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vol 12. 1967年の人種暴動と'68 Kerner Commissionが予言したアメリカの未来

vol 12.では今日のBlack Lives Matter(以下BLMと省略)の歴史的背景,特にキング牧師が暗殺される前年1967年に起きた人種暴動とそれによりリンドン・ジョンソン大統領によって結成されたKerner Commisionによる報告書ついて書きます。伝えたいのは,George Floydさんの死に端を発する今日のBLM抗議運動ですが,黒人にとって「抗議」と言う2文字は数世紀前から宿命づけられていると言っていいほど身近な存在であり,平等への戦いは今になって絶頂期に向かっているのではなく,まだ戦い続けなければいけないのかと言う先の見えない運動なのだと私は考えているということです。

1967年の人種暴動

まず,長年の公民権運動による功績として,1964年のCivil Rights Act(公民権法)と1965年のVoting Rights Act(投票権法)が可決されます(1968年にはFair Housing Actも可決)。しかし法律の制定は必ずしも人種差別の撤廃を意味しませんでした。依然として黒人の選挙登録は進まず,その現状に抗議すべくアラバマ州セルマからモンゴメリーまで選挙権を求める大行進を行うも,かの有名なEdmund Pettus Bridgeをデモ隊が渡り終えると,アラバマ州兵や白人が一丸となって警棒や騎馬隊を用いて,デモを鎮圧するだけでなく混乱する黒人を叩きのめしました。この事件をBloody Sundayと呼びます。

これはあくまでも象徴的な一例で,上記の法律は制定されたものの,州/郡警察による不当な扱いや暴力,貧困,失業,居住区における人種間の棲み分け,不平等教育は東西南北問わず,全米各地の都市で平然と続いてました。そして,白人たちは郊外への移住を続け,多くの貧しい黒人が限られた中心部のエリアに押し込めらており,そこを殆ど白人で構成された警官が過剰な取締りや暴力で脅かしていました。

次第に警官と住人の間には軋轢が深まり,とうとう1967年7月にミシガン州デトロイトで43人の死者と1,189人の負傷者を出すデトロイト暴動が発生します。鎮圧のためにデトロイト市警や州兵のみならず,米陸軍までが派遣されました。また,同年ニュージャージー州ニューアークで26人の死者と約1,500人の負傷者を出すニューアーク暴動も起きています。そして,この暴動以外にアメリカでは100を超える都市で暴動が発生しました。その都市のリストを次のU.S. News記事から知ることが出来ます。

Kerner Commission's レポート

1960年代の公民権運動や人種暴動は当時の政治にも大きな影響を及ぼしていました。そして,公民権運動の大きな功労者となるのがリンドン・ジョンソン大統領です。まず,1963年にテキサス州ダラスでケネディ大統領が暗殺されると,ジョンソン副大統領は大統領に昇格,そして1964年大統領選挙戦に勝利します。ジョンソン大統領の詳細はまだ勉強していないので深くは触れませんが,公民権法案を通す程の政治手腕を持った大統領であったため,人種差別撤廃に関してはある程度の理解を示していたと考えられます。

そしてジョンソン大統領がが1965年6月にワシントンDCにあるHoward University(歴史的黒人大学)の卒業式で述べたスピーチの数文を以下に抜粋します。ここから,少なくとも公民権法案だけでは不十分であり,更なる差別撤廃への動きが必要だとジョンソン大統領が考えていたことを垣間見ることが出来ます。

But freedom is not enough. You do not wipe away the scars of centuries by saying: Now you are free to go where you want, and do as you desire, and choose the leaders you please.(しかし,自由だけでは不十分である。そして,「さあこれからあなた方はどこでも好きな場所へ行き,そして自分たちの好むリーダーを選ぶことが出来る(2ヶ月後に可決される投票権法)」と言ったとしても,数世紀にもわたる傷跡を一掃することは出来ません。)

そして,そのジョンソン大統領はこの暴動に対処すべく,The National Advisory Commission on Civil Disorders(通称Kerner Commission)を立ち上げ人種暴動の原因究明にあたらせます。イリノイ州知事のOtto Kernerを筆頭に,11名のメンバー(上院/下院議員やアトランタ警察署長,NAACPなど)で調査を進めます。ジョンソン大統領は,この調査団発足を知らせるテレビ放送で以下のように述べました。

All of us, I think, know what those conditions are: ignorance, discrimination, slums, poverty, disease, not enough jobs... We should attack them because there is simply no other way to achieve a decent and orderly society in America.(私が思うに,私たち全員がこれらの様相について知っていると思う:無知,差別,スラム,貧困,病気,不十分な職。そして,私たちはこれらの現状を打破する必要がある,秩序ある米国社会を実現する方法は他にないのである。)

ジョンソン大統領が理解していたように,当時の人種暴動は複合的要因によってもたらされていました。そして,このKerner Commissionは1967年の人種暴動に関する次の3つの質問に答えるべく,暴動が発生した都市や黒人密集地の現状などを全米規模で調査を進めました。

What happened?(何が起きたのか)
Why did it happen?(なぜ起きたのか)
What can be done to prevent it from happening again?(再発を防ぐためには何が出来るか)

そして,6ヶ月に及ぶ調査の末,426ページにもわたる報告書を書き上げます。ここに共有してあるファイルは26ページ程にまとめてあるので,比較的読みやすいです。

そして,その1ページ目に記された結論は全米を揺るがしました。

The nation is moving toward two societies, one black, one white—separate and unequal.(この国は黒人と白人,隔離され不平等な2つの社会に向かって進んでいる)

そして,次ページではこう続きます。

What white Americans have never fully understood but what the Negro can never forget--is that white society is deeply implicated in the ghetto. White institutions created it, white institutions maintain it, and white society condones it.(白人が完全に理解したことがなく,しかし黒人が決して忘れることのないことは,白人社会がゲットー(黒人密集居住地区)に深く関わっていることである。白人が牛耳る社会や組織がそれを生み出し,それを維持し,そして白人社会がそれを容認しているのである。)

「白人による黒人差別」が1960年代に発生した人種暴動の直接的原因であると断じたことは大いに物議を醸しました。そして,基本的な要因として白人警官による黒人への過剰暴力が挙げられました。以下抜粋します。

To some Negroes, police have come to symbolize white power, white racism and white repression. And the fact is that many police do reflect and express these white attitudes. The atmosphere of hostility and cynicism is reinforced by a widespread belief among Negroes in the existence of police brutality and in a “double standard” of justice and protection—one for Negroes and one for whites.(一部の黒人にとって,警察は白人の権力,白人による人種差別,白人による抑圧を象徴するようになっている。そして実際に,多くの警官がこれらの白人の態度を反映している。黒人の間に広がる警官に対する敵意は,警察の残虐行為と,黒人と白人にそれぞれ異なる意味を持つ"ダブルスタンダード"な警察機関の存在によって強化されている。)

警官暴力以外にも,居住区差別や高い失業,家族構成,社会不和,貧困など多角的な分析を行いました。

そして,Kerner Commissionの大きな功績の一つとして,所謂Institutionalized Racism(制度的人種差別)の構造を解き明かしたところにあります。当時は人種差別をDe fact Racism(公的機関ではなく"個人"により人種差別が行われている)という主張が叫ばれていた中,De fure Racism("公的制度"や"組織"によって社会的に人種差別が行われている)を暴いたのです。De factである以上,問題は差別的な"個人"にあり,政府や自治体には責任がないと言う結論に達してしまいます。現実的に白人が大多数を占める議会や警察,公的機関などが人種暴動の第一の原因と報告書が述べていたことは,多くの白人にとって聞くに堪えない事実だったのです。

そしてKerner Commission's reportは,米国の未来が取り得る3つの可能性について次のように述べます。

1. We can maintain present policies, continuing both the proportion of the nation's resources now allocated to programs for the unemployed and the disadvantaged, and the inadequate and failing effort to achieve an integrated society.(現状維持)
2. We can adopt a policy of "enrichment" aimed at improving dramatically the quality of ghetto life while abandoning integration as a goal.(ゲットー内の向上)
3. We can pursue integration by combining ghetto "enrichment" with policies which will encourage Negro movement out of central city areas.(ゲットーの外や郊外との融合政策) 

まず,1つ目は人種差別を継続し続けるため,更なる黒人による暴動と白人による報復を引き起こすでしょう。2つ目では,中心部の黒人密集地の生活が改善されたとしても,結局は白人と黒人の棲み分けは続き,慢性的な財政難や低いレベルの公教育が残るため改善には繋がりません。つまり,アメリカが1960年代から取るべき手段であったのは人種融合政策の強化であったのです。加えて,Kerner Commissionは3つ目の社会を実現するための具体的な道筋も示していました。

1970年以降のアメリカ

しかし,どうでしょう。果たしてアメリカはどの選択肢を取ったのでしょうか。2020年も依然と残る公教育の不平等や大量投獄,麻薬戦争,刑事司法制度。そして新型ウイルスは根強く残る職業や居住区の差別を浮き彫りにしました。アメリカ合衆国が取ってきた選択肢は,公民権運動の功績を無かったことにするかのように,つまり1つ目の選択肢よりも悪辣な方向へ進んだのです。詳細は次の記事をご覧ください。

次回以降で,現代に残る制度的差別について詳しくまとめていきます。今回は1967年に全米で勃発した人種暴動と,それに対応すべく立ち上げられたKerner Commissionによる報告書について書きました。1968年にキング牧師が暗殺された後も大規模な暴動が起きましたが,人種差別に抗議する運動は1967年の事件だけではなく,公民権運動以前,もっと言えば黒人奴隷の武装蜂起などまで遡ることができます。2020年のGeorge Floydさんの死に端を発する今日のBLM抗議運動ですが,黒人にとって「抗議」と言う2文字は数世紀前から宿命づけられていると言っていいほど身近な存在です。平等への戦いは今になって絶頂期に向かっているのではなく,まだ戦い続けなければいけないのかと言う先の見えない運動なのだと私は考えています。

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