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日本の社会で塀に囲まれた所が三箇所あります。警察署、刑務所、学校です。 共通点は、強制…

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日本の社会で塀に囲まれた所が三箇所あります。警察署、刑務所、学校です。 共通点は、強制力を持つ所です。学校の強制力は陽と陰の両面も持ち合わせています。 そのため、社会の常識が学校の非常識」となるのです。 このマガジンは、そうした学校と社会の溝の架け橋になれれば幸いと考えています。

最近の記事

#76-D 『平等主義と悪平等主義』

 「誤った民主主義の考え方が、誤った平等主義を生むことになった」と言われています。  大分古い話ですが、”子どもが希望する大学が不合格になったことは、「違憲」する”と訴えをおこした事件がありました。親の主張は、「憲法で教育の機会均等を謳っていながら、うちの子を希望する大学に入れないのは憲法違反」というものでした。  裁判所の判決は、「入試の機会は均等(=平等)でなければならないが、結果に対しては平等性が及ぶものではない。」でした。平等とは、本来、皆に機会を等しく与えられること

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    • #75-C 『カエルの子はカエルか』

       小学校の低学年の段階では、一部の子どもを除き、学力も運動能力も極端な差は生じません。しかし、学年が上がるにつれその差は大きくなり、中学段階になるとその差は歴然としてきます。いったい、その差はどこから来るのでしょうか。  子どもが親の遺伝子を強く受ける分野として、運動や芸術が挙げられますが、学力もその側面が強いと言われています。100m走について、”努力すれば誰でも10秒を切ることができる。”と言う人はいませんし、誰一人それを信じる人はいないでしょう。日本の教育では、”頑張れ

      • #74-B 『努力と成果の関係』

        机に向かう習慣もやっと身についてきた。学年×10分の学習時間もクリアーできるようになってきた。そうした子どもの「努力」は、いつ、どんなかたちで「成果」に結びつくのでしょうか。「努力と成果の関係」は、子どもが知りたいと言うよりも、「親が知りたいテーマ」と言えるのではないでしょうか。

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        • #73-A『学力と知的レベルの関係』

          学力は、「学習によって得られた能力」のことで、学習成績として表されます。それに対し、知力は、「知恵や知性にかんするさまのこと」を指し、知的レベルとか知的水準と呼ばれ、最近では”民度”と表現されることもありますが、学習成績のように数値化して表すことは困難な面を持ち合わせています。

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        #76-D 『平等主義と悪平等主義』

          #71『時計のはなし』Vol.3

          『機械式時計』が誕生する前の「時計」について調べるというテーマでしたので、私たちのグループもまず、どんな時計があったのかから調べることにしました。 『日時計』と『砂時計』はすぐにでてきましたが、それ以外は出てきませんでしたので、まず最初に学校の図書室で調べることにしました。パソコンで検索して「時計」の本を数冊探すことができました。 そこで調べた結果、『日時計』、『砂時計』、『水時計』、『火時計』があることがわかりました。次に、私たちグループは「どの時計」を調べるかについて話し

          #71『時計のはなし』Vol.3

          #70『時計のはなし』Vol.2

          私たち3人は、機械式時計の誕生前の時計で『水時計』を調べることにしました。理由は、事前の調査で『日時計』と『砂時計』に人気が集まりそうで、抽選にはずれてからテーマを選びたくなかったからです。それと、『水時計』のことをまったく知らなかったので、”おもしろいかも”で意見がまとまりました。 『水時計』 最も古い『水時計』で現在も残っているのが、紀元前1400年ころの ・エジプトのアメノフィス1世が使った「石膏製の水時計」だそうです。 それでは、調べたことをまとめてみたいとおもいま

          #70『時計のはなし』Vol.2

          #69『時計のはなし』Vol.1

          小学生が取り組んだ課題(テーマ)学習から『時計』について何回かに分けて紹介してみたいと思います。 学習に際しての約束事等はここでは割愛させていただきます。 また、写真・図などの資料も省略させていただいています。 『日時計』 私たちは、機械式の時計が使われるようになる以前は、世界で最も多く使われていたのが『日時計』ではないかと考えて、『日時計』について調べることにしました。 大昔の人間が自然の中で生きていくうえで一日の区切りの中で最も大切にされていたのが、「夜明け」、「真昼=

          #69『時計のはなし』Vol.1

          #68『2月 自然と生活、行事』

          如月、衣更着、令月、麗月、梅見月、 初花月、雪消月、小草生月、短月など の別名があります。 ・2月3日(頃):「節分」  春、夏、秋、冬とかわっていく季節の始まりの日を、それぞれ立春、立夏、立秋、立冬と呼んでいます。そして、その日の前の日を「季節がかわる節目」という意味で節分といいます。したがって、節分は年四回あることになります。一般的には立春の前をさすことが多いのは、農業に携わっていた人達にとって待ち望んでいた春の到来を示すためといわれています。  それでは、どうして節分に

          #68『2月 自然と生活、行事』

          #67『2月の人物カレンダー』

          ・1日:「山県有朋」1838/4/22~1922/2/1 長州に生まれ、松下村塾に学ぶ。明治維新後、徴兵制度をつくり近代軍隊を創設した。地方制度や警察制度を改革した。内務相や首相を歴任した。 ・2日:「行基」668~749/2/2  奈良時代の僧。諸国をめぐり、道路、橋、池や灌漑用水路などの建設を手掛けた。奈良の大仏の造営に力を尽くしたが、完成前に亡くなった。 ・3日:「福沢諭吉」1834/12/12~1901/2/3  緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだ。咸臨丸で渡米し帰国したが

          #67『2月の人物カレンダー』

          #66『トイレの話』Vol.2

          今回の『トイレの話』は、古い日本トイレ事情について取り上げてみたいと思います。 「東司」  「東司(=とうす)」は、京都の大本山東福寺にある建物です。この建物丸ごと一軒がいわゆる『トイレ』で、日本に残る最も古いトイレ建築として知られています。東福寺の「東司」は、境内の南東側にあり、幅10m、奥行き27mの大きくて立派な建物になります。かつて、隣には禅堂とよばれる建物があり、修行の場として使われ、修行僧のトイレとして利用されました。用を足すことも大事な修行の一つと位置つけられ

          #66『トイレの話』Vol.2

          #65『トイレの話』Vol.1

          今回は、『トイレの話』を取り上げてみたいと思います。 私のnoteの本来の主旨とは少し離れる話になります。私は、2021年の新年早々から入院生活を余儀なくされ、手術を経て入院生活が続いています。覚悟はしていましたが、腫瘍の摘出手術で、傷は痛みますし、酸素吸入でベットからは離れることができませんし、トイレに行くにしても点滴と常に同伴です。 4人部屋で10日余りが過ぎ、隣人のイビキなど各種ストレスにさらされていますが、その中で最大のストレスは『トイレ』です。 また、主旨に準えれば

          #65『トイレの話』Vol.1

          #64『海の街道』

          街道シリーズ、最後は『海の街道』を取り上げて見たいと思います。 主要な海の街道は、3つです。 ・『東廻り航路』  酒田(山形県)から東北日本海沿岸、津軽海峡、太平洋の沿岸の港を通り、江戸に至る航路です。 酒田→土崎→能代→鰺ヶ沢→青森→八戸→宮古→石巻→塩竃→荒浜→平潟→那珂湊→銚子→小湊→江戸 ・『西廻り航路』  酒田から佐渡(新潟県)、能登半島(石川県)を経て山陰地方の港を経由し、下関(山口県)、関門海峡を通過して瀬戸内海から大坂に至る航路です。 酒田→小木→福浦→柴山→

          #64『海の街道』

          #63『五街道以外の「脇街道」』Vol.2

          11「伊賀街道」  「伊賀越奈良街道」とも呼ばれた。津(三重県)から長野峠を越えて上野(三重県)に至る。近畿地方などから伊勢神宮にお参りに行く人が多く利用した他、さまざまな生活物資が運ばれる重要な街道でもあった。 12「熊野街道」  熊野三山(和歌山県)の熊野本宮神社・熊野速玉大社・熊野那智大社へのお参りのため、摂津(大阪府)から紀州(和歌山県)を経て熊野に通じた街道。街道沿いには九十九王子と言われる多数の神社がある。熊野古道のひとつとして世界遺産にも登録されている。 13「

          #63『五街道以外の「脇街道」』Vol.2

          #62『五街道以外の「脇街道」』Vol.1

          今回は、五街道以外の街道、『脇街道』を取げて見たいと思います。街道名や起点、終点については、時代等によって異なる場合があります。また、記述も簡略化していますことをご承知おきください。 1「羽州街道」  奥州街道に続く「仙台道」から陸奥(福島県)の桑折(=こおり)から奥羽山脈の金山峠を越え、出羽(山形・秋田県)を通り、「仙台道」の延長である「松前街道」の油川(青森県)に合流する。松尾芭蕉の『奥の細道』にも登場する。 2「松前街道」  奥州街道の白河(福島県)から函館まで続く街道

          #62『五街道以外の「脇街道」』Vol.1

          #61『甲州街道、奥州街道と「街道あれこれ」』

          ・『甲州街道』  甲州街道は、日本橋を起点に、内藤新宿から上諏訪まで45宿、総距離は約220kmありました。上諏訪宿の次の宿は、下諏訪宿で、中山道下諏訪宿(29宿)に合流しました。甲州街道が通る地域は山が多く、川を使った荷物の輸送はできませんでした。山越えがしやすい馬(=中馬)が使われ、陸上輸送が発達しました。 24宿(猿橋)の「猿橋」(山梨県大月市)は、日本三奇橋に数えられます。防州・岩国(山口県岩国市)の「錦帯橋」、越中新川郡(富山県黒部市)の「愛本橋」ですが、「愛本橋」

          #61『甲州街道、奥州街道と「街道あれこれ」』

          #60『日光街道「名所・名物」』

          日光街道は、日本橋を起点に、千住から今市まで20宿、東照宮のある日光に至る総距離が約140kmになります。「日光」という地名は、奈良時代の僧、勝道上人が男体山を開き、霊場としたのが始まりです。男体山のふもとの呼び名は「二荒山(=ふたらさん)」で、「ふたら」を「ニコウ」と読み、「日光」という文字をあてたとされています。「二荒」の由来は、仏教の言葉で、観音菩薩が住む地からきていると言われています。 「名所・名物」 ・1宿「やっちゃ場」(千住)「やっちゃ場」は、野菜などを扱う青物

          #60『日光街道「名所・名物」』