覚支援は意味がない」とかなってしまう可能性があります。
じゃあ何が必要かと言われれば、それらを勉強することなんだと思います。そして、これらはもうずっと言われていることでもあり、勉強しようと思えばいくらでも知識として得られる機会はあると思います。
「理解する」ということが、このような具体的な水準で当たり前になっていないことが課題なのかもしれません。
「いま」の姿は当たり前じゃない
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?