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これまでのしんどさと「養生」。(2021年2月28日(日))


今朝は晴れて、昨日まで降った雪の踏み固められた部分がつるつるに凍って、ドキドキしながら歩いて喫茶店に着きました。

最近の私がつくづく、「寝る」「休む」が大事だなと思うのは、これまで何十年もの長きにわたって当たり前のように、無理を無理とも思わずに重ねてきてしまったからですし、そもそも「養生」という概念が自分の頭の中になかったからだと思います。

2019年に「養生」という言葉に出会えたことは、本当にラッキーなことで、この言葉に出会えていなければ、今どれだけしんどかったろう。

たまたま「 #それぞれの10年 」というタグを見かけたので、10年前のあの日のことを思い出しているのですが、あの時の私は、「内部にしか通用しない技ばかりをこうして磨いていて大丈夫だろうか」と考え、外に向けて何か働きかけをする仕事を覚えないとダメなのではないかと思い始めていて、

そんな中で震災を迎えた私は、近くに住む方たちが大変なことになっているのに、「復旧対策のために手立てを講じる会社内部の、そのための諸々の日程調整」を会社内部に引きこもってやることになり、

ちょっとおかしくなるほどに、「私は朝から翌朝まで職場にこもって何がしかを懸命にやっている訳だけれど、一体何の役に立っているというのだろう」と悩み苦しんでいたのでした。

それから数年後には、希望を聞いてもらい、「外に出る仕事」をしたわけですが、それはそれでまた悩むことになり…。その悩みの実態が「お前が俺のために何かをしろ」という搾取のかたちにあったのだと気づいたのは、この数日のことなのですけれど。

話を戻せば、そんな中でこの10年をなんとか生き抜けて今後もなんとかやっていこうと思えるのは、「養生」という言葉とその実践のおかげだなと感じている次第なのです。

#エッセイ #日記 #memento #miknits #それぞれの10年