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#62『五街道以外の「脇街道」』Vol.1

今回は、五街道以外の街道、『脇街道』を取げて見たいと思います。街道名や起点、終点については、時代等によって異なる場合があります。また、記述も簡略化していますことをご承知おきください。
1「羽州街道」
 奥州街道に続く「仙台道」から陸奥(福島県)の桑折(=こおり)から奥羽山脈の金山峠を越え、出羽(山形・秋田県)を通り、「仙台道」の延長である「松前街道」の油川(青森県)に合流する。松尾芭蕉の『奥の細道』にも登場する。
2「松前街道」
 奥州街道の白河(福島県)から函館まで続く街道。白河、仙台、盛岡、三厩(=みんまや)(青森県)を通り、海を渡って松前、箱館に至る。
3「越後街道」
 会津若松(福島県)と新発田(新潟県)を結ぶ街道。会津五街道と呼ばれた街道の一つで、会津から米、越後から海産物などが運ばれた。
4「日光例幣使道」
 中山道の倉賀野(群馬県)から楡木(栃木県)で「壬生街道」に合流し、「日光街道」の今市に至る街道で。日光例弊使とは天皇の使いのことである。
5「北国街道」
 追分(長野県)と高田(新潟県)を結ぶ街道。途中、善光寺を通ることから「善光寺街道」とも呼ばれた。善光寺参り、参勤交代、佐渡の金を江戸に運ぶ街道としても重要な役割を果たしていた。
6「水戸街道」
 千住(東京都)と水戸(茨城県)を結ぶ街道で、水戸より北では「磐城街道」と呼ばれた。その後、「奥州街道」と合流し、仙台まで通じていた。
7「川越街道」
 中山道の板橋(東京都)から川越(埼玉県)を結ぶ街道。城下町として栄えた川越から「児玉街道」となり、藤岡(群馬県)に至り、その後再び中山道に合流した。
8「中原街道」
 東海道が整備される前は、江戸と平塚(神奈川県)を結んでいた。徳川家康が平塚に築いた中原御殿から中原の名前が付けられた。宿場は当時はなかった。
9「美濃街道」
 東海道の宮(愛知県)と中山道の垂井(岐阜県)を結ぶ街道で「美濃路」とも呼ばれた。途中、木曽川や長良川などの渡しがあったが、東海道の七里の渡しの難所を避けるために利用された。朝鮮通信使や八代将軍徳川吉宗の時代にベトナムから送られた象もこの街道を利用したと言われとぃる。
10「郡上街道」
 中山道の加納(岐阜県)から北に向かい、郡上八幡(岐阜県)を経由して霊山である白山のふもとの石徹白(=いとしろ)の大師堂に至る街道。白山信仰のため整備された街道であった。
*Vol.2では、11~22までの脇海道を紹介して見たいと思います。
 

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