生きることが中々の苦行だと思っている
性格的に問題がある僕
僕は人間的に難しいヤツでして、うつ病になるずっと前から続いている性格です。端的に特徴を示すとこんな感じです。
人と喋ることが苦手
自分に自信がない
人が怖い
人より理解・動作が鈍い
物心がついてからずっとこんな感じでした。多分僕はアダルトチルドレンだったりとか双極性障害などの精神的な病気ではあると思うのですが、周りからは「面倒なひと」と認定されがちな奴です。
一方でアダルトチルドレンにありがちな”人の前で演じる”タイプですから、初対面の人からは「気さくな人間」に映るようです。けれども常に人とは距離をとって、近づかせることはしません。
ただタイミングを逸したり運が悪かったりすると、僕の気難しさを察して人が離れていったりトラブルになったりします。
友達はいるにはいて、僕を理解してくれる人もいますが孤独感はあります。気難しいオッサンです。
SNSぐらい格好つけたいのになぁ。残念ながらこれが本当の僕です。
何を楽しみに生きているのだろうか
僕が初めてnoteを書いた日記に、こんなことを記しました。
今もこの気持ちは変わらないです。生きるためには人とコミュニケーションをとり続けることが必要で、その間ずっと人の顔色を伺い続けることになります。
「何を怖がっている。飛び込めばいいじゃないか」
「人は関係ない、自分は自分だ」
「努力すれば実る」
そんな言葉を実践できる人間だったらどんなに楽でしょう。それとも僕が自らの精神力を鍛えなかった代償なのでしょうか。
いずれにせよ、自分は逃げ続けている人生です。
耐えられないなら逃げるしかない。だからこそ、どうしたら一人で生きていけるのだろうかと思い返すわけです。人と喋らずに済む人生の在り方というのはないのか。その究極こそ「死にたい」に通じます。
残念ながら僕の人生は惰性である
結婚とか友達が出来ないというのは中学生のころからわかっていて、その言動から「貴方はおかしい」と親からも匙を投げられた人間です。生きる意味が分からないということに対しては「宗教でも入ったらどうか」とも言われました。
この件については彼らの問題ではなくて、僕の問題だと思っています。だからこそ自分の人生の価値を見出せるのは自分しかいないなかで、僕にとっては苦しい思いをし続けるなかで生きる目的がよくわからないです。
何故生き続けなければならないのだろうか…
それでも残念ながら結果的に生き続けてきました。死ぬタイミングがなかったこと、勇気がなかったことがそのすべてです。
紆余曲折がありながらも大学を卒業し、会社に入って仕事をしているだけまだマシなところもあるかもしれませんが、もはやそれらは惰性の域。別に僕が望んで描いたものじゃありません。
こんな自分に何の価値があるのでしょうかね。別に価値の有無で生きているわけじゃないんですが。
人生に甘えながら今日も生きている
「お前は甘えている」
と言われたこともあります。まあ、そうなのかもしれない。自分が傷つくことが怖くて、その自分を守るのに精いっぱいなところはあります。
けれども、僕は人に対する恐怖心というものが明らかに異常だとも思ってます。なぜここまで人が怖いのか。人が信じられない、裏切るという気持ちがあって、その根本には恐らく「自分を含めて何も信じられない」という難しい闇の部分があります。
果たして、僕はこの先何年生きていかねばならないのでしょうか。楽しい人生を送りたいなんて贅沢は言わないから、せめて波風立たない人生にしてほしいと願うばかりなのです。
この考えは本当に甘えなんでしょうか。僕にはまだ答えが見いだせていません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?