いくたびか眠りを重ね、起きている間は傷ついた自分の心に寄り添い、そしてまた、職場やそれ以外の場所で会話を重ねているうちに、傷とともにある、その塩梅が見えてきたような。
先日のヒプノセラピーで、自分が時に軋轢を産んできたコミュニケーション手段が、幼い頃からの自分の家庭内では当たり前の、それも根底に愛のあるやりとりであったことを肯定的に知ったことも、
自分のコミュニケーションのとり方を否定し続け、悩み苦しみ続けてきた私には、本当にありがたいことであったなと、そんなことを思うのでした。
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