求められていることの前に、自分がワクワクすることから始めよう。(2020年11月19日(木))
「編み終わるまで」という文章を書きたいなと思っています。
昨日も触れた、「私が編み物をたのしむための毛糸を送ってもらえませんか?完成したものと日々の編みレポートをお送りします」の「レポート」のタイトルを、これにしようと思ったのです。
話は少し変わるのですが、昨日私はふと思いついて、「表現の本質とは何か」について考えたメモを私的に残していました。そこには、
表現の本質とは、表現者が持つなにかしらの視座(それが捉える世界観)が顕在化されることにより、それに触れた者におどろきがもたらされること。それに触れた者にその視座に対する納得感を生じさせうるものであること。それに触れた者の生きる糧として使われうること。なお、「触れた者」には自分自身も含まれる。
と書かれてあって、このメモを残した昨日は気づかなかったのですが、「なにかしらの視座(それが捉える世界観)を顕在化」させることから全ては始まるのだなと、今朝になって思ったのです。
「こんなこと求められてるのだろうか?」という検証ももちろん必要なのでしょうけど、それは二番目にやることで、とっかかりは、「自分は何をしたらワクワクするだろう」と考えるところからなのだろうなと気づき始めています。
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