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生き延びるためにできること(西條剛央さんの『クライシスマネジメントの本質』第1部を読んで)

 野性を失っちゃいけない。
 いつ、何が、どんな形で、自分に襲いかかってくるかわからない。
 自分のいた場所をあっという間に根こそぎ削りとる、そういうものはいつだって自分に襲いかかってきうる。油断をしちゃいけない。

1 自分の命を守る技

(1)自分を脅かすものから身を守るために

 西條剛央さんの3つの論文からなる『クライシスマネジメントの本質』の第1部(一つ目の論文)は、東日本大震災時の「大川小学校の事故」の構造を明らかにした(どのような条件下で何がどう作用するのかを言葉で表した)上で、それをもとに、社会や個人が災害にいかに対処すべきかを「提言」してくれています。

 この「提言」をそのまま書き写してもしょうがない(西條さんの本をお読みいただきたい)ので、ここではその要点をまとめます。

【最重要事項】
とにかく、命を最優先にする(怪我はしょうがない)と決めよう。

【最重要事項達成に必要なこと】
命を脅かす事象について、歴史や専門家の想定から「リアリティを持てるように」学び続けよう。

【留意事項】
● リアリティを持てるようにする必要があるのは、命を守るための学びを「先延ばしできない自分ごと」とするため。自分ごとにしないと学べない。
● なお、歴史や専門家の想定は特定の条件下でのシミュレーションでしかなく、シミュレーションと全く同じ条件がそろうことはない。
● しかし、たとえば震度や発生位置、台風の強さや進路など、被害との相関性が高い項目はある。それらを「自分の頭で考え、理論(相関性)を理解(自分の言葉で言い換える)」できて初めて、学びが得られる。
● あらかじめ学ぶのはなぜかといえば、想定外の出来事に直面したときに「パニック」に陥り、合理的な判断とそれに基づく行動が取れなくなるのが人の常だからだ。
● あらかじめ学び、その学びに応じて様々な状況を想定した訓練(身のこなし方)を自分に経験させておけば、「パニック」に陥る前に命を脅かすものを避けられる。

(2)「命、命」と言う理由

 なぜ「命を最優先にする(怪我はしょうがない)」ことを強調するのかといえば、それは大川小学校において「決断と行動をする前に『パニック』が起きてしまったから」に他なりません。

 『パニック』とは、「命を守るための合理的な判断ができなくなる状態(『クライシスマネジメントの本質』p.127)」を指します。

 東日本大震災の津波がとんでもない被害をもたらし、津波の届かない「高いところ」に逃げることができた人が助かったことを知る10年後の私たちにしてみると、「津波がきているのに高いところに逃げなかった」行動は「不可解」なものでしかないわけですが、『パニック』とはそもそも「合理的な判断ができなくなる」ことを言い、それは誰にでも起こりうる「人間という動物の持つバグ」なのです。

 言い換えれば、『パニック』に陥る前に「合理的な判断と行動」がとれればよいわけなのですが、「大川小学校」ではそうはならなかった。

 その理由について西條さんの分析結果を読むと、どうも、「過去に津波なんか来てないし、揺れている中みだりに動くと頭にものが落ちてきたり道路の亀裂に足を取られたりするし、山だって崩れるし」といった具合に、あれにも配慮しなくちゃ、これにも配慮しなくちゃと思っているうちに、意思決定ができなくなった様子が伺えるのです。

 だからこそ、「とにかく命なんだ」とはっきり決め、その方針をあらかじめみんなと共有しておく仕組みが重要で、その仕組みが整っていれば、あれこれと配慮した結果ものごとが決められず、動けないまま『パニック』を迎えてしまうというリスクが、ぐっと低減するのです。

(3)命の守りかたを「学び続ける」コツ

 そして、「リアリティを持てるように」学び続けよと強調する理由についても述べたいのですが、ここで大切なポイントは、「当たり前と思うもの(そんなこと言われなくてもわかってるよと思うこと)を、人はなぜかやらなくなってしまう(先延ばしてしまう)」という、「人間という動物の持つ第2のバグ」の存在です。

 そもそも「いつ、何が、どんな形で、自分に襲いかかってくるかわからない」のが災害であり、それを迎え撃つ自分の状態だって一定ではない(たとえば、加齢とともに体力が衰えるわけですし、災害時に自分が普段住んでいる街にいるとも限らない)以上、「命を守るための学習と身のこなしの体得」には終わりがないと言えるのです。

 それなのに人は、第2のバグのせいで、「命を守ることが大切で、『パニック』になる前に動かなくちゃいけないだなんて、そんなことは言われなくてもわかってる」と思い込み、「ちゃんとわかっているのだから、わざわざ時間を割く必要はない」と考えて、命を守る技のブラッシュアップ(学習と訓練)を先延ばしにしてしまう。

 西條さんのこの本によると「大川小学校」でも「先延ばし」は起きていて、津波の恐ろしさ(命をダイレクトに脅かすものであるということ)を学びそれをみんなに共有することを、「結果的にやらないでいた(やらないと決断したわけではなく、なんとなく先送っていた)」とする校長の発言が記されています。

 たとえば、武術の基本は「もしもこれがこんな形で自分に襲いかかってきたなら(あるいは襲いかかられる前に相手に不意打ちを与えて難を逃れようとするなら)どう振る舞うか」を考え、その動きができるように訓練しておくことにあります。
 災害対応もこれと全く同じで、「もしも〜」の部分をいかに「日々リアリティを持って想像できるか」が、訓練のモチベーションと技のキレに関わってくるのです。

2 個人にできること

 人というのは不意打ちに弱いもので、不意打ちによってちょっとでもバランスを崩されてしまうとすぐにやられてしまうものです。ちなみに私は、表情や仕草で相手を捉えることのできないオンラインの世界でしばしば有力者にマウントを取られていましたが、これもオンラインというのが「不意打ち」を仕掛けやすい世界だからだと考えています。

 自然災害にしても、マウントのような災害にしても、個人にできる大切なことはやはり、「もしもこれがこんな形で自分に襲いかかってきたなら(あるいは襲いかかられる前に相手に不意打ちを与えて難を逃れようとするなら)どう振る舞うか」をあらかじめ想定し、その動きができるように訓練しておくことです。自然災害で大変なことになった被災地について学ぶこと、日常で起こりうるマウントについて学ぶこと。それらの学びを活かすための身のこなしを日々訓練すること。

3 「個人にできること」をよりよく支えるために

 不意打ちをくらわされた瞬間に自分を助けてくれる人というのは、よほどタイミングが合わない限り現れませんし、その不意打ちからなんとか命を守りきれたとしても、その後の生活に支障を及ぼす傷を負うこともあって、その傷を魔法のように治療できる人もそういるものではありません。

 そう考えると、社会にできることというのは、「傷の治療」の専門家の養成ばかりではなく、「個人の訓練(予防)をしやすくする環境を整えること」にもあると考えます。

 有効な理論を提示し、有害な理論を排除すること。
 有効な理論に基づく訓練メニューを提示すること。
 訓練を促すこと。
 訓練の場をつくること。

#クライシスマネジメントの本質 #読書 #学習

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