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「新型コロナウイルスが変えたもの」課題作文の書き直し。(2021年6月18日(金))

 「古賀さんの学校」へのエントリーは落選してしまったのですが、驚いたことに古賀さんは、落選の通知とともに、落選者でしかない私に、「課題作文」に対するコメントを寄せて下さったのでした。
 古賀さんのこのコメントは、私の課題作文を隅から隅まで読んだ上で、私の弱点を適切に教えて下さる内容で、「なんてありがたいことだろう」と。
 せっかく「私の弱点を適切に教えて」くださったのだから、それを踏まえて課題作文を書き直そう。そう思った私は、これを次のように一から書き直したのでした。

1 コロナ流行開始以降、私に起きたできごと

(1)流行前夜

 2020年2月3日は私の誕生日で、東京出張が重なった私はその日の夜、久しぶりに会った東京の友人たちに囲まれて自分のバースデーを祝ってもらうという、社会人になって以降、たぶん一番うれしい誕生日を迎えていました。
 
 ネットで検索すると、ちょうどこのときに、ダイヤモンドプリンセスの船内で感染症の検査が行われていたようです。世間でも感染症への懸念が言われるようになっていた時期で、私も出張中はなるべく歩くように心がけ、人の多いところではなけなしのマスクをしていた記憶がありますし、バースデーを祝ってくれた友人の中にも、「花粉症なのにマスクが買えなくて」とおっしゃっていた方がいたことを覚えています。

(2)流行開始

 2020年2月の最後の週には再び県外出張があって、週明けには私ひとりで東京での用務、その翌日は後輩同僚と合流する形で、金沢、岐阜に向かうことになっていました。
 東京駅についた私は、上司から携帯に着信があったことに気づき、慌てて折り返しました。

 「コロナを踏まえ、金沢、岐阜での用務を取りやめて青森に戻ってくるように。」「いや、もう東京に着いてしまいましたので、このまま私ひとりで金沢と岐阜に向かいますが。」「東京での用務と用務終了後の東京宿泊は認めるが、翌日には青森に戻るように。」

 この日の国内感染者数は累計で164人。東京での用務を終え、ひたすら歩いて向かったお店で「明日から在宅勤務になったの」という友人と会食をし、翌朝、帰りの新幹線に乗りました。
 あの日以来、私は500日近く東京に行っていません。

(3)ZOOMを使えばいいじゃないと言われたけれど

 その後、「ZOOMを使わない人っていったい何なの?」といったコメントがSNSに流れてくるようになり、2020年の前半くらいにはZOOM飲みという言葉もあったわけですが、私はなぜかしらZOOMを心地いいと思えませんでした(思えば2019年にZOOMで学習会に参加していた時もなぜかしら居心地が悪く、いつも公園に出かけて、そこからZOOMに接続していました)。

 大勢の人が平面上に各々の背景を背負い、顔だけを出してしゃべり合う。顔だけ(平面)の人たちに向かい自分の考えを述べることを強いられる。そんな空間をあまりうれしく思えなかったのです。

(4)リアルの世界でも

 私は前々から、「レジで会計をしている最中に次に並んでいる人が自分の買い物かごをレジに置く行動」に不快感を持つタイプでしたし、近距離から話しかけてくる人や大声で「がはは」と笑い「ためぐち」で話をしてくる人などが苦手なタイプでもありました。それがコロナ以降、そういう行動を取る人に対する苦手を通り越し、恐怖を覚えるようになりました。

 同様に、温泉で大声でおしゃべりをするおばあちゃんたちも恐ろしかったし、職場で近い距離で話しかけられることも、恐怖でしかありませんでした。喫茶店で近くに座ってくる人も怖かった。

2 変わっていった自分の行動

(1)苦手が苦痛に変わっていった

 こうしてコロナ以降自分に起こったことを思い起こして書いているうちに、私は元々の気質として、人との距離感に慎重なタイプであったのだなと改めて気づくとともに、コロナを機にこの気質が過度に強化されて苦しくなったのだということにも気づきました。

 もう一つ気づいたのが、「私って、動画も苦手だったんだ」ということ。ZOOMに出られずにいる私のために「録画」を送って下さる友人をありがたく思い、これを見ようとするのですが、なかなか見進まない。とりわけ、この動画から学びを得て追いつかなければと思ったりすると、目と耳だけを研ぎ澄まして懸命にメモおこしをすることになるのですが、これが本当に疲れるのです(リアルに会いながらそれをメモに起こす分には、全然疲れないのですけど、なぜだろう)。

(2)堂々と、でも静かに他人を避けられるようになっていった

 人との距離感には慎重でありながら、コロナの前まではいやだなと思う距離感を「我慢する」ことが基本路線にあった私。でも、コロナ以降は、「人との距離を遠慮なく離していかないと、ウイルスに感染してしまう」という恐怖から、堂々と人との距離を離すようになっていきました。

 それでも最初のうちは「距離の離し方」がうまくいかず、近寄ってきた人に対して「飛び跳ねるように逃げて」いた私。その結果、相手の反発を受けてしまうと同時に「逃げると追いかけてくる人がいるんだ」ということにも気づかされたりしました(レジで会計をしてもらっている最中に、私の後ろに並んでいた方が自分の買い物かごを置こうとしたので、あまりの恐怖に「ちょっとまって」とジェスチャーをしたら、「バカ!」と言われてびっくりしたことなどを思い出しています)。

 他人に近づかず、距離が近い人からはそっと逃げる技を、最近になってようやく身につけるに至っています。あと、友人と対話したいという気持ちからZOOMを我慢したり動画を必死に見たりすることも、ほとんどなくなりました。

(3)それでもやっぱり、いまでも窮屈

 コロナを機に、他人との距離の置き方を学ぶことができた私。
 編み物をしたり本を読んだり、県内で自然に触れられる場所に安全に行ける技も見つけたし、そんな具合に「ひとりを楽しむ」こともだんだんとできるようになってきました。

 それでもやっぱり、「いざというときに感染拡大に対処しなければならない職業(立場)なのに、その自覚もなく遊び歩いて感染なんかしやがって」と言われる(あるいはそうやって自分を責めかねない)恐怖に1年以上さらされ続けているのは、本当にしんどい。

 どうだろう、9月中に接種を終えられるのだろうか。
 状況は全くわかりませんが、早くワクチンを打ってそこから2週間で抗体をつくり、久しぶりの人と場所を訪ね歩きたいと思っています。

3 コロナという事件があったからこそと言うために

(1)苦痛をなくしていくために

 思えば、「人との距離感に慎重」だという私の特質は、これからを生き延びる上で、うまく使えばとても有利な特質です。

 今までの私は「人との距離感に慎重」すぎる自分を、否定したり持て余したりしてきましたが、よく考えれば、「不快感」を感じそうになる前にそこを避ければいいわけで、「苦痛予防能力が高い」と思えば、らくになるなと。

(2)窮屈をなくしていくために

 窮屈なのは、人の目と批判を予測するからです。
 窮屈も苦痛と同様、「予防できる」と仮定するなら、(A)人の目や批判を予測しすぎて身動きがとれなくなっている自分を否定せず、(B)持ち前の予測能力をむしろ発揮して、(C)こうすれば人の目や批判をかわしてたのしめるという時間(編み物とか読書とか、自然に触れるとか)を見いだし、(D)この時間をとにかく死守し、それをたのしむことを、生きる上での最優先にする(それができないときも、それをしている時間に思いを馳せる)ことで、「予防」ができるのではないかと思ったのでした。

(3)何十年も経ったその時に

 コロナの時代を生き延びたおばあちゃんになって、「当時の状況をどのように生き延びたのですか」とインタビューされたなら。

 「コロナの前は私も、東南アジアやパリに出張したり、毎週のように東京に勉強をしに通ったり、国内のあちこちを仕事や旅行でめぐったりしてたのよ」「でも、コロナという『誰がウイルスを持っているかわからない』感染症がはやった時、世界中のみんなが『動くな、家に閉じこもれ』と言われたの」「海外はおろか、県外にだって行けなかった」「いや、行こうと思えば行けたのかもしれないけれど、『そんなことをしてウイルスを田舎に持ち込む非常識なことをしてくれるなよ』という圧力はすごかった」「『誰がウイルスを持っているかわからない』というのは、恐ろしいことだった」「人との対話も恐ろしかった」「それはとても苦しくて、窮屈なことだった」

 「でもね、」

 「コロナが流行り始めてから1年半後には、みんながワクチンを打てるようになったの」「ワクチンを打つ日まで、自分を大切に守りきろうと思って。」「自分に近づいてくる人を、相手に気づかれないようにこっそりかわして。」「相手に背中を見せて走って逃げるようなことをすると、わざと追いかけてくるような人っているから、とにかく静かに離れて。」「そうやって、どうにかしてひとり心穏やかでいられる時間をつくって、編み物だったり読書だったり緑や木をたのしみながら、やりすごしていったのよ」。

#エッセイ #日記 #memento

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