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#76-D 『平等主義と悪平等主義』

 「誤った民主主義の考え方が、誤った平等主義を生むことになった」と言われています。
 大分古い話ですが、”子どもが希望する大学が不合格になったことは、「違憲」する”と訴えをおこした事件がありました。親の主張は、「憲法で教育の機会均等を謳っていながら、うちの子を希望する大学に入れないのは憲法違反」というものでした。
 裁判所の判決は、「入試の機会は均等(=平等)でなければならないが、結果に対しては平等性が及ぶものではない。」でした。平等とは、本来、皆に機会を等しく与えられることであり、結果の平等を保証しているものではありません。
 そんなこと当然過ぎて議論の余地がない、と多くの方が思われることと思います。しかし、身近にも「悪平等」に関する事例はあるのです。例えば、児童の運動会で「手をつないで一緒にゴールさせる」ようなことがかつてありました。「主役ばかりの発表会」もそうでした。
・両親だけでなく、おじいちゃんやおばあちゃんも見に来るわけで、一定の
 配慮と考えられます。
・うちの子は、勉強はあまり得意ではないので、せめて運動会で頑張ったこ
 を評価してあげたいです。
・学業は競争で、運動会は競争なしの根拠が不明です。
・発表会の役柄にも口出しする親がいて、学校も何かと大変ですね。
これに対するあなたのご意見はどうでしょうか?

手をつないで一緒にゴール」、「主役ばかりの発表会」なども保育園や小学校が主体的判断で行っているのではなく、「親の圧力」の前に「悪平等」とわかっていて行っているように私には思えます。騎馬戦や組体操などが児童・生徒の安全確保の点から見直された事例とは異なり、一部の不平や不満の声を和らげる手段として「平等」と「悪平等」が使い分けされているのではないでしょうか。人間の能力はそれぞれ異なっています。そのことを親もしっかり理解し、子どもにも説いて聞かせる。学校は、機会均等を前提に競争により、勝ち負けだけの結果だけでなく、個人の能力の尊重や取り組みの大切さなどを重視する。自信をもって教育を推し進めることのできる環境を整備することが大切です。我が子可愛さが教育を偏重させないようにして欲しいものです。

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