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時人を待たず、時人を来たる(仮、推敲前)前編


 令和3年3月、北海道旭川市の公園で凍った状態で14歳の少女が発見された。
 イジメという名に置き換えられた犯罪行為により一人の少女の命が奪われた。

 加害少年らの卑劣で残虐な行為。
 学校関係者の狂った発言。
 司法行政の事なかれ主義の隠蔽。

 反吐が出そうだ。
 それは、単にその卑劣で残虐な行為や責任逃れをしようとする卑怯で醜悪な行為に対してだけでは無い。
 私を含めて、全ての人が残虐な心が潜んでいる。
 私を含めて、全ての人が卑怯な心が潜んでいる。
 反吐が出そうだ。
 イジメの問題はこれが初めてでは無い。
 過去にもあった。
 繰り返される悲劇。
 私の中に潜んでいる残虐で卑劣な醜い心を何とかして欲しい。
 全ての人が自分の心に潜んでいる残虐で卑劣な醜い心に気付いて欲しい。
 これは、私の将来に対する戒めである。


「彩薫(あやか)、朝だよ」
 階下から母の声。
 枕元ではスマートフォンが鳴っている。
 今日もいつもの朝。
 目覚めた時、世界が変わっていればと思ったことが、もう遠い昔のよう。
 今日は夏休みが終わって、中学2年の2学期2日目の日。
 夏休みは世界を何も変えなかったのは、昨日登校して分かった。
 誰の為で無く、ただ母の為に私は、ベッドから起きた。
 心配かけたくなかった。
 呼び鈴が鳴り響いているスマートフォンに出る事無く1階に降り、ダイニングキッチンに行くと母が、弟の体温を計っている。
 父は、いつものように既に仕事で出かけている。
 2歳になる弟は、重度のアレルギー性の喘息で、発作が起きると発熱し呼吸が困難になってしまう。
 酷い発作を起こすと救急搬送しないと手に負えないこともある。
 思い返してみると、弟が生まれた時は、跳び跳ねるほど嬉しかった。
 弟が重度のアレルギーがあることを知った時も私は涙を流し心配した。
 しかし、それから両親が気に掛ける割合は、私より目に見えて弟が重きとなった。
 弟中心であった。
 そんな弟ばかり構う両親を見て、病身の弟に対し、嫉妬した事も、今の私にとっては遠い昔。
 「今日は体温は大丈夫。良かったね、誠。」
 どうでも良かった。
 私はテーブルの席に付き、段ボールのようなトーストをバリウムのような牛乳で無理やり、胃の中に流し込んだ。
 私、椅子からいつものように黙って立ち上がった。
「もう、食べたの。もっとゆっくり噛んで食べなさい。」
 今日も同じ。
 無理して食べていることを全く気付かない。
 私が死んでも気付いてくれないだろう。
 私は2階に上がった。
 私は手早く制服に着替えた。
 何も考えずに。
 何故なら、考えないことが苦しみを和らげることを私は知らないうちに身に付いてから。
 階段を駆け下り、玄関に向かった。
 「もう。聖也ったら。」
 母は、聖也の頭を撫でていた。
 「彩薫、いってらしゃい。」
 私は、無言で家を出た。
 家を出ると、下を向いてひたすら歩いた。
 誰にも会わないように。誰にも会わないように。
 私は、通学路で人に会わないコツを知らずに掴んでいた。
 このタイミングでここを歩くと危険とか、ここを歩く時は、このタイミングとか。
 遠回りも苦にはならない。
 道路に赤茶けたマンホールが見える。
 マンホールの模様は笑みを浮かべた人の顔のようだ。
 私は今日も思った。
 「サイコパスピエロ」
 私は顔を見上げた。
 中学校の校舎が、とてつもない大きい墓石に見えた。

 私が教室の扉を開ける時、毎回必ず視線を落とし俯く。
 教室内にいる同級生が一斉に会話が途切れ、私を見るような気がするからだ。
 私はいつものように視線を落とし教室の扉を開けた。
 私の席は、一番前の廊下から二番目。
 私は、自分の机を見た。
 私の机の上には、紫色のガラスの細目の花瓶が置いてあり、白い菊の造花が生けられている。
 何処で拾われたような薄汚いご飯茶碗に砂が入っており、緑色の線香が数本立てられている。
 そしてお茶の空ペットボトルが置かれている。
 それは仏壇やお墓に供えるように。
 教室中の生徒が私に注目していることは、教室を見回さなくても私は分かっていた。
 押し殺した笑い声やこそこそと私の事を話していることも聞こえる。
 私は、自分の席の椅子に座り、バッグを机の横に掛けた。
 「拝めよ。」と男子生徒。
 教室中に、不気味な押し殺した笑い声が拡がる。
 「手を合わせて。先立つ不孝をお許しくださいって。」
 この女の声は私は誰なのかすぐ分かった。
 私の耳の奥に耳鳴りのように昼も夜も絶えず渦を巻いて聞こえてくる。
 千浬子ちゃんの声。
 教室が馬鹿笑いで響き渡った。
 泣けるのならどんなに楽なんだろう。
 私は表情を変えず、花瓶と茶碗を持って教室の後ろに行きロッカーの上に置き、自分の席に座り、机上の空のペットボトルを鞄の中に入れた。
 「ポクポクポク。ナンマイダー。ナンマイダー。あはは」
 男子生徒の声と皆の笑い声が教室内に拡がった。

 昨日の始業式の朝は、私の机の上にゴキブリホイホイが置いてあったんだ。
 私は椅子に座り、机の木目を見つめながら思い出しました。
 思い出したくない記憶ばかりので、私は忘れようといつも頭の中で努力している。
 楽しいことを思い出す努力もしている。
 小学校に入学した時、楽しかったな。
 友達も一杯出来たし、勉強も好きだった。
 3年生の終わりに大阪に転校しちゃったアキラ君、今、どうしているのかしら。
 4年生の運動会は、リレーのアンカーで、私、走ったんだ。
 女の子でアンカーで走ったのは、私だけだったなあ。
 1位になって、リレーのメンバー全員が集まった時、私が
「皆で、ボルトポーズやろう」
と声かけて、せーのでポーズしたんだ。
 お笑いも好きだったな。
 ダウンタウンとか、サンドイッチマンとか。
 アキラ君の影響かな。
 私、良く喋っていたし、良く笑っていた。
 5年生の1学期はテスト、全部満点取ったんだ、私。
 夏休み、家族でハワイ旅行行ったなあ。
 お父さんは職人なんだけど、その技術が見込まれてしまって、突然有名一流大企業に入社することとなったんだ。
 その時、その会社から入社のお礼にと、その旅行をプレゼントされたんだ。
 半月以上、ハワイに家族といたんだ。
 楽しかった。
 ハワイから帰りたくなかった。
 今思えば、帰りの飛行機が堕ちれば家族全員幸せでいられたのに。
 夏休みが終わり、5年生の2学期始業式の日。
 馬鹿な私は、生きている中で一番ワクワクしていた日。
 新調の紺色のスーツと卸し立ての白いワイシャツ姿の新入社員のお父さん。
 銀色と紫のストライプのネクタイを笑顔で整えてあげるお母さん。
 いつもはベージュ色の作業服はポロシャツの姿しか見ていない私にとってスーツ姿の父親はまぶしかった。
 私はいつもの交差点のところで待っていると千浬子ちゃんを待っている。
 千浬子ちゃんとは、小学校1年生の時から登下校はずっと一緒だった。
 千浬子ちゃんとは親友だったんだ。
「彩薫ちゃん、真っ黒だね。家に行ってもずっと留守だし、電話かけてもずっと電波が届かないところにいるってなるし。何処に行ってたの。」
「内緒。」
「ねえ、内緒にしないで教えてよ。」
「秘密。」
「凄く心配したんだからね。どうかしたのかと思って。」
「内緒は内緒。秘密は秘密。絶対教えない。」
「何処に行ってたの。どうして教えてくれないの。私には言えないことなの。」
と何度も聞いてくる千浬子ちゃんが震えていることに全く気が付かず、笑みを浮かべる馬鹿な私。
「分かった。もう聞かない。」
 学校で皆の前でお父さんが一流企業に就職することになり、ハワイ旅行を一流企業からプレゼントしてくれて夏休みの大半をハワイで過ごしたことを話して驚かせたい、皆に喜んでもらいたい、自慢したいと思っていた私。
 親友だった千浬子ちゃんにも内緒にしたことは裏切りと変わり、ハワイ旅行は皆の妬みと変わり、父が一流企業に就職した事が、私を高慢へと変わらせた。
 皆の前で千浬子ちゃんが
     boutique renaissance

     ボウテクエ・レナイサーンス
と間違えて呼んだのを
     ブティック・ルネサンス
と私が笑いながら間違いを指摘したことも、私と千浬子ちゃんや皆の距離が離れる理由のひとつになってしまった。
 何もかも上手くいかなくなっていた。  
 私はそんなつもりでは無かったのに。
 私はいつもの交差点のところで待っていた。
 誰も来ない。
 いつの間にか私は孤独になっていた。
 元の関係に戻そうと懇願する私を千浬子ちゃんや皆は楽しんでいるようだった。
 仲良くしてもらいたくお小遣いで御菓子を買って皆に配ったことも、皆の気に障ることとなってしまった。
 今では、千浬子ちゃんや皆に、お小遣いを要求され、小学校の時からしていた貯金もすっかり無くなってしまった。
 私は標的になってしまった。
 あの頃、孤独になりたくないと思っていた。
 お父さんが転職したことも、そして父さんも恨むようになってしまった。
 今は、永遠の孤独を望むようになっていた。

 気が付くと、私は椅子に座り、机の木目を見つめていた。
     8時53分
 壁に掛かった時計の針は指していた。
 私は立ち上がり、教室を出た。
 小走りにトイレに向かった。
 別に急に催したわけではない。
 始業ベル5分前にトイレに行くことは私にとって一番安全だから。
 このタイミングだと皆にトイレで会う確立が少ないからだ。
 夏休み前の昼休みにトイレに行ったら、千浬子ちゃん達に合ってしまい、
「パンツの色は何色。」
と冷やかされてスカートをたくし上げられた事があった。
 あの時も、始業ベルの助けられた。
 その経験からトイレは始業ベル5分前と決めた。
 誰もいない。ほっとした。
 さっと済まし、トイレを出て廊下を小走りで走っていると、廊下の先の階段から担任の植草和夫先生と並んでこちらに歩いている学生服の男子生徒が見えた。
 見た覚えのない男子生徒だった。
 遠くからでも分かるくらい肌が白い子だった。
 「先生より先に教室に入らなければ。」
 私は、あわてて小走りの速度を上げた。
 いつもは大抵廊下は下を向いて通る私ですが、この時は先生を気にしてか何故か前を向いて教室に向かった。
 先生の横で歩いている男子生徒は、身長はクラスの男子生徒の平均よりは少し高いくらいで、スタイルもよく、髪はさっぱりとしたナチュラルな七三、眼鏡はかけておらず、目がぱっちりとした細面の子でした。
 凄く緊張している事が顔の表情で分かりました。
 白いワイシャツや制服は、折り目もはっきりついており、たった今卸したかのようでした。
 私がその男子生徒に気を取られていると、男子生徒と視線が合ってしまった。
 男子生徒は、ニコッと笑い、すっと私の向かって会釈した。
 大人びれていた。
 私は、さっと下を向いた。
 何とか、先生と男子生徒より先に教室に入ることが出来た。
 

 自分の席に座り呼吸を整え姿勢を正すと同時に、先生とその男子生徒が教室に入ってきた。
「おはよう。」
先生はそう挨拶し、男子生徒とともに教壇に立った。
「起立。」「礼。」「着席。」
 一学期までは順番で決まる当番が号令をかけるのだが、新学期で当番が決まっておらず、今日は学級委員長の祥子ちゃんは号令をかけた。
 クラス全員がその男子生徒に注目していた。私以外は。
 私にとっては、また自分の事を嫌う人が一人増える可能性が上がっただけだから。
 私は下を向いていた。
「えーと、皆さん。今日から、このクラスにお友達が増えることになりました。では、黒板に名前を書いて、自己紹介して下さい。」
 私は少し気になって黒板を見た。
 先生からチョークを渡された男子生徒は、サラサラと縦書きで名前を書いた。
          
          
          
          
 
達筆な字でした。
 チョークを黒板に置き、振り返り男子学生は話しました。
「僕の名前は、ないとうときひとです。年齢は13歳です。この度、東京から転校しました。よろしくお願いします。」
 色白の顔のイメージと違う低く良く通る声でした。
「はい、皆。拍手。」
 クラス全員拍手したので、私もつられて拍手した。
「さて、どこに座ってもらうかな。
 そうだ。廊下側の一番前の席。そこに座ってもらおう。
 そこは前まで当番が座るところだったけど。 
 これからは、当番は席を変わらなくてよろしい。」
 内藤君。もういいな、そこで。」
「はい。」
「はい、決まり。」
 えっ、嘘。
 植草の馬鹿先生。私の隣に転校生の席を勝手に決めてしまった。
 植草先生は、人の気持ちが分からない人だ。
 私は一学期にそれとなく、植草先生に相談した時の返答はこうだった。
「それはお前が皆に愛されている証拠だろ。
 お前がすこし我慢すれば皆が幸せになるのだから。
 考えて見ろ。
 一人が我慢して皆が幸せと感じるのと、
 一人が我慢しないで皆が幸せでないと感じるのと全体で考えたらどっちの方が良いと思う。」
 初対面の人が隣に座るのは苦痛だ。
 視線を感じるのが苦痛だ。
 転校生は、机に鞄をかけ、私の隣に座った。
 私は視線を転校生に向けないようにした。
「よし、出席とるぞ。相川。」
 一人ずつ名前を呼び、返事をする。
「鈴木、秋生」「はい」
秋生君の次が私だ。
いつか私の名前を呼ばなくなる日がくるかもしれない。
「鈴木、彩薫」「はい。」私はそう考えながら返事をした。
「内藤。」「はい。」先と同じ低い良い声の返事だった。
「よし。全員いるな。
 では、早速授業始めるぞ。
 皆、日本史の教科書を出して、準備して。」
 私は、慌てて机の上に教科書、ノート、筆入れを出した。
「教科書開いて。
 一学期の続きだ。
 覚えているか。
 確か、関ケ原の戦いまでやったな。
 123ページ。開いて。」 
 私は教科書を開いたとたん、時間が止まった。
 耳鳴りが鳴り響きで周りの音が聞こえない。
 教科書を開くとそのページにたくさんの画鋲が刺されており、その画鋲で文字が読み取れた。
          シ  ネ 
 又、二学期も始まったんだ。
 ずっと前なら泣いていたんだろう。
 悲しむことが無駄、誰も分かってくれないことを分かってしまった今は、何も考えず無感情にことが自分を守ってくれると信じていた。
 涙をこぼすまい。
 きっとクラス全員が私の事を横目で見て心の中で笑っているに違いない。
 そう思い、右斜めに首を傾げた時、右隣に座っている転校生が私の画鋲が刺さっている教科書を見ていることに気が付いた。
 しまった。
 私は心の中で叫びました。
 私の事を気が付かれた。笑われる。
 転校生は、目を丸くして私の教科書を凝視してました。
 おしまいだ。
「先生。」
 転校生は急に手を上げていた。
「内藤君。なんだ。」
 やめて。皆にこの事を発表するつもりなんだ。笑われる。
「僕、教科書まだ持ってませんので、隣の人に見えてもらっていいですか。」
「そうか。隣の人に見せてもらいなさい。」
「はい。」
 転校生は転校生の机を私の机にピッタリくっつけ、椅子も近づけて座った。
「ごめんね。ありがとう。」
 転校生は笑顔で言った。
「では、教科書読んでもらうぞ。早乙女。123ページの頭から。
皆も心の中で一緒に読むように。よし。早乙女。」
「はい。関ケ原の戦いは1600年に美濃国(現岐阜県)…」
 私は仕方が無く自分に目の前の画鋲が刺さった教科書を私と転校生の間に置いた。
 転校生は、教科書に刺してある画鋲を一つずつ抜いていった。
 転校生はささやくような低い声で私に言った。
「この画鋲、もらっていい。
ちょうど良かった。
引っ越したばかりで画鋲がなかったんだ。」
 転校生は私の教科書に刺してあった画鋲を全部抜いて、転校生の筆箱にざらざらと全部入れた。
「転校生は画鋲が欲しかっただけだったんだ。」と私は心の中で思った。
 私の教科書は刺さった画鋲を全部抜いても、画鋲の刺した後の穴は
          シ ネ
という文字を浮き出している。
 この文字はずっとこの教科書に刻まれたんだ。
 私がいなくなってもずっと。
 そう思った瞬間、涙が溢れ出てきた。
 止まらなかった。
 私の視線に転校生が入った。
 転校生は私が泣いていることに気が付かず、真剣な顔で教科書文字を追っている。
 転校生も皆と同じ。きっと心の中で笑っている。
「もう、何もかもリセットして欲しい。」
 心の中で叫んで、私は、俯いて目をつぶった。
 机の上に涙がぼたぼたと落ちるのを目をつぶっていても分かった。
 目の前は暗黒が拡がり、耳鳴り以外何も聞こえなくなった。

 「はい、そこまで。早乙女、ご苦労であった。」
 耳鳴りの向こうから植草さんの声が聞こえた。
 ゆっくり目を開けると、机の上に私の涙のしずくがあった。
 隣の転校生は、私の教科書を真剣に見つめている。
 大粒の涙。
 恥ずかしいところを随分見られてかもしれない。
 私は教科書を見た。
 最初、涙で歪んだ教科書は徐々にはっきり見えてきた。
 私は、驚いて教科書を見つめた。
 私の教科書に残っていたはず画鋲の刺した跡の穴が、跡形も無くなっていたのだ。
 私は自分の教科書のページを右手で表面を擦ってみた。
 穴は完全に塞がっており、手触りでは穴が開いた感触は全くなかった。
 手品。
 魔法。
 夢。
 幻。
 私は、驚いて右隣にいる転校生の顔を見つめた。
 転校生は、私の視線に気が付かないようで教科書を真剣な顔で見つめている。
 転校生に聞けば、謎は分かるかもしれない。
 いや、分かるだろう。
 でも、聞く勇気は無かった。
 気が狂っていると思われるかもしれない。
 そう、初対面からそう思われたくない。
 あれこれ考えているうちに終業ベルがなった。
 「じゃあ、今日はここまで。学級委員長。号令。」
「起立。」「礼。」「なおれ。」
 教室から去っていく先生。
 転校生と目が合った。
「ありがとう。 
 教科書を見せてくれて。
 本当に助かったよ。
 恩人です。
 僕、内藤時人。
 これからもよろしくお願いします。」
 妙に改まった話し方。おかしな人。
 そう思いながら、私も答えた。
「どういたしまして。
 私は、鈴木彩薫です。
 よろしくお願いします。」
 私は、転校生に倣って丁寧に挨拶して、軽くお辞儀をした。
 「はい、はい。席放して。通れないよ。」
 私が何か言おうとした瞬間、後ろから男子生徒の声がした。
 「あっ、ごめんなさい。」
 転校生は、慌てて机と椅子を廊下側に寄せた。
 「トイレ。トイレ。トイレ。漏れちゃう。」
 男子生徒はそう言いながら教室を走って出て行った。
 私と転校生は、男子生徒の後ろ姿を見ながら席に着いた。
 席に着くと転校生は、私の方に身体を向けて話し出した。
「僕、学校の事、よく分からないから教えて欲しいんだけど、何時までに登校しなければいけないのかなあ。」
「8時30分までだよ。」
「鈴木さんは、何時に来るの。」
「私は、結構ギリギリなの。8時20分か25分くらいかな。」
「えー、家が学校から近いんだね。」
 私の家は学校から近くはない。
 勿論言えない。私が学校の近くで時間調整して登校していることを。
「8時30分までは、学校の敷地に入るまでなの。教室に入るまでなの。」
「教室にいないとだめ。」
「そうか。気を付けよう。ところで下駄箱で履き替える時、皆は下駄箱にそのまま入れるのかな。出船でいれるのかな。」
「さあ。皆が入れるところを注意して見ていないから分からない。」
「そうだよね。気にしないもんね。で、鈴木さんはどの向きで入れているの。」
「私は、そのままかな。そう言われると皆、そのまま入れていると思う。」
「じゃあ僕も、そうしよう。それでね、登校する時や学校で先生に会った時挨拶は、どうやってするの。」
「えっ、ふつうに『おはようございます』、て挨拶するけど。」
「それって、全員。」
「うん。まあ全員。」
「挨拶は、どのタイミングで『こんにちは』に変わるの。」
「どのタイミングって…」
私が返答に困っている事を転校生が気付いた顔をした。
「ごめんね。
僕、この学校の事全く知らないから、規則とかルールを色々知りたくて。
迷惑?」
私は首をゆっくり大きく横に振った。
「ううん。答えに詰まっただけ。
 そうね、1時限目が終わった後からは、『こんにちは』に変わっているのかな。」
「そっかあ。1時限目が終わった後か。なるほど。」
 転校生は笑顔で言った。
「それで、階段上る時は向かって右なの。左なの。」
休み時間は、ずっと転校生が私に学校の事を聞いてきた。
 2時限目の始業ベルが鳴り、私は慌てて1時限目の教科書、ノートを仕舞い、2限目の教科書とノートを机にの上に出した。
 国語の川合先生が教室に来て、教壇に立ち、授業が始まる。
 転校生が手を上げた。
「はい、先生。僕、転校してきたばかりで教科書、持っていないのです。
隣の人に見せてもらっていいですか。」
「はい。見せてもらいなさい。」
 先生がそう話すと転校生は笑みを浮かべながら、そそくさと自分の机を私の机にぴったりと付けて、椅子に座り会釈した。
 私も軽く会釈して教科書を開き、同級生との間に置いた。 
 結局、その日の授業は、全て転校生に教科書を見せて受けました。
 休み時間も、転校生の質問に答えることで終わり、その日の私の学校での生活は終わりました。

 いつものとおり、帰り道は一人でした。
 でも普段とは違ってました。
 いつもは、学校での事を思い出さないように、早く忘れるように頭で考えながら無心になるよう努めて一人帰ってました。
 今日は、転校生の質問の事を考えていました。
 私ながら答えられることはしっかりと丁寧に答えたんだなと思い返しました。
 でも、転校生。変な質問も一杯したな。
 答える事なんてできないでしょ。
男子って、トイレ行った時、手を洗うか洗わないかなんて。
知らないんだから。
仮に知ってても答えられないんだし。
 気が付いたら家の前でした。
 その日は自分の感覚ではいつもの十分の一くらいの時間で着いた感じでした。
 玄関から入ると、私はいつものように黙って階段をかけ上がる。
「お帰り。彩薫。」
 いつものようにお母さんに返事を返すことなく自分の部屋に入った。
 いつもは大抵、制服を普段着に着替えた後、ベッドに潜り込み寝ようと努力する。
 今日は制服のまま学習机に鞄を置き、椅子に座った。
「今日は、転校生が来たりして1日、色々あったなあ。」
 机の上の鞄を見つめながら、独り言を言った瞬間だった。
「あっ、魔法の教科書。」
 私は、鞄から日本史の教科書を取り出した。
 教科書をパラパラとめくって123ページを開いた。
 画鋲の刺さった跡は無く、真新しくさえ感じた。
 夢や幻覚ではなかった。
 教科書を閉じて、眺めまわした時、私は気付いた。
「あ、消えている。」
 裏表紙に書いてあった私の名前が消えている。
 私は裏表紙をめくり、次の最後のページをめくった時、かかっていた魔法の一部が解け、謎の一部を知ることが出来た。
    
    
    
    
 それは、転校生の教科書だった。
 何故、転校生の教科書を私が持っているの。
 あの時、私が涙が出て目を閉じた時に、私の教科書とすり替えたんだわ。
 何故、すり替えたの。
 何故、転校生が自分の教科書を持っているのに、持ってないと言ったのは、画鋲が欲しかったって転校生は言ってたわ。
 そう、転校生は画鋲が欲しかったので嘘をついたんだわ。
 でも何故、画鋲を抜いた教科書と自分の教科書とすり替えたの。
 教科書を持ってないとか画鋲が欲しかったんだなんて、全部嘘だったんだ。
 何故、嘘を付いたの。
 私の心の中には、その答えは
『優しさ』
しか浮かばなかった。
 数学的に背理法を用いても解いたとしてもその答えは変わらないに違いない。
 どんなに久しぶりなんだろう。笑いながら涙が溢れるなんて。
 私は、そう思いながらしばらくの間、日本史の教科書を胸に抱きかかえながら泣きました。
 ずっと経験してなかった幸せな時間でした。
 はっと私は我に返りました。
 胸に当てていた日本史の教科書を、ぱっと離し、顔の前に持っていき、教科書を見つめながらつぶやきました。
「私、内藤君の教科書、勝手に持って来てしまったんだ。どうしよう。」

 後編に続く(予定)


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