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#47『教科書に載らない「日本の文化」』Vol.4

16『歌舞伎』
 「歌舞伎の始まりは、「かぶき踊り」
 歌舞伎は、常識を外れている意味の「かぶく」という言葉が元になっています。
歌舞伎の始まりは、1603年(慶長8)年、出雲の国の「阿国」という女性がかぶき者の男性の格好をまねて踊った「かぶき踊り」で、当時大流行したとのことです。その様子は、「阿国歌舞伎図屏風」に描かれています。
その後、女性ばかりで演じる「女歌舞伎」や成人前の若者が演じる「若衆歌舞伎」が登場することになりました。しかし、風紀を乱すという理由から幕府によって禁止されてしまいました。
その後、男性だけで演じる「野郎歌舞伎」が生まれ、民衆の娯楽として広がり、江戸と上方(関西方面)で独自の発展を遂げ、一門により芸が受け継がれて今日に至っています。
歌舞伎は、「歌(音楽)」、「舞(踊り)」、「伎(演技)」が一つになった古典芸能です。和楽器の演奏や長唄などとともに、役柄に合わせた衣装を身につけた役者が踊ったり芝居をしたりします。江戸時代に役者は全て男性に限ると決められてため、女性の役も男性が演じることになりました。女性を演じる役者や役を「女方(女形)」といいます。歌舞伎役者の「初舞台」は、役柄にもよりますが4歳から7歳くらいが一般的なようです。
江戸時代初期の歌舞伎の舞台は、「能の舞台」を真似て作られていました。江戸時代の中期になると、「歌舞伎の舞台」も現在に近い形になり、観客を驚かせるような「舞台の仕掛け」も作られるようになりました。舞台の真ん中が回転する「回り舞台」や役者や大道具が乗った床の一部が上下する「せり」も登場するようになりました。これらは、幕を下ろして舞台を変えることなく、場面を変える役割を果たしています。
衣装やかつらも独特なものが用いられ、「隈取」と呼ばれる化粧も歌舞伎の独自性が伺えます。紅色系は「英雄」、藍色系は「悪役・亡霊」、茶色系は「鬼・妖怪」などの役に使われています。
演技や演出にも独自性が現れています。役者が動きを止めて決めのポーズをとる「見得」、衣装を一瞬のうちに変える「引抜」、役者が花道を通って退場するとき手を東西南北天地に振りながら進む「六方」など歌舞伎ならではの表現と言えるでしょう。
現存する日本最古の芝居小屋は、香川県琴平町にある「旧金毘羅大芝居」で、国の重要文化財の指定を受けています。
世界には、歌舞伎と同じように、「歌・踊り・演技」の要素を含む音楽劇がありますが、その代表は、「オペラ」、「ミュージカル」、「京劇」でファンも多く、世界で広く公演も行われています。

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