【とある本格派フェミニストの憂鬱1パス目】人間関係空間論から分布意味論へと推移したSNS略史
まずはSNS黎明期のアメリカで何があったと自分が考えているかを表明しないといけません。この原稿を執筆している2023年9月末時点ではもう実証が不可能な内容も数多く含まれますが、少なくとも私という個人が主観的に経験してきたのはこういう世界だったのです。
検索エンジンが主役だった時代の終焉
最初にインターネット社会を現出させたのは「検索エンジンによる統合」でした。しかし2009年末時点のトラフィック調査によれば一般ユーザーのネット接触時間のうちオンライン検索に費やする時間は5%程度。残り95%の時間は目的サイトで費やしており、さらにはYahooやMSN,AOLへのWebトラフィックの15%がフェースブックやマイスペースの様なSNSからとなっていたのです。
ザッカーバークの人間関係空環論
それではSNS概念の起点とは? ある意味全ての考え方の出発点となったのはFacebook開発者マーク・ザッカーバーグの発案した人間関係空間(Social graph)論だったといえましょう。
①SNSなるもの、計数的(Calculatable)には、頂点(Node)と辺(Edge)で構成される。これをグラフ理論的に扱うには、まず何を頂点や辺に割り当てるか定める必要がある。
②なお頂点と辺の集合が立体的に閉多面体(Closed Polyhedron)を構成する条件を定めたのが有名なオイラーの多面体定理(Eulerian Polyhedron Theorem)頂点数(Nodes)-辺数(Edges))+面数(Faces)=2となる。
③直感的把握には閉多面体の最も原始的な形態たる二面体(Dihedron)が役に立つ。全体としてコインの様な形状だが、縁のギザギザがどんな多面体を構成していたとしても(それが閉曲線を構成する限り)必ず辺数-頂点数=0となるのでオイラーの多面体定理の計算結果は自明の場合として面数、すなわち表裏二枚だけが残って2となる訳である。あとはこの構造がどんどん複雑になっていくに過ぎない。
④人間関係空間(Social graph)論では「頂点=個人アカウント」「辺=個人アカウント間の相互/一方的フォロー関係」と見立て、例えばそれぞれの「辺」を流れる情報量(「いいね」やリポストの量を総合したTraffic)から「それぞれの個人アカウントの影響力の大きさ(インフルエンサーとしての強度)を測定したりする。「各アカウントに詳細なプロフィールを入力させた上でその足取りを追う」Facebook社が最初に樹立したマーケティング方法もこれに由来する(閉曲線や閉多面体は構成しない)。
ショーン・パーカーの関心空間論
最初に関心空間(Interest graph)概念に到達したのは、皮肉にも2004年に創業されたFacebook社初代CEOショーン・パーカー(2005年コカイン所持で所持容疑で逮捕されたのを契機に退社)でした。1980年代、7歳にして父親からプログラミングを教わった天才肌でナップスター社創業者としても知られる極めて癖の強い人物。
①ただしショーン・パーカーの関心空間論はあくまで「インフルエンサーの発信した情報が次々とフォロワーの間に広まって社会的コンセンサス=流行を生む」といった人間関係論に下屬する内容だったのである。一応「インフルエンサーはフォロワーから吸い上げた情報に基づいて自分が発信する情報を定める」といったボトムアップ要素なども最初から組み込まれてはいたものの、あくまで近代以前、すなわちインテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層が(庶民階層の要求を吸い上げつつ)その社会に流布する情報を統制する、そんなヒエラルキー意識から一歩も脱してはいなかった。
②しかしこれは「場」についての話であり、物理学の領域においても関連理論は「力は物体の接触によってのみ発生する」「物体の接触を介さずとも質量を備えた物質同士の間には離れていても遠隔作用「引力」が働く(ニュートン万有引力の法則)」電荷を持つ粒子はお互いに引力(または斥力)を及ぼし合う(クーロンの法則)」「電荷を持つ粒子の周りにはある種の空間の歪みが生まれ、もう一方の粒子はその歪みから直接的に、すなわち近接作用として力が伝わる(ファラデーの電磁気モデル)」「電磁波が発見され、実は光も電磁波であることが明らかとなり、特殊相対性理論や一般相対性理論が発展する過程で「物質(質量・電荷)・空間・場は一体となって存在する(場の理論)に到着」と、そもそも「頂点(主体としての個)」と「辺(客体としての相互作用)」についての伝統的モデルを破壊する形に発展。
③さらに付け加えるなら、SNS人間関係論においてインフルエンサー=インテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層の様な人間関係ヒエラルキー上位独占者が「情報の独占的下達者」としてパーマネントに君臨し続けられるのは「閉世界仮説(Closed world assumption)」が成立し「(再版家父長制が猛威を振るった黄金の米国50年代の様に)パパは何でも知っている」状態が曲がりなりにも維持されている場合のみ。つまりこのモデルは構想時点で最初から破綻していたともいえそうである。
黎明期Facebookが次々と直面した苦境
この様に先行者として道なき道を進まねばならなかったFacebookは数々の困難に直面。その間にも新たなSNSが次々とサービスを開始し、インターネット社会は混戦模様の様相を帯び始めたのです。
①SNS上の人間関係を「得点化」しようとした試みがもたらした様々な軋轢。それで2000年代末~2010年代初頭のTumbrには少なからぬ比率で「男性以外、白人以外、プロテスタント以外」なる共通特徴を有するFacebook脱出組が存在し、それぞれがそれぞれなりにマイノリティとして弾圧された物語を語り合っていたものである(当時の関連ニュースは全て削除済み)。なお中国共産党は2010年代後半から「ネット社会得点化」に力を入れる様になり「我々は成功を収めつつある」と声明を出している。むしろこの路線が挫折した事はFacebookにとって怪我の功名だったとも?
「社会信用スコア」がリアルタイム表示される監視システムの様子。
②「人間関係ヒエラルキー上位者」として親が子供のネット活動を完全監視下に置きたいというニーズが高まり、提供業者が次々と便利なツールを発表(あまりに問題が多過ぎた為にほとんどが最終的にサービス停止。当時の関連ニュースは全て削除済み)。一方子供達側はFacebookアカウント上では「人形の様な良い子」を演じつつ、Tumbrの様な匿名SNSで自由を謳歌する二重生活作戦で抵抗。そして2010年代も後半に入ると若者達は「大人に覗かれ難い構造の」InstagramやSnapchatなどを主アカウントとして運用する様になると国際的に若者層のFacebook利用率そのものが激減。
③当時の匿名若者集団の中で最大にして最も悪名を誇ったのは「インターネット社会の寵児」Justin Bieberのファン層Belieberで「CDショップ販促用のJustin Bieber等身大POPの盗難報告」なんて犯罪行為まで混ざっていたのである(流石に他のファンを激怒させアカウント削除。その筋には「ジャスティン・ビーバーは泣いている!!(Justin Bieber is sobbing!!)」事件として知られる)。あまりに目に余るのでこれに対抗して日本のアニメ/漫画/ファン層の少女達が「(やはり同時期に登場したインターネット社会の寵児)初音ミク」を旗印に集結(当時の流行で「デュラララ!!」の平和島静雄アイコンのコスプレイヤーが多かった印象)。インターネット上のあらゆる場所で党争を繰り広げたのだった。
④何故当時日本のアニメ/漫画/ファン層が国際的ネット社会で急浮上してきたかというと、東日本大震災(2011年3月11日)を原因としてしばらく続いた情報発信自粛によって、それまで日本発の情報をただ翻訳して右から左に流してきたネットニュースサイトやまとめサイトが壊滅。代わって制作会社HPを丹念に巡回したり製作者の発言を細かく追跡しているDiggerと呼ばれる新興情報発信者層がリーダーシップを発揮する様になって機動力が増したせい。おそらく「魔法少女まどか☆マギカ」最終回放映時(2011年4月22日)に既存の親世代が昔ながらの掲示板において「どうして母親が代わって特攻しなかったのか」「大体、父親が専業主夫なのが情けない」などと非難を垂れ流していたら次々と襲撃され多くの掲示板が閉鎖に追い込まれた「親殺しの夜(The Night of the Parents Murder)」事件が、この少女集団が露出した最初で、その後も数百万いーねの檄文が怒涛の勢いで飛び交った「SOPA反対運動(2011年後半)」「MEGAUPLOADサービス停止抗議運動(2012年初旬)」さらには「米国政府閉鎖反対運動(2015年。首謀者テッド・クルーズの大統領候補降板につながる)」「ハリー・ポッターと呪いの子:ハーマイオニー黒人配役応援運動(2016年)」などにおいて、それぞれ相応の活躍が観測されている。
⑤実は上掲の2012年3月22日のジャスティン・ビーバーのポスト「アニメは嫌いだ(I hate Anime)」は後に偽造されたものと判明。しかし一度始まってしまったBelieberとミク派の党争は勢いを失う事はなく、度重なるスキャンダルによってジャスティン・ビーバーの人気が下落してBelieberが人気をなくし、共通敵を見失ったミク派が自然消滅する2010年代後半まで続く。
「大泥棒サイト」Tumbrの興亡
こうした乱世に最初に台頭したのが「ニューヨークの同性愛者ユダヤ人(終始敵対を続けた宗教右派の罵倒語)」デビッド・カープが2007年にサービス開始したTumblr。この人物もやはり11歳からHTMLを学び始め、間も無くビジネス向けのウェブサイトを立ち上げた相応の天才肌ではあったのです。
①2000年代のTumbrは「大泥棒サイト」として悪名高かった。当初はDiggerと呼ばれる「資源発掘屋」達が2004年にサービス開始したYahooの画像共有サイトFlickrに「死蔵」されていた莫大な量の高画筆の写真をインターネット社会全体に紹介(Curation)する形でアクセス数を伸ばしたからである。しかしこの発掘資源は悲しい事に2000年代のうちにほぼ枯渇してしまう。
②次いでTumbrのDigger達が目をつけたのは絵画共有サイトDeviantArt(2000年サービス開始)とPixiv(2007年βテスト開始)、音源共有サイトSoundCloud(2007年サービス開始)、趣味共有サイトPinterest(2005年サービス開始)そしてロシアに「死蔵」されていた世界中のポルノ画像だった。ロシア系ポルノ画像は2000年代の早い段階で掘り尽くされてしまったが、Tumbrがインターネット社会全体にアダルト画像共有サイトとして周知される重要な契機となったとはいえる。
③上掲のFacebookの迷走を追い風に若者層(特に女性)の「二重生活の裏側」を支え、しかも逆流して一時期はFacebook関連トラフィックの過半数を占めていたとされる事もある(当時の計測方法は問題だらけだった上に関連記事は全て削除済みなので詳細は不明)Tumbrだが、2020年代に入った今、当時の面影はほとんど残っていない。相変わらず若者中心のSNS(女性比率は半数まで下落)ではあり続けているが…
https://www.similarweb.com/ja/website/tumblr.com/#demographics
④2010年代の国際的ボカロ・ブームを支えたSoundCloudは同じ音源共有サービスたるSpotify(2008年サービス開始)に敗れ「2018年の大粛清」以降はDeviantArtやPixivとの直接関係も途絶え、現在なお相応の存在感を残してるのはPinterestくらいという有様に。
⑤皮肉にも同時にアダルトサイトとしての側面を取り戻しつつあるが、全盛期の様に様々なコンテンツが混交する状況下、不可分な形でエロ画像も共存しているといxった感じではなく「(2018年の大粛清の結果生じた)焼け跡にポルノ産業が進出してきた」みたいな大変見苦しい状況となっている。
⑥ここで興味深いのが、現在なお「オーガニック検索」がTumbrで重要な意味を占めてるあたり。実は全盛期Tumbr(特に2010年代前半)最大の特徴は「莫大なデータの紹介(Curation)過程で高速に進行するコンテンツとしての洗練」だったのであり、それが最も発揮された分野の一つが「(Flickrやロシア系ポルノの様な写真データやPinterestの趣味写真の氾濫を出発点とする)芸術の領域に達したフード・ポルノやインテリア紹介写真の洗練」だったのである。なお前者については美麗なヴィーガン料理写真とジビエ料理写真が入り乱れ、しかもしばしば撮影者が重複した事から「PHOTOGRAPHER transcends Food Ideology(写真家は食イデオロギーを超越する)」なる定言も派生。
デビッド・カープの関心空間論
こうして全体像を俯瞰してみると皮肉にもTumbrは、インターネット社会全体から与えられた役割を完遂する事によって当時がどういう時代だったか照明する歴史的モニュメントして完成するに至ったと総括されそうなんです?
①デビッド・カープの関心空間論はインターネット機器の接続状況を示す「メトリック(Metric)」概念から出発する。すなわちグラフ理論的には頂点=個人アカウント、辺=その相互干渉と置くという点では「ザッカバーグの人間関係空環論」や「ショーン・パーカーの関心空環論」と数理的に同構造となる訳である。
②最大の違いは「辺=情報伝播」こそがインターネット社会の主体であり「頂点=個別アカウントの連なり」は雷光の様に「その時のたまたまの通り道に過ぎない」なる逆転の発想から出発したあたり。
③もちろん道なき荒野に刻まれた個々の轍は重ねられるうちに道路として整備されていく。また情報流通過程には明かに方向性が存在。初心者が概ね「欲しい情報を求めて」回覧網を下流から上流に向けて遡るのに対し、上流回覧者が上流回覧者であり続ける為には「相応量回覧される情報」を発信し続けねばならず、ここに確率論的揺らぎの概念が忍び込んでくる。ある意味検索エンジンが現れた当時のネットワーク・モデルへの回帰。そしてその場にいた私は数々の「雷光」を目にする事になった。その一方で(二重生活の裏側に対応する)匿名ネットワークだった事もあり「ザッカバーグの人間関係論」は完全に敗退(有名アーティストがインフルエンサーとして君臨しようとする試みはことごとく失敗に終わる)。まさしく上掲の理論によってのみ揺らぐ(流動性が発揮される)独特の権威勾配が構築されるのを目にする事に。
④「デビッド・カープの関心空間論」が「ザッカバーグの人間関係空環論」や「ショーン・パーカーの関心空環論」より明かに優れていた点、それは「閉世界仮説の破綻」すなわち閉曲線や閉多面体として存在する既存インターネット社会が未知の新情報に接する時、どの様に確率論的揺らぎが進行するか上手く説明出来るところにあった。
⑤しかしながら、まさに当事者として体験したが故にTumbrがその様な状態にあったのは全盛期すなわち2010年代前半の数年間に過ぎなかった事も知っている。「デビッド・カープの関心空間論」の問題点は以下の二つ。①「広告収入の一部が上流回覧者に還元される」といったマネタイズ要素を欠いており、2010年代中旬以降、Youtuberが活躍するYoutubeにこの層をごっそり引き抜かれてしまった。②かかる権威勾配は「若者間コミュニケーション」という観点からすればいささか権威主義過ぎたのと、2010年代後半に入ると「二重生活を送るモチベーション」が薄れた事が重なって素人動画投稿サイトを蹴散らしたInstagramなどに若者層が活動の主軸を移した。そしてもちろん数多くの顧客を抱えるショッピング・サイトや動画配信サイトなども「デビッド・カープの関心空間論」の成功をただ指を咥えて眺めていた訳ではなく、積極的にその要素を取り込んだ顧客需要発掘に取り組んできた。つまりTumbrの先行者優位は繁栄の絶頂期において既に急速に失われつつあった訳で、そもそもFacebook社自体が会社創立時点の理念をそのまま維持していたら2012年時点で目敏くInstagram社を買収してる筈がない。そう考えるとTumbrの衰退を決定づけた「2018年の大粛清」は、あくまでビザンティン帝国滅亡を決定付けたコンスタンティノープル陥落(1453年)同様ある種のエピローグに過ぎなかったともいえそうなのである。もちろんそれ以前の段階で「ザッカーバークの人間関係空環論」も「ショーン・パーカーの関心空間論」も敗北し、棄却された訳だが、かといって「デビッド・カープの関心空間論」が最終勝者となった瞬間は一瞬たりともなかった。後世の人間はこの点に配慮する必要がある。
分布意味論こそが最終勝者?
こうして獲得された「Tumbr全盛期(2010年度)を特徴づける「紹介(Curation)技術の洗練」が膨大な量のデータ集積に裏付けられていた」なる直感を数理的に説明してくれるのがChatGPTの様な大規模言語モデル(Large Language Models、LLM)を支える分布意味論(Distributional Semantics)となります。
①実は大規模言語モデルは原則として「与えられた単語列から次に追加される単語を予測してる」に過ぎない。
②そしてその仕組み自体は数理的にはアキネーターの想定キャラ当てシステムや「ショッピングサイトや動画配信サイトのレコメンデーション機能=でこれまでの購入履歴から次に購入しそうな商品や作品を予測して提示するシステム」とそれほどの違いはない。
③異なるのは確率予測に用いるパラメーターの数で、概ね$${2^{10000}}$$=$${10^{30}}$$くらいから予測制度が飛躍的に向上するが、これはもう相応の知性を備えた生物の脳細胞数に匹敵する規模といえる。なお現時点において、どうしてこうした事が起こるかについて上手く説明する理論は見つかっていない。
とりあえず詳細は終始不明のままながら「私の目には主観的に」インターネット上のSNS社会はこういう道を歩んできて、こういう方向に進んでいる様に映っているという話…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?