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【第三世代フェミニストの弾薬庫】エロティズムを構成する三大基底について。

話は私のnoteへの初回投稿にまで遡ります。

そもそも最初に投稿したシリーズに「とある本格派フェミニストの憂鬱」なる題名をつけたのはTumbr全盛期(2010年代前半)における私の自認が「第三世代フェミニスト」だったから。ここで別にあまりにも複雑怪奇な各フェミニスト派閥闘争の歴史を一から学ぶ必要はありません。

  • マルクス主義衰退を誰もが意識する様になった1980年代、これに立脚する第二世代フェミニストも巻き添えで以前の勢いを失うと、劣勢挽回を目指してポルノ全否定を標榜するウルトラフェミニスト集団が分岐。

  • 1990年代に台頭し「個人主義の復権」を標榜した第三世代フェミニストはこれに逆張りしてむしろポルノを研究し「女性向けポルノ」成立の可能性を探る動きすら見せた。

  • 既に第三世代フェミニストは「メトロイド(1986年)」や「美少女戦士セーラームーン(1992年~1997年)」の登場人物を運動のシンボに選んできたし、Tumbr全盛期に「親の監視を手助けするFacebook」からTumbrに逃げ込んだ欧米の少女達は(ジャスティン・ビーバー同様2007年に劇的デビューを果たした)Vocaloid初音ミクの熱狂的ファンでもあった。彼女達の取り込みを狙うネット上の第三世代フェミニスト(匿名だったが、その振る舞いから見て大学院生、職業学生、スクールカウンセラーやその卵辺りが中心)が日本のアニメ漫画Gameカルチャーに親和的となったのは決して偶然ではなく、その様な形で基礎教養が重なっていたからでもあった。

まぁこれくらいの背景だけざっくり理解しておけばとりあえず十分。Tumbr自体は2019年の大粛清によって何の商業利用価値もない廃墟へと堕して以降、再建の目処も立っていませんが(上掲の投稿でも書いた様に、2015年以降のYoutubeやInstagramの猛攻に適切な対抗策を打ち出せなかったのが凋落の始まり)、そこで得たノウハウを何とか2020年代に再利用出来ないか? それがそもそもnoteへの投稿を始めたモチベーションだった訳です。

エロティズム構成基底その1:窃接願望

私の場合、自認「第3世代フェミニスト」とはいえ全盛期Tumbrにおける在り方(主要なインプレッションの稼ぎ方)は「小娘向けエロ画像Digger」と表現した方が適切なくらいだったのですが、当時それを通じて学んだセンス自体はそれほど錆びついていない様です。ちなみに「エロ画像Digger」とはいえ、普段私自身がタイムラインに流してた投稿は概ねこんな穏健な内容…

  • DJの様にレスでリクエストが掛かるとυδ論法式に内容を過激化させていく感じ。一度これが始まったら競り負ける事は許されない…そう、まさに「無限性は、いかなる任意のυが示されても、それを超えるδが示せる事によって担保される」というアレ。

Midjourney流行などに伴う画像生成AIブームが到来して、ようやく当時の雰囲気の引用による再現が可能に。当時の方法による観測再開の目処もこれで立ちました。こちらの内容は「エロ画像分析」なのでエロ注意…

  • SNSに投稿されるいわゆるエロ画像の分析結果。男性向けのそれの場合、最も強く観測されるのが「覗きたい!!」という窃視願望と「触りたい!!」という接触願望であり、両者の関心範囲はほとんどピッタリ重なり合うので以降併せて「窃接願望」と呼ぶ事にする。

「窃接願望=窃視願望+接触願望」。この種の願望を満たすコンテンツ自体は古くから存在し、覗きや痴漢を増大させるというより「これをうまく組み上げられない職業作家は淘汰される」厳しい生存環境の提供元となってきた。「(読者にも登場人物にも罪悪感を抱かせない)ラッキースケベ」概念などは、まさにその過酷な環境が生んだ珠玉の発明品だったといえよう。
  • 「窃接願望」のうち接触願望については以下にざっとまとめた(繰り返すまでもなくエロ注意)。

  • とりあえず「人体の身体部位」を以下の観測単位に分割する。

「距離(集合)を時間微分して得た速度(ベクトル集合)をさらに時間微分して「傾き1」を得る」解析メソッドでいう「一階微分」状態。
  • さらに単純化の為、ノード距離(Metric)のみに注目する。

この構造を「二階微分」に掛けた結果、得られるのが「窃接願望=窃視願望+接触願望」という次第。以下の投稿で漢詩「正気歌」に用いた方法の応用。
  • ただし、もしちゃんと数学的に解きたかったら(特異点が二つある事だし)ニュートン運動方程式じゃもう無理で、全体像を一般化座標に落とし込んでラグランジェの運動方程式に渡すしかないかも。かかる複雑怪奇な座標系が与えられた時こそ変分法が役に立つ?

  • せめてもの救いは、何とか「二体問題」、いやそれどころか(特異点間の相互影響を考えなくてよさそうに見えるので)「一体問題」に抑え込める可能性がある事?なお、ここでは「乳首が二つ」と考えないものとする。

その一方で(いや、上掲の思惑も含めて)要するにこれっていわゆる…

エロティズム構成基底その2:「筋肉照覧」願望

もちろん男子ばかり俎上に挙げるつもりはありません。Tumbr全盛期における私の「商売相手」はむしろ「我々は男性と違い別に裸が見たい訳じゃない。筋肉を照覧(Look Up)したいだけなのだ」とトボける匿名女性アカウントだった訳で。

2010年代前半の韓国ではKPOPアイドルが恥ずかしそうに互いの下腹部の筋肉を見せ合う場面や、筋トレで苦悶の表情を浮かべる場面が大人気でした(というか、当時のtumblrでそういう画像を集めて流す側だった)。

上掲「いわゆる照覧(Look Up)文化について」
  • そもそも前提条件として「人間の手が何かを生み出すのを見るのが好き(それでネットにイラストを投稿したり、同人誌を制作して頒布してたりする)」おそらく二階微分の結果抽出されるのは、ある種「活力の源」の様なものだと推定される(2010年代欧米と2020年代日本で「客層」が一致する保証はない)。

劇場版アニメーション「風立ちぬ(2013年)」GIF
劇場版アニメーション「風立ちぬ(2013年)」GIF
劇場版アニメーション「風立ちぬ(2013年)」GIF
TVアニメーション「氷菓(2012年)」GIF
TVアニメーション「氷菓(2012年)」GIF
  • その一方で確かに下腹部や臀部の筋肉がグリグリ動くのを好む。

  • あと「スコットランドの民族衣装」キルトスカートが大好きで「機会があったらめくって中身を確かめてみたい」と思ってる。そしてキルトといえばゲイポルノ投稿者の好む人気コスプレ衣装の一つでもあり、実際少なくと彼女らの幾人かは本当にキルトコスプレの投稿者に実際にこの話を持ち出し、実際にキルトをめくらせる事に成功している。

着物同様、正式な作法においてはノーパンが前提。その代わスカートの前部分の裏には「大事なものを納めるポケット」がついてるそう。この話を私が初めて知ったのは青池保子「イブの息子たち(1975年~1979年)」を通じてだった。

まぁ「どこの誰かは知らないけれど、相互フォローした相手の性癖はとことん知り尽くす」が当時のTumbrの世界だったので。詳細はそのうち気が向いたら別投稿にて。

エロティズム構成基底その3:「くすぐったい」心理

非線形評価軸なので検証自体は難しそうですが、上掲の二説では「喉元や脇腹のエロティズム」が解けないんですね。

くすぐり(擽り)とは、人の皮膚表面を刺激して「くすぐったい」感覚を与え「笑わせる」ことをいう。くすぐられた時の反応は人間に限らず他の動物にも見られ、その反応は反射に近い。精神分析学者アダム・フィリップス(Adam Phillips, 1954年~)が「くすぐりにはどうしても他者の存在が必要である」と語ったように、自分で自身をくすぐっても、くすぐりの感覚は得られない。

Wikipedia「くすぐり」より
  • トム・スタッフォード&マット・ウェッブ 「MIND HACKS:実験で知る脳と心のシステム(Mind Hacks: Tips & Tricks for Using Your Brain, 初版2004年)」で紹介されたメカニズム

くすぐったいと感じる場所は、一般に耳の周辺、首筋、脇の下、手の甲、もものつけね、膝の裏、足の甲や裏など、動脈が皮膚に近いところを通っている部位である。

①こうした部分は万一怪我をすると多量の出血を伴いかねない「危険部位」で、そのため付近には自律神経も集まって、外部からの刺激に対しては特に敏感になっている。くすぐりによる刺激は、クモが体をはい上がる・ハチが肩に止まるといった危険を含んだ刺激と判断され、注意が向けられる。

②この自律神経と密接な関係にある小脳では、こうした危険部位への刺激に対する予測と、それに対する感覚の制御を行っている。したがって自分でそうした部位をくすぐってみても、その刺激は小脳の予測どおりなので、小脳が感覚を制御するため違和感が生じない。ところが他人にくすぐられると小脳はこれを予測することができないので、感覚の制御は不能として脳は混乱状態に陥る。その不快な感覚が「くすぐったい」という感覚であり、そうした「生命にとっての危機かもしれない」と錯覚された状態から逃れようとする自律神経の過剰反応が「笑い」にあたる。

③くすぐられる人間の脳をスキャンした研究によれば、他人にくすぐられた場合には小脳とともに喜びに関係する前帯状領域の活動が活発になるという。

このように「危険部位」を他人に触れさないようにするのは人の本能に拠るものだが、逆にそれをあえて許すことは厚い信頼や愛情の証となる。したがって許諾の上でのくすぐりは、時に性的快楽になる場合がある。

Wikipedia「くすぐり」より
田中ユタカ「愛人[AI-REN](1999年〜2002年)」
田中ユタカ「愛人[AI-REN](1999年〜2002年)」
田中ユタカ「愛人[AI-REN](1999年〜2002年)」
田中ユタカ「愛人[AI-REN](1999年〜2002年)」

まぁ漢詩「正気歌」における「正気」概念もそれなりに時代と地域を超えて準安定性を保った方だと思いますが、かかる「エロティズムを構成する三大基底」の時代も場所も超越する準安定性たるや…そんな感じで以下続報。

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