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キャンプ場の惨劇
序
事実というものは存在しない。 存在するのは解釈だけである。
怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。
長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ。
フリードリヒ・ニーチェ
これを最後まで読んで、どこかで聞いたことがあると思う方が居られるかもしれない。
そうならば、私とあなたが家族、親戚、知人等をお互いたぐっていけば、必ず私達にこの話を伝えた共通の人物にたどり着くだろう。
1
それはまだ年号が昭和の時代の夏。
あるキャンプ場に4台の乗用車が訪れた。
4台の乗用車から13人の男性が乗っていた。
彼らは、20代前後のK大学の学生であった。
当時、娯楽は少なく、携帯電話も無い時代。
夏、若者が遊びに行くとしたら海か山か夜の街。
彼ら13人は山を選んだ。
今では、キャンプ用品をホームセンターで手軽に買える程、求め易くなったが,昭和のその時代は、庶民はせいぜい河原でバーベキュー。
本格的にテントを張ってキャンプする人は限られていた。
4台の乗用車は、キャンプ場の駐車場に駐車した。
他に車は止まっていない。
利用者は彼らだけだった。
駐車場といっても舗装はされていない、単なる空き地だ。
駐車場から見て奥に、学校にあるようなコンクリートで作られた流しがある。水道は引かれているようだ。その流しには東屋のような屋根がついている。
駐車場の角にトイレがある。壁がクリーム色、扉が緑色で中が半畳くらいの一人用トイレで、形状は和式トイレであった。
キャンプ場には、他に3か所に同様のトイレが設置されていた。
電気は引かれておらず、電灯は勿論、見当たらない。
「やっと着いた。俺はこういう静かな所が好きなんだ。」
Kが車から降りて回りを見回し叫んだ。
「思ったより静かで、うっそうとした所だな。今日は貸し切りだな。とりあえず、手分けして荷物を下ろし、テントを張るぞ。ぐずぐずしてると夕飯食えなくなるぞ。」
Mが皆に声をかける。Mはキャンプは勿論、登山経験者であった。
真面目で面倒見も良く、知識もある。誰もが認めるリーダー格の人間である。
雰囲気を楽しむため、車が見えないところでテントを張りたいという参加者の意見があってか、駐車場から離れた場所の、二つのトイレの丁度間くらいのところでテントを張る事となった。
Mの指示が良かったことから、順調にテントが張られた。
「夕飯にするぞ。」
Mの号令で鉄板が用意され、焼き肉大会となった。
陽が暮れ行く中、アイスボックスのビールを一人一本ずつ手に持ち舌鼓を打った。
肉や焼きそばが鉄板の上から無くなるころには、あたりは深黒の闇に包まれていた。
彼らは、一円となり、歌を歌ったり、子供の様にハンカチ落としをして大いに楽しんだ。
2
ひとしきり盛り上がり、夜も更けた頃、彼らの一人が
「怖い話を順番で話していこうよ」
と言い出しました。
「やろう、やろう」と話す者もいれば、「場所が場所だけにちょっと怖いな」と言う者もちらほらいた。
そんな中、リーダー格のMはバトンのような蝋燭を取り出し、静かに話し出した。
「百物語という言い伝えがある。
いつの時代からはっきり分かっていないが、怪談を100話語り終える時、真の闇が訪れ本物の怪が現れると。
江戸時代に刊行された諸国百物語はそんな逸話が残されてる。
百話目に怪奇現象が本当に起こるのか試してみるいい機会だと思う。」
Mの話しを聞いて、「まさかのさかは、あるかもしれない。止めたほうがいいのでは。」という声もあった。
だが、彼らは20歳前後の怖さ知らずの年頃。
特にKは、
「面白そうだし。やろう、やろうよ。
俺、生まれてこの方、幽霊なんて見た事もないし、信じた事も無い。
怖いと思った事も無い。
霊とかお化けとかは、科学的には存在は証明できるわけないものだから。」
と楽しそうに言った。
彼らは火が点いた蝋燭を中心に円となって座った。
3
彼らは一つずつ怖い話をしていった。
病院近くで乗せた女性客が忽然と消えたタクシーの話。
峠の首無しライダーの話。
お化けトンネルで和服の女性に会うと合ってしまった人は亡くなる話。
皆、怪談話に怖がる中、Kだけは
「ははは、そんな話はあり得ない。
科学的な見地からしても人の思い込みからくる創造の賜物としか言いようがない。」
と全く怖がらないで平気な顔をしている。
そしてついに100話目の話しの順番になった。
誰も話したがらない。
リーダー格のMが静かに話し出した。
本当は、この場で話したくなかったが仕方が無い。
怪人赤マントを知っているだろうか。
ある女子高で、学校内の便所に妙な噂がたった。
入口から三番目の便所に入ると、
「赤いマントいらんかね、青いマントいらんかね」という声が聞こえてくるという。
その噂のせいで、誰も三番目の便所に入るものがいなくなってしまった。
掃除も生徒達は、ここだけは気味悪がって手をつけない。
ある日、生徒達がこのトイレの噂をしていると、一人の生徒が、
「この世の中にお化けが出るはずがないじゃない。私が行ってお化けの正体を見てくる」
と言った。
同級生達は「止めたほうがいいよ。」と止めたのだが、その生徒は、
「大丈夫。」
と言い残して、教室を出て行った。
その生徒は、トイレに着くと三番目の戸を開けて、中へ入った。
しばらくすると、
「赤いマントはいらんかね。」
という声がした。
女生徒は返事をしなかった。すると、又
「赤いマントはいらんかね。」
という声が。
「本当に声がする。」
その生徒は声がする事実を知って段々怖くなった。
しかし、その生徒は誰もいないのに声が聞こえる訳ない、声が聞こえるのは、私の恐怖からの思い込みによる幻聴、つまり空耳、若しくは自分を驚かそうとする者、つまり同級生の声しかないと考えることにより恐怖心を抑えようとした。
その生徒は同級生の名前を叫んでこう言った。
「A、そこにいるよね。Bも一緒にいるの。皆でからかって。そんなに面白いの。分かっているんだから。騙されないよ。」
トイレにこだまするだけ返事はない。
しばらくすると
「赤いマントはいらんかね。」
と声が聞こえきた。
その生徒は恐怖で耐えきれない程でしたが、その恐怖を断ち切ろうと震える声で怒鳴った。
「もういい。分かったから。皆、終わり。」
そして続けてこう叫んだ。
「これでいい。赤いマントが欲しい。」
言った途端、生徒は後にいるはずもない人影を感じ
「ギャー」
と悲鳴をあげた。
授業が始まっても生徒は戻って来ない。
先生と同級生が学校内を探すと、トイレの三番目だけが戸が鍵が掛けられて閉められている。
先生が、鍵を壊し三番目の戸を開けた。
トイレの中で生徒は死んでいた。
首から背中は刃物で深く切られており、血がべっとりと着いて、まるで、赤マントをつけているようであった。
リーダー格のMはため息をついた。
周りからは口々に「本当かよ。」「怖えな。」と呟く。
するとKだけが
「そんなことある訳ないよ。
だってこれって殺人なんだぜ。
警察が、犯人はお化けでした。捜査終了とはならないでしょう。
うそ、うそ。作り話。」
と言い出した。
リーダー格のMは、Kを横目で見て話し始めた。
私はこの話を知った時に、恐怖とともに妙な現実味を感じてね。ちょっと調べてみようと思ったのさ。山好き、鉄道好きの私にとって現地に行くのもその手間は、苦にならなかった。
調べてみるとトイレと舞台を限定しているのはどうやら、後から話を作られたらしい。
話の元は、場所が限定されていない。
街角もあれば、山道もある。勿論トイレも。
地方によって、赤マントは、赤ちゃんちゃんこや、赤はんてんに変化していた。
マントというものが馴染みが無い地方では、より馴染みがある上着の変わったのだろうと推測した。
時代も昭和10年ころ、つまり1935年には、東京を始め、大阪、長野県、九州、東北等で、既に赤マントの話が語られていた。
実際、東京谷中を始め各地で少年少女の殺人事件や誘拐が発生しており、神隠しにあったとして片付けられていることが分かった。
当時、『赤マント』と言う芥川龍之介の『杜子春』を下敷きにした、赤マントを着た魔法使いの紳士が靴磨きの少年を弟子にする紙芝居があったが、子供に対する殺人や誘拐が多発したため、この紙芝居が警察に押収される騒ぎとなったことが記録に残されていた。
怪人赤マントと呼ばれていることから、江戸川乱歩の怪人二十面相を想像させた。
赤マントは怪人二十面相が変化したものなのか。調べてみると、怪人二十面相は、昭和11年、1936年で初登場している。ただ、二十面相の有名なイメージのマントにタキシード、黒いアイマスクは、昭和37年、1962年に発刊された「少年倶楽部」の挿し絵に描かれた姿であり、乱歩の原作中に登場したことは一度もないことが分かった。
「怪人二十面相」の冒頭で、「人を傷つけたり殺したりする、残酷な振舞は、一度もしたことがありません。血が嫌いなのです」と説明されており、劇中で二十面相自ら「僕は人殺しなんかしませんよ」と公言している。
私は、怪人二十面相から赤マントが生まれたのは違うと思う。
昭和11年、1936年2月26日に起きた陸軍青年将校らが1500名程の下士官や兵が起こしたクーデター未遂事件に参加した中橋基明中尉が愛用の将校マントの裏地は、乃木希典将軍の赤マントを意識して赤色で仕立ててあったことから、赤マントの怪談が生まれたという説もあった。
しかし、この事件より前から赤マントの噂があったようなので、当時の庶民の赤マントに対する恐怖を助長したかもしれないが、これは赤マントの話の元では無いと考える。
又、厠神(かわやがみ)という陰陽道(おんみょうどう)の俗信で、井戸、トイレなど土に掘った穴を埋めるときに、人形や扇子を入れる作法から派生したのではないかと言う説もあるが、これも違うと思う。
そういった赤マントを追っているうちにたどり着いたのは、明治39年、1906年に起きた「青ゲットの男殺人事件」という未解決事件。
この事件が赤マントに関係すると考えられる最も古い記録となっている。
この年の2月11日の夜、福井県坂井郡三国町の回船問屋、橋本利助商店に青いゲットを被った訪問者があった。
ゲットとはブランケットが由来の言葉で毛布のことだ。
訪問者は三国町に隣接する新保村で村吉の親戚が急病で倒れたので、すぐ来てほしいと番頭の加賀村吉を呼び出した。
その後すぐに同様の手口で村吉の自宅から村吉の母キク、妻ツオを連れ出し、さらに村吉とツオの2歳の娘も連れ出そうとした。
しかし、この時は子を預かっていた隣家の人間に拒否されたため、叶わなかった。長女は子守りとして他家に居たために留守であった。
連れ出された3人はいつになっても戻らず、翌朝になって三国町と新保町を繋ぐ新保橋において、新保村の大工が、雪が血で真っ赤に染まっているのを見つけた。その部分の橋の欄干は斧のようなもので叩き切られていたという。
これを契機として警察の捜索が行われ、竹田川及び九頭竜川でそれぞれツオとキクの死体が見つかる。ツオの死体の前頭部には、切り傷が残されていたという。
村吉の遺体が発見されなかったことから村吉主犯説が捜査本部の中でも取りざたされたが、新保橋の血痕が1人分にしては多すぎることなどから、やはり村吉も殺害され遺棄されたという判断になった。事件当日に青ゲットの男が3人を連れ出していたことから、村吉も殺されたのだろうと判断される。
捜査本部は男が一家を次々に連れ出して、残忍に殺害していることから、村吉に強い恨みを抱いた者が犯人の可能性があると推理した。しかし村吉は真面目で酒も飲まず、良く働き若くして番頭に取り立てられるなど大変評判は良かった。結局村吉を恨んでいる者は見つけることが出来ないまま、捜査は暗礁に乗り上げ、そのまま捜査は進展することなく、大正10年、1921年にはついに時効を迎え、迷宮入りとなってしまった。
この間出た、『家紋』という題名の松本清張の小説が、この事件がモデルとなっているという話を聞いて、読んでいたのだが赤マントに繋がる記述は無かった。
私は、この事件が動機の繋がる原因は、加賀村吉本人では無く、加賀家の血に対してのものではないかと考えてみたんだ。
この真犯人、私はある集団だと思うのだが、加賀家を惨殺した後も、その血を探して殺している。
今、犯人が、「赤マント欲しいか」と聞くのは、つまり「この事件を知っているのか。」「青ゲットの殺人事件の真相を知っているのか。」「お前もその血を継いでいるものなのか。」と聞いているのと同じ意味なのでは、と私は考えている。
ただ、加賀家を調べてみたが、そのような末代に悲劇を招くような先祖の何かしらの記録は全くなかった。
しばらくの沈黙の後、皆が口々に「やばいだろ、この話。」「ちょっと寒気してきた。」と話した。
しかしK一人だけ、「良く出来た話だな。青ゲットの話は、単に明治時代に起きた殺人事件で、それと赤マントの話と結びつけるなんて馬鹿げている。」と笑いながら言って、少しも怖がらなかった。
するといつも無口なDが、真剣な顔で話し出した。
「その話、村吉の母キクに何らしかの原因があるのではないだろうか。キクの素性とかは調べたのか。」
Mは、はっとした顔をした言った。
「調べていない。そうか、村吉の母キク本人の怨恨は、おそらく当時の警察は調べてあるだろう。そして見つからなかった。キクの血を狙ったのかもしれない。」
皆、黙っていた。
Mは、ゆっくりとした口調で話し出した。
「私からの話は、以上で終わりです。
信じるか、信じないかはお任せします。
ただ、用心して下さい。
私がこの話を最後まで躊躇してのは、私達の中に赤マントがいる可能性があるからです。
それは、赤マントを着せる側なのか、着させられる側なのかは分かりません。」
その瞬間、皆の中心で灯されていた蝋燭の火が、ふっと消えた。
男として恥ずかしい金切り声の悲鳴が暗闇の中、木霊した。
4
早朝。
目を覚ました者がテントから出てきた。
だが、一つだけ開かないテントがあった。
「おい、もう朝だぞ。いつまで寝ているんだ。」
そのテントを開けて皆が中を見ると誰もいなかった。
「K、何処行ったんだ。」
そのテントはKのであった。
「あいつ、昨日の怖い話も何もビビッていなかったから、どこか森でも一人探検に行ったんじゃねえの。」
「うさぎでも追っかけて穴でも落ちたんじゃないのか、不思議の国のアリスみたいに。ははは。」
そんな冗談を言っていたのだが、いつまで経ってもテントにKは戻ってこない。
皆は心配になり、手分けして探してみてもKは見つからない。
するとキャンプ場にある3個のトイレの内1個が中から鍵がかかっていることに気が付いた。
「おーい、K。中なのか。いるなら返事しろ。」
「K。大丈夫か。ここを開けてくれ。」
ドアや壁を叩きながら声をかけるも返答は無い。
キャンプ場やその周辺は、隈なく探したのだからKがいるのならここしか無い。
「仕方が無い。扉を壊そう。」
彼らは、テントを張るのに使った工具を利用して、トイレの扉を壊し開けた。
彼らは声を失い、血の気が引いた。
トイレの中には、便器を抱え込むような恰好で倒れているKがいた。
Kは死んでいた。
Kの背中は、大量の血で真っ赤になっており、正に赤マントを着ているかのように見えた。
5
昼前くらいの時。
遠くからサイレンが近づいてきた。
警察車両がキャンプ場の駐車場に入ってきた。
彼らはKの死体を発見した後、とにかく警察に届け出なければいけないという話になった。
当時は携帯電話は無い。
DとEに車で山の麓まで行き、雑貨屋の店先にある公衆電話から警察に電話をかけた。
警察が来ると、刑事が3人近づいてきた。
その中の一人の年配の刑事が話し出した。
「今からそれぞれ各人に事情聴取を行う。
なに、心配することはない。通り一遍の事を聞くだけだ。
何にもしていないなら問題ない。
友達の一人が死んだんだ。
協力をしてもらう。」
その年配の刑事はそう話すと、あとの二人の刑事に「あとは頼んだぞ。俺は現場を見てくる。」と話し、例のトイレの方へ向かった。
大学生達は横目でトイレの方を見てみると、写真を撮っている者や図を書いている鑑識の警察官の姿があった。
刑事は、大学生一人一人に友達関係、特にトラブルの有無について質問をした。
日米安保条約についてどう考えていうのか、学生運動に参加しているのか、学生運動をどう思うか等も質問した。
大学生の中の一人が事情聴取が全て終わった後、何故、そんなことを聞くのか刑事に訊ねたところ、刑事は「凶悪犯罪の陰に左翼ありだからな。」と、にやりと笑い答えた。
彼らは皆、ノンポリと答えた。
ノンポリとはノンポリティカルの略で政治的には無関心の事である。
大学生達は、皆、無口になっていた。
この中に、Kを殺した者がいるかもしれない。
疑心暗鬼になっていた。
全員の事情聴取が終わり、少しの時間が経った後、年配の刑事を先頭に警察がやってきた。
年配の刑事が周りを見回した後、話し出した。
「大学生諸君。全員いるかね。今回の事件は解明できた。本来なら事件の事を第三者は勿論のこと、被害者や関係者に軽々しく説明するのは私自身は好まないし、推理小説の探偵のように話をすることは、現実の現場では事件解決後も遺恨を残すことになるので、私は基本話さないようにしている。しかし、今回の事件は話しておかなければ、諸君らに今後将来に渡り遺恨が残ると判断した。」
一同は息を飲んだ。
刑事はギロッと大学生達の表情を一周観察した後、話し始めた。
「まず、亡くなったKの検証結果は、後頸部の鋭利な刃物様の物による切り傷による失血死。
切り傷は深く、頸椎まで及んでいると思われる。
後頸部の傷からの血液は遺体の背中を流れており、顔、胸、腹等に血液の付着がないことから、切創後の動きはほとんど無かったと判断。
死亡推定時間は、死後硬直、血液の凝固硬直等からの判断して、本日の午前5時から7時までの間。
ズボン、下着類に排泄物が付いてないことから、トイレで排泄後、死に至ったと判断。
現場のトイレの検証結果についてだ。トイレの鍵はトイレ内から施錠された状態で、トイレ内からの打突による破損があり、トイレ内から鍵部分を破損によりトイレ内から開錠出来なかった可能性が高い。
指紋や足跡は、亡くなったKのものしか発見出来なかった。実際、床については大量の被害者の血液により足跡は消えてしまっていたのだが。
注目すべき点は、トイレ内にあった清掃用具の柄に被害者の指紋が多数発見されたことだ。」
「清掃用具って、何故。」
「どうしてKは清掃用具をつかんだ。」大学生から声が漏れ聞こえた。
「もう一つ重要な事、それは凶器が判明したことだ。凶器はガラスだ。当初の検証時は大量の血で発見出来なかったが、トイレの床の血の溜りの検証時、床から発見された。」
「誰が、ガラスでKを。」Mは呟いた。
「でも、どうやって。まさか、赤マントが。」Dは首を傾げた。
大学生一同は、年配の刑事に注目している。
刑事は、KとDを鋭い眼光で睨んだ後、落ち着いた表情で話し始めた。
「まず最初この事件の一報を受けた時、馬鹿な学生が内ゲバか、総括とか言う自己批判や反省と称して全員で一人をリンチして殺した事を疑った。
しかし、事情聴取や所持品から、その可能性は無いとした。
又、Kとトラブルになっている、問題となっている事実も見当たらなかった。
そして、諸君の事情聴取、現場の状況、遺体の状況からこの事件の経緯が判明した。
順を追って説明していこう。
諸君は昨日の午後2時10分頃、キャンプ場駐車場に着いた。
荷物を下ろし、テントを設置し終わったのは午後3時20分頃。
その後、午後4時30分頃から夕食の支度をし、午後5時30分頃から夕食の支度。
午後6時前から夕食。午後8時前には全員食べ終える。
それから、歌を歌ったり、ハンカチ落とし等で遊んだ。
ここまでの間、各自の間で問題は全く無し。
午後10時過ぎ頃から、怪談話大会が始まった。
この怪談話が、実はこの事件の重要な鍵となる。
怪談を100話を語り終えると、本物の怪が現れると話。本官も子供の頃に言い伝えで聞いたことがある。
この時、一人だけ全く怖がらなかった人がいた。」
「Kだ。」何処からか声がした。
「そう、K君だけが怖がらなかった。そしてとうとう100話目。M君が怪人赤マントの話をした。事情聴取の時、赤マントの話を聞かせてもらったがね。刑事として大変興味を持ったよ。
ただM君は、警察には正直に言います、一部皆を怖がらせる為に脚色したところもあることを白状したよ。脚色した部分を教えてもらったが私からの感想は極一部だろう。赤マントの話についてよく調べたと思うよ。
そして100話目の話をし終わったのは午前0時前頃。
それから各々テントに就寝した。皆、疲れていたのかテントに入るとすぐ朝まで深い眠りに就いた。いや、正確にいうと一人を除いてだが。」
「誰だ、一人って。」Mが唸った。
「それは、Kだ。
時間は推定だが、午前2時00分前、Kはおそらく腹は痛くなっただろう。
用便を催したのだ。大のほうである。
彼は、テントを出た。昨晩は晴天で満月だ。きっと明るかったに違いない。小ならその辺でしただろう。しかし大なら拭く便所紙が必要だ。便所紙はトイレしか無い。Kはトイレに向かった。
駆け込むようにトイレに入ると鍵を閉め、ズボンを下ろし用便をした。事を済まし便所紙で拭いて立ち上がりズボンを上げて直している時、突然100話の怪談話を思い出した。
Kは急に怖くなった。
Kは本当は怖くて仕方が無かったのだが、恐怖を忘れる為、皆の話におどけたり、否定して馬鹿にしたりいていたのだろう。
Kは慌てた。扉を開けようとしても開かない。鍵を掛けた事もこの扉に鍵があることも見失っていたのかもしれない。
開ける為に扉の取っ手部分を足で蹴とばした。扉の取っ手付近を中心にKの足跡が発見されたことからも推測できる。
冷静になって鍵を開錠すれば扉が開いて出れたものの、恐怖心により施錠したことを忘れて取っ手部分を蹴ったことにより、鍵が破損して開錠出来なくなってしまった。
何とかトイレから脱出したい。押し寄せる恐怖にそう思ったのでしょう。扉も壁も破壊できそうにない。トイレの中には清掃用具と便所紙だけ。清掃用具を使っても扉はこじ開けられそうにない。
Kは上を見上げた。天井一面、ガラス張りの天窓だ。事件当時、天窓を通して満月の光をトイレの中を照らしていたに違いない。
天窓を突き割り、そこから脱出しようと考えた。清掃用具が目に入る。
清掃用具の柄で天窓を突き割ろうと考えた。
清掃用具の柄を持って天井窓に突き上げた。
Kの期待通り天窓のガラスは割れたのだが、運悪く割れたガラスの一片が、Kの後頸部を突き刺した。」
皆、息を飲んだ。
「おそらく、ガラスは脊椎まで及んでいると考えられる。
これは司法解剖をしないと正確な事は言えないが。脊椎の神経を損傷してしまい首から下は力が入らなくなっただろう。
そのまま便器を抱え込むような、恰好に倒れ動く事も出来ない。
後頸部から背中に流れ出る血液に、感覚が無い為、気が付かなかったかもしれない。
声を出しても誰も気が付かない。
Kは少なくとも3時間耐えた。
もしかしたら薄れゆく意識の中で、諸君が自分を探していた声を聴いたかもしれない。」
バタンと鈍い音がした。
Dが気絶していた。
隣にいた者が、Dを仰向けに寝かした。
大学生は皆、しくしく泣きだした。
Mが嗚咽するように泣き叫びだした。
「俺が、俺が悪いんだ。俺がKを殺したんだ。」
事実は真実の敵だ。
ミゲル・デ・セルバンテス
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